仕事の定義

コロナの影響により自粛が長くなると、いかに今まで無駄遣いしてたかも非常に理解できる。不要で明らかに割高な外食、超一流のホテル、都内の明らかに異常に高い家賃、ブランド物の洋服、アメックスのブラックカード。今まさに、我々は何が不要で何が必要か考えなおす良い機会なのではないかと思う。それと共に、これまで疎かにしていた仕事の定義についても考え直しても良いかもしれない。

ちょうど、4年前に、僕は仕事とは何なんだろう?と半年余り考えたことがある。幸いなことに、金融機関で最もお金の稼げるポジションにいて”人生楽勝”と思っていたが、他人のお金で勝負できるという金融独特のレバレッジのお陰で、その生き方が虚空に思えたからだ。しかし、この仕事の定義というのが、これまた難しい。そこで行き着いた答えは後述する。しかし、最近、東京大学の私的ゼミで学生に説いた時も誰一人としてまともな答えを出せなかった。それほど難しい問いでもあるのであろう。先ずは、皆さんも、ここで文章を読み進めるのを止めて、1分で良いので考えて欲しい。どんな答えに巡り合えるか。

僕の答えは、中学校1年生の時に誰もが習った理科における仕事量の公式が全てというものだ。

要はW(仕事量)=力(F)*距離(D)

ここで、力は質量(M)と加速度(A)を掛け合わせたものであるので、上の式は、単純化するとW=重さ*加速度*距離ということになる。ここで、加速度の概念を捨てておこう。そうすると、仕事量とは、”人を巻き込む力”と換言できる。重さとは、①存在感の重さ、②より多くの人の存在からくる重さということが考えられると思う。①は三流の人間よりは、二流の方が存在感が重いわけだし、二流の人間よりは一流の人間の方が存在感が重い。それゆえに、なるべき、その道のプロを巻き込みましょうということになる。②に関しては説明する必要はないだろう。より多くの人を動かしましょうということになる。

そうなると、金融でお金を稼いでいて良い気分になってはいたものの、誰も巻き込んでいた訳ではなく、僕の仕事量はこの公式上はゼロであったということになる。スポーツ選手が、観客を惹きつけて、その選手を見たいが為に競技場にやってくるケースとは全く逆なのだ。(スポーツ選手は仕事をしている)それでは、僕のやってきた”仮想仕事”とは一体何だったのであろうか?それは恐らく、単なる”作業”であったのだと思う。

この”仕事”と”作業”の垣根は非常に大きく、将来、自己実現やら、自己肯定が求められる時代になると、その壁は更に鮮明になるのであろう。今のうちに、自分にも戒めの意味を込めて、そして、自分以外の人には”仕事”をしましょうと声高に叫びたい。

そもそも、現在は、1人の人が全てを知る必要性の薄い環境にいる。1人が全てのことを70%づつ知っているよりは、その道のプロと友人で何が知りたい時に聞けばいつでも力を借してくれる人がよりたくさんいる方が重要(仕事量が発生)で、プロセスも早く進められる。金融の世界でもそうだ。スーパー・ファンドマネージャーというのは、もう不要な時代だ。リスク管理の観点からはなおさらだ。それよりも、チームで動ける方が重宝される。(リーダーとしてチームを動かすということは、仕事量を稼いでいる。)それは、持続可能性(sustainability)の面からでも肯定される。

結論は、色々なところに視野を向けて、様々な意味で助け合える友人をたくさん作りましょうということだ。そして、その友人は、自分とは接点が少なければ少ないだけ良いということになる。それは、今度は引力の公式で説明できるのであるが、それはいつかまた改めて話をしたい。




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