お金の呪縛

お金のこと、書き出していた。

お金にまつわる苦しい気持ち。

その苦しさは、いつからあるの?

きっかけになった出来事は?

今はどうしたいと思っている?

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わたしは、お金とは我慢した分だけ手に入るものだと思っていた。

欲しいものを我慢した分だけ。

辛い仕事を我慢した分だけ。

父がクタクタになって帰ってくる姿や、

母が職場の人間関係に不満を持ちながら我慢して働いている姿を見ていたから。

母は自分のものぜんぜん買わないし、自分に投資するようなことはしなかった。

だから、両親の負担を減らしたいなーっていつも思っていた。

そのためには節約はいいこと、贅沢は慎むこと、したければ自分で稼ごうという意識ができた。

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そして、どこかで貧しいことにプライドを持っている。

裕福な人を妬んでいるくせに。

これはなんだろう。

母が時々言っていた。

「うちらは水呑百姓。身分が低いから、あそこ(地域や家)とは違う。」

だから、お金を持っている人には出してもらえばいい。みたいな。

経済的な待遇の差が人と人を分断する。

付き合いはあっても、表面的になる。

お金ってなんなんだろう。

***

裕福な暮らしに対する考え方は、両親の政治的な立場もあった。

両親は若い頃から共産党に所属していて、いろんなかたちで党に支援をしていた。

父は中学卒なのに、本棚にはマルクスの難しそうな本が並んでいる。

豊かさは富の再分配で実現するもの。

うーむ。悪くはないが、わたしにはちと難しい。

それが実現する前に、我慢とストレスで死んじゃうと思う。

なんかこう、もうちょっと気楽になりたいのだ。

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わたしの中でお金と我慢はセットだった。

勉強には投資してもいいけど、遊びに使うのはだめ。とか。

エステやマッサージは贅沢、だめ。とか。

からだをらくにする使い方はあとで後悔することになる、みたいな呪縛。

自分にお金をかけることの罪悪感。

逆に自分のお金なんだから好きに使っていいでしょ!

しがらみをぶった切るような使い方。

親や世間の基準に無理して従うか、反抗するか。

どちらもどこか満たされない。

貧しいお金の使い方になっちゃう。

だから、選び直す。

自分を豊かにするお付き合いの仕方。

苦しくなったら、苦しさと対話。

気持ち悪さと対話。

怒り、不安と対話。

自分と自分じゃないもののふるい分け。

自分と親のふるい分け。

ふるい分けた上で、また選び直すのだ。



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