金融の知識を人生に活かす

ちょうど4年前、私は仕事とは何だろう?と半年余り考えたことがある。幸いなことに、金融機関で最もお金の稼げるポジションにいて“人生楽勝”と思っていたが、結局、金融というのは他人のお金(他人資本)で勝負するという金融独特のレバレッジのお陰で、その生き方が虚空に思えたからだ。しかし、この“仕事の定義”というのが、これまた難しい。

私が最終的に行き着いた答えは、中学校で誰もが習った理科における“仕事量”の公式が全てだということだ。


W(仕事量)=力(F)*距離(D)
ここで、力は質量(M)と加速度(A)を掛け合わせたものであるので、上記の式は以下のようになる。
W(仕事量)=質量(M)*加速度(A)*距離(D)


加速度(A)を係数のように考えてしまうと、上の式の仕事量とは“人を巻き込む力”と換言できる。つまり、質量とは、①存在感の重さ、②より多くの人が合わさった重さと考えることができる。①は三流の人間よりは、二流の人間の方が存在感が重いし、二流の人間よりは一流の人間の方が存在感が重い。これは、なるべくその道のプロを巻き込みましょうということになる。②については、説明する必要がないだろう。より多くの人を巻き込みましょうということになる。


そう考えると、金融でお金を稼いでいて良い気分になってはいたものの、誰も巻き込んでいた訳ではなく、結果として自分のやってきた仕事量というのはこの公式をベースに考えるとゼロであったということになる。スポーツ選手が、観客を惹きつけて、その選手をみたいが為に競技場に皆んなが足を運ぶケースとは全く逆なのだ。(スポーツ選手は仕事量が多い)。それでは、私のやってきた“仮想仕事”とは一体何だったんだろうか?それは恐らく、単なる“作業”であったのだと思う。

この“仕事”と“作業”の垣根は非常に大きく、将来、自己実現やら、自己肯定が求められる時代になると、その壁は更に鮮明になるのであろう。今のうちに、自分にも戒めの意味を込めて、そして自分以外の人には“仕事”をしましょうと声高に叫びたくなった。

そもそも現在は、1人の人が全てを知る必要性の薄い環境にいる。1人が全てのことを70%ずつ知っているよりは、その道のプロで何か知りたい時に聞けばいつでも力を貸してくれる友人がよりたくさんいる方が重要(仕事量が発生)で、プロセスも早く進められる。金融の世界でも同じだ。

スーパー・ファンドマネージャーは、もはや必要ない。リスク管理の観点からは猶更だ。
それよりも、チームで動ける方が重宝される。(リーダーとしてチームを動かすということは、仕事量を稼いでいる)それは、持続可能性(sustainability)の面からでも肯定される。
結論は、色々なところに視野を向けて、様々な意味で助け合える友人をたくさん作りましょうということだ。そしてその友人は、自分とは接点が少なければ少ないだけ良いということになる。この点については、後ほど触れる。

話は変わるが、あるジャンルAと異なるジャンルBは以下のように共通集合を有している。

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例えば、今回はジャンルAは金融。ジャンルBはスポーツとしよう。各ジャンルの中には、そのジャンルの常識みたいなものがあって、外から見ると非常識に見えるのであるが、内部では“しょうがない”という感覚を含めて比較的その常識は踏襲されている。
例えば、金融の常識は世間の非常識と言われるように、一般的には理解しがたいが、内部に存在している人間にとっては、“そんなものでしょ”という世界観がある。一方で、スポーツの世界でも前近代的なところは未だに多々見られ、世間の人からは時代遅れだと言われようとも、内部の人間にとっては“そんなもん”で済まされて半分当たり前のように受け入れられている。
つまり、ジャンルA(金融)、ジャンルB(スポーツ)それぞれの内部では、比較的合理的にものごとが決まっていたり、約束事が存在する。合理的=効率的というのは、“ビジネス的”には“凄い”チャンスが偏在している訳ではない。
しかしながら、実は、このジャンルA(金融)とジャンルB(スポーツ)の間には共通集合がある。ここは実は非常に非効率な世界で、ビジネスチャンスが大きい。


例えば、アングロサクソンの人々であれば、非効率的な市場というのは儲けるチャンスが偏在しているので、思い切って資本を投入してくる。野球(メジャーリーグ)と金融、欧州のサッカーと金融のように、金融というレバレッジを借りて、そのビジネスが大きくなった例はいくらでもある。
しかしながら、日本ではどうであろうか?この共通集合に思い切って資本を投下する動きはあるのだろうか?残念ながら、なかなかない。例えば、金融の人間からすると、“スポーツは儲からないから”という理由で、スポーツ界からは“お金のことは汚いと思われるし”ということで、仮にこの共通集合に飛び込む人がいるとしても、欧米のように比較的大きなお金を投入してその非効率性を取りにいこうというよりは、例えば、まずすごく小さな資本を投入してみて、それでうまくいけばちょっと増やしてと。その非効率性が解消するまで、著しく長い時間を有してしまうのが日本の特徴だ。

金融は人間の身体でいうと血管のように色々なところに顔を出すというのに、なかなかそれを有効に使おうという実業界の動きがないというのが私の観察だ。
•だったら、自分から積極的に様々な業界の人たちと仲良くなり、共同作業でこの非効率性を取りに行けば良いじゃないかというのが、私がこれまで過去3-4年でやってきたことだ。これは本当に以下のように様々な分野がある。

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例えば上図のようになる。様々な分野と金融の共通集合があり、それぞれが非常に非効率的なのだ。なので、先ずはそれぞれの分野の人たちと仲良くなり、一緒に共同作業を行えるようになれば、この事業ポートフォリオってのは最強じゃないかと思ったのだ。


ここまでは割とイメージも付きやすい。それではまず、どういう人たちと知り合いになるべきなのだろうか?


これに先立った、先ずはこれまた中学校の理科で習った引力の公式を思い出して欲しい。


引力=(質量A)*(質量B)/(距離R)^2 (^2は二乗)

これは質量Aも質量Bも重いほど分子は大きくなる。そして、距離が近ければ近いほど(遠ければ遠いほど)引き合う力は大きく(小さく)なる。つまり、先ほどの違うジャンルの人たちと交わる時には、先ずは自分が超一流の人間として相まみえられるように努力を常にしないといけない(上式の質量Aの最大化)。そして、組む相手も超一流が望ましい(質量B)の最大化。


ただし残念なことに、同じジャンルの人間じゃないと、最初に知り合った時の距離は非常に遠い。その遠い距離の二乗で除されてしまうと、せっかく超一流同士が組んで分子の引き合う力の要素が大きいにも関わらず、分母も大きくなってしまって、出来上がる引き合う力、即ち引力が小さなものになってしまう。

ここからが勝負で、最初は遠い距離感であるのは育ってきた環境が異なるのだからしょうがないとして、それを少しずつ縮める努力をしないといけないのだ。名刺交換で終わらせず、次の機会の為にメールを打つ。どこかで、ランチに誘う。その後、ディナーでよりお互いを知る機会を作るなど。そうやって、距離が徐々に近くなると、今度は引力の公式の分母が指数関数的に小さくなるので、引き合う力はとてつもなく大きくなるのだ。

このような努力を様々なジャンルの人に対してできるなら、お互いの引き合う力が非常に大きくなった友人もしくはパートナーがあらゆるところに存在して、自分の潜在能力は非常に高まると思う。この考えが非常に有効だ。

今まで話したようなことを簡略化すると、以下のように言えるかもしれない。現在値から将来の幸せを目指して人は生きているが、大半の人は家族を除くと学生時代の友人と職場の人間という2つのベクトルによって明るい未来を目指そうとする。

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この2つのベクトルによって作り出される明るい未来の絵が図1である。学生時代及び職場の友人という2つの大きなベクトルによって明るい未来を作り出していた時のイメージ図。これを、ここ3-4年で様々な違う分野の一流の人たちに会って、私の人財ポートフォリオは図2のようになって、これら多様性に富んだベクトルが今まで見ていた明るい未来以上に素晴らしい未来を作り出すものと期待した。

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ただ実際に感じたのは、従来見ていた明るい未来以上の、素晴らしい未来なんてそうは作り出せていないということだ。この事実は、私の活動に対して斜に構えて見ていた人からは、“時間やお金の無駄遣いをした”とか“単に一流の人と仲良くなりたいというミーハー的な行為をしたに過ぎない”、もしくは“自己満足だ”という批判もあったかもしれない。けど、私は全くそれらの意見を気にしてない。

先ずは、しっかり事実を認めようと思うが、期待した未来は実は今まで見ていた未来とほとんど変化がなかったので、そこに関してはそんなものだったのかとも思った。特に残念な気持ちもなく、割とあっさりしていた。

しかし、投資と自然科学の原点から捉えると、これらを俯瞰するとかなり異なる景色が見えてくる。図1と比較して、図2のベクトルは明らかに分散している。2つのベクトルではなく、複数のベクトルで未来を作ってるからだ。もちろん、明るい未来の大きさな変わらなかったが。

ここで、投資の基本であるシャープ・レシオを思い出して欲しい。
シャープ・レシオ= リターン/リスク。そして、リスクはボラティリティで変動性、もしくは分散で表せられる。

今回の件はシャープ・レシオの分子である“明るい未来”というリターンを変えることはできなかったが、分母のリスクを人財ポートフォリオの分散と捉えれば、リスクが大きく低減できたはずだ。つまり、図1のシャープ・レシオより、図2のシャープ・レシオの方が改善されていることが理解できるはずだ。

“シャープ・レシオが高い”ということは、このプロジェクトに対するリスク対比でのリターンの安定感が高いということだから、恐らく資金が着きやすいはずだ。そして、お金が動けば人が動く。ニュートンの第1方程式で学習した通り、仕事量=力*距離。そしてこれを我々の身の回りのことに置き換えれば、人を巻き込むことが仕事量を増やすことにつながると話したが、まさに今回のプロジェクトを通して、たくさんの人が動いてくれたので、きっと私は金融では感じられなかったこの仕事量の多さに幸福感を得ているんだろうなと思ったのだ。

このように、金融や理科の公式なんてものは、実生活につかって初めて価値を見出すと思うので、勉強の為の勉強ではなく、実装するための勉強を志して欲しいなと思う。

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