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ローデン准教授の歴史への挑戦 1.憧 れ

(親友の山本が開発した装置で、縄文時代にタイムスリップできることになるローデン)

 城南大学の考古学准教授のジミー・ローデンは、夜が遅くなるのも忘れいつものように自分が発掘して修復した縄文土器を眺めていた。
 日本生まれの彼は、日本文化に傾倒していった。日本語は、日常会話だけではなく学術的な言葉にも堪能で、学生の頃から書道に親しんだ関係で普通の人間が解らないような難しい文字や古文書も難なく読め、縄文時代だけでなく他の時代の研究を進める上でも役立っていた。
 彼が、電話で自分がアメリカ人であることがなかなか相手に伝わらなかったことがあってから、必ずアメリカ人のという一言をつけることを忘れないほどであった。
 一般的な日本人より少しだけ背が高く、太って髪の毛も薄くなり始めた三十代後半の彼は、どこか知性を感じさせるような風貌を持っていた。独身のジミーには、縄文時代がすべてといってよかった。
 この土器の本当の価値を解る人間はそう多くないはずだ。彼は、そう思っていた。本物の土器なら、高額で取引されることもある。ローデンは、そんな風潮を苦々しく思っていた。財産や個人のお宝ではなく、過去の人類の遺産であるという思いからであった。学術的にも、美術的にも個人の範疇を超える遺産であるべきだ。
 親友が、タイムスリップができるマシンが完成近いといっていた顔が蘇ってきた。
 もしタイムスリップが可能だとしたら、縄文時代に行こうと決めていた。が、どう考えても、過ぎた過去を遡る事は想像すらできない。万が一縄文時代にタイムスリップできたら、どんなに素晴らしい事か。彼は、考えるだけで幸せな気持ちになることができた。
 地道に遺跡を調査することは、大切なことである。それを基にして、当時の生活に思いをはせる。とても素晴らしい事である。が、その時代をこの目で見ることができれば、数々の謎も解き明かすことができる。
 彼は、親友のタイムスリップマシンが完成できるかもしれない。と、淡い期待も持っていた。
 その時電話がかかってきた。
 今ごろ誰だろう? 時計を見ると夜の十二時を少し過ぎている所だった。
「もしもし、ローデンですが」
「俺だ!」
 ローデンは、声を聞いて、「山本か。こんな時間にどうした?」と訊ねた。
 電話の相手は、ローデンの親友山本啓太だった。山本は、とんでもない時間に電話をかけてくる事がある。この前は、酒に酔って居酒屋からかけてきた。今日は、酒に酔っている気配はないので何か重大な事かも知れない。
「やったぞ! 世紀の大発明だ! タイムスリップの装置が完成したんだ。これからテストするから直ぐに来い!」
 山本は、いつもの命令口調になった。
「おい。今何時だと思っているんだ?」
「そんなこと関係ない。それとも、俺が担いでいるとでも思っているのか?」
「そんな事はないが、明日からの講義のこともあるしな。明日の夕方に、そっちに寄るから…」
「そんな下らん講義なんか、休講にしろ」
「下らん講義で悪かったな」
 ローデンは、いつもの事とはいえ呆れた。
「こっちは、世界で初めての発明なんだぞ! そうだ。これから俺のことは、大先生と呼べ!」
 山本は興奮していたが、少し何かを考えているように沈黙した後、「そうだ。過労で、倒れろ」と言った。
「俺は、いたって健康だが」
「過労だという事にして、2、3日休め! なんなら俺から言っておく」
「相変わらず強引だな」
 ローデンは、苦笑いした。
「いつもとは違うんだ。おまえにとっても悪い話じゃない。夢が叶うかも知れないんだぞ。それに、世紀の大発明に、立ち会えるだけでもありがたく思え!」

 結局ローデンは、山本の研究室に行くことに決めた。自分が縄文時代に行くためもあるが、今まで秘密にしていた装置を見てみたい気になったからだ。
 何をテストするのかも興味が沸いてきた。そうだ。テストがうまくいったら、直ぐにでも縄文時代に行こう。どんな危険があろうとも。ローデンは、縄文時代に思いを馳せながら、山本の研究室がある城南大学に車を走らせた。

「速かったな」
 山本は、研究室のドアを開けると満足した顔でローデンを出迎えた。
「多少興味が湧いてきたんでな」
 ローデンが答えると山本は、「俺に嘘はつくな。縄文時代に行きたくて、うずうずしてたくせに。縄文時代に行けるとなって、すっ飛んできたんだろう」とすべてを見透かしているような顔をした。
「実は、そんな所だ」
 ローデンは、少しはにかんだような顔をした。
「誰もいないから、遠慮なく入れ」
山本は、いつものように言った。
「こんな時間にいる奴は、まともな奴じゃない」
 ローデンも、いつものように一言付け加えた後に研究室に足を踏み入れた。
 山本は、相変わらず糊の利いていない薄汚れた白衣を着て、髪はぼさぼさである。いったいいつ風呂に入ったのだろうか、と思われるような姿だった。それを物語るように研究室に足を踏み入れると、相変わらずカップラーメンの空の容器が散乱していた。
 山本はと見れば、そんな事は意に介していないような笑みを浮かべていた。
「相変わらず汚い研究室だな」
 ローデンは、研究室を見渡していった。
「そんな事言っている場合じゃないぞ。マシンを見たら驚くから」
 山本は、子どものようにいたずらっぽい笑顔になった。
「まあ。研究室よりはまともだろう」
「言ったな! ここで話をしていても始まらない。いよいよ、タイムスリップマシンの発表といくか」
 山本は、少しおどけた顔をしながら奥にある部屋のドアの前までゆっくりと歩いて行った。ローデンは、初めて事の重大さに気がついた。
「ここは、開発以来俺以外はおまえが始めて入る。今開けるから驚くな」
 山本は、少し神妙な顔つきになった。が、いつものもったいぶった話し方は、そのままだった。
 ローデンは、山本の顔にただならぬ気配を感じて頷いた。学内では、どんな研究をやっているのか知っている人間はローデンしかいなかった。どうせ役に立たない研究だろうと陰口を叩かれ、開かずの間と皮肉をこめて呼ばれている部屋だった。
 山本の手でドアが開けられ、電気がつけられた。
「どうだ? これでいつの時代にも行ける」
 山本は、後ろから部屋に入ってきたローデンを振返ると得意げな顔になって胸を張った。
「何だ。ただのガラクタじゃないか」
 ローデンは、あまりに雑然とした部屋を見て驚いた。
「見てくれが問題じゃない。性能だ。違うか?」
 山本は胸を張って答えたが、ローデンにはどう贔屓(ひいき)めに見ても、コンピュータの廃棄物置き場にしか見えなかった。
「それは、そうだが…」
 ローデンは、そう答えたものの周りのガラクタみたいなマシンを見て、期待がなえるのを覚えた。
 二十畳はありそうな部屋のほとんどをラックが入り口から中央に至る二坪ほどの空間をコの字型に取り囲むように占領していた。
 ラックの上には、基盤が剥き出しになったコンピュータ部品のようなものがぎっしりと無造作に置かれており、気が遠くなりそうな数の線で部品同士が結ばれていた。
 部屋の中央には、一坪ぐらいの一段高くなった四角いスペースがあり、昔のアポロの月面車のようなマシンが一台置かれてあった。高さは、一メートルほどで、両側に三十センチほどの小さなタイヤが三つずつ付いており、上部にテレビカメラや観測装置のようなものがびっしりと取り付けられていた。
 入り口を入って右側に、少し高そうなパソコンが一台置かれていた。
「まあ。一つだけましなのがある。あの、月面車みたいなのはいったい何だ?」
 ローデンは、まともなマシンを見つけるとほっと溜息をついた。
「よく気がついたな」
 山本は、嬉しそうな声を上げた。
「この中でまともなのは、コンピュータとあの月面車みたいなマシンだけだ。そんなもの子供でもわかる」
 ローデンは、山本に負けずとばかり憎まれ口をたたいた。
「まあ、そう言うなよ。これから始まることを見たら驚くぞ! あいつが、ちゃんとした実験材料だからな」
「?」
 ローデンは、山本の言っていることが分からず困惑した顔を山本に向けて無言の問いかけをした。
「説明は後だ。さあ始めるぞ。準備はいいか?」
 山本は、困惑した顔をしているローデンに説明するつもりはないようで、逆にローデンに訊ねた。
「準備?」
「そうだ。心の準備だ」
 山本は、成功を確信している口ぶりだった。
「スイッチを入れるぞ」
 山本は、ローデンを無視してコンピュータの前に座るとキーボードを叩き始めた。
 ローデンは黙って、山本の少し後ろに立って行動を見守ることにした。
「ローデン様のご要望により、縄文時代にまいりま~す」
 山本は、いつもの調子に戻っていた。暫らくキーボードを叩いていたが、キーボードを叩くのを止め少し真剣な顔をすると、ローデンの顔を振り返って、「いいか? これがタイムスリップだ。よく見ておけ」と念を押すように言った。
 山本のもったいぶった態度はいつも見慣れていたが、今日はいつもと違うようにローデンには見えた。
「ああ。やってくれ」
 ローデンは、様子を見守ることにした。
「スイッチオン!」
 山本がエンターキーを押すと、ガラクタの山? が唸り始め、月面車のようなマシンが光りだした。
 ガラクタの山は、唸りをだんだん高くして基盤に取り付けてある無数の発光ダイオードが不規則に点滅を始めた。
「もうすぐだぞ! よく目を開けてろよ」
 山本は、だんだんと興奮しだした。
いったいこれから何が始まるのだろうか? ローデンは、光に包まれた月面車のようなマシンに興味を覚えくぎ付けになった。
 パソコンのモニターには、カウントダウンの数字が現れた。
 月面車は、だんだんと明るく輝きカウントダウンの数字がゼロになった時にフラッシュのような閃光を残して突然ローデンの視界から消えた。ガラクタの山は、何もなかったようにいきなり沈黙した。
「消えた…」
 ローデンが驚いて山本を見ると、山本はローデンを振返って得意そうな顔をした。
「消えたんじゃない。縄文時代に行ったんだ。どうだ? 凄いだろう」
「向こうの状況は見られるのか?」
「残念ながら今は、位置を掴むのが精一杯だが、そのうち何とかする予定だ」
 山本の答えに、ローデンはガラクタの山を見た。そういえばさっきと違う基盤が静かに点滅をしている。きっとこれが位置を掴む装置なのだろう。と、黙って発光ダイオードの点滅を見つめていた。
「ここで待っていても仕方がない。少しのあいだ暇になるから、コーヒーでも飲んでくつろいでくれ」
 山本は、そういうと怪訝な顔になったローデンを無視して研究室に戻り、なれた手つきでコーヒーを入れ始めた。
ローデンは、訳が分からず研究室に戻ってから、「暇になるとは、どういう意味だ?」と、尋ねた。
「縄文時代に送ったマシンは、探査機だ。縄文時代の映像や気候、それにタイムスリップが人体に及ぼす影響を調査する目的のために送った。二時間の予定だから、それまでここで待つしかない」
 山本は、あっさりいった。
「二時間後の探査機を、呼び戻せないのか?」
「それが駄目なんだ。二時間は、現在にあってもタイムスリップしても二時間なんだ。
 簡単なものをタイムスリップさせたことが一回だけあるんだが、時間を移動させようとしたら回収不能になってしまった。
 つまり、過去に二時間いれば、帰ってきたときにはタイムスリップしてから二時間経っていることになる。無理やり、過去の時間を変えて回収することは不可能なようだ」
「簡単なものって、何をタイムスリップさせたんだ?」
 ローデンは、山本の言葉が気になった。
「これだよ」
 山本は、研究室の一角にある流しに無造作に転がっているカップラーメンを取って、「三分待つのがまどろっこしくて、お湯を入れてすぐタイムスリップさせた。三分後のカップラーメンを呼び戻そうとしたら、それっきり。
まあ、そんなことで解ったんだが、時間を短縮させるためにタイムスリップが使えないとわかった」と残念そうな顔をした。
「おまえらしいな。一回でも成功はしたのか?」
 ローデンは、山本に向かって疑いの目を向けた。
「当たり前だ。何回も成功したからおまえを呼んだんだ」
 山本は、不服そうな顔になった。
「またカップラーメンか?」
「馬鹿言うな!」
 山本は、むきになったが、「さっきまでここにあったんだが…」と探し始めた。
「確かここに置いたんだが」
 山本は、不思議そうな顔をしながら暫らく探していた。
「おまえの部屋のものなら、いつでもタイムスリップできるだろう」
 ローデンは研究室を眺めながら、これだけ散かっていたら置いたものを探すのも一苦労だろうと考えた。
「言ったな! 探査機が戻ったら、縄文時代の映像を見せてやるからおとなしく待っていろ。そんなとこに突っ立っていないで、ソファーに座ったらどうだ?」
 山本もやり返した。が、「後で探すから」と諦めた。
「きっと、探査機に矢でも刺さっていることだろう」
 ローデンは、ソファーに座りながら冗談を言った。が、危惧も抱いた。縄文人が見たら化け物だと思って、攻撃するかもしれない。
「そういう時は、安全装置が働いて自動的に戻れるようになっているから心配はするな」
 山本は、真顔で答えた。が、ローデンが訝る眼を向けると、「いやあ、偶然分かっただけだ。あるものをタイムスリップさせたら、呼び戻してもいないのに勝手に戻ってきた。しかも、壊れていた」と、ばつの悪い顔で答えた。
 ローデンは、山本がそこまで配慮したのではなく偶然見つけた事に少し心細くなった。
「そんな顔するなよ。偶然とはいえ、発見できたんだ。おまえに何かあった時は、助ける事が出来るかもしれないんだ」
「そうだな。気休めにはなるだろう」
 ローデンは、気を取り直すことにした。タイムスリップという、人類初のことに挑戦するのだ。危険は覚悟の上だ。
「言ったな! まあ、探査機が帰って来れば分かる事だ」
 山本は、意に介していないのか探す事は諦めてコーヒーを入れ始めた。
 暫らくするとコーヒーの香りが漂ってきた。
「インスタントで悪いが…」
 山本は、コーヒーを入れたカップを小さなトレイに乗せてローデンの向かいのソファーに座ると膝の上にトレイを置いた。
テーブルにうずたかく積まれた書類の山を動かして、小さなスペースを作ってカップを小さなスペースの上に置いた。
「ところで、タイムスリップで一番大事だといわれていることは何だか判るか?」
 山本は、コーヒーをすすりながら上目遣いにローデンを見た。
「さあ?」
 ローデンは、コーヒーカップを手に取りながら答えた。
「つまり、歴史を変えてはいけないということだ。今の人間が、過去にタイムスリップすれば何でもできる。チャーチルやヒットラーを殺すこともできれば、エジソン以上の発明もできる。戦国自衛隊や、バック・トゥーザ・フューチャーのように。
 しかし、それでは歴史が狂ってしまう。つまり、時間を旅行する者は、歴史を変えてはならないと」
 山本は、言葉を切ってコーヒーをすすりながらローデンを見た。
「俺に対する説教か?」
「いや。話は最後まで聞け。それと、もう一つ説があってな。歴史というのは、タイムスリップで変わった歴史を歩んでいるという説だ。預言者や偉人達は、タイムスリップした人間たちだということだ。つまり、タイムスリップで変えられた歴史の結果が現代だそうだ」
 山本は、もう一度頭の中を整理した。未来にタイムスリップが実現したら、歴史は、どんどん変わる。現在は、タイムスリップしてどんどん歴史を変えた結果ということになる。そんなことは、現実にありえないような気がした。
 まてよ、タイムパトロールみたいな組織ができれば、歴史を代えないようにするかも知れない。もし、タイムスリップが不可能なら? 突発的にタイムスリップした人間が、預言者になったのかも知れない。と、頭が混乱してきた。
「何だか、判ったような判らないような話だな」
「たとえば、ヒットラーを勝たせようとしてタイムスリップをしたとしよう。ノルマンディーに、連合軍が上陸する情報を与えても証拠がない。信じれば歴史を変えることができるかもしれないが、信じなければ情報のひとつに過ぎない。それも、荒唐無稽な」
 山本は、考えることを止めてローデンの問いに答えた。
「でも、軍隊がそっくりタイムスリップしたら?」
「いくらハイテクの武器でも、使えるものは限られている。昔に衛星はないからな。GPSだって使えない。つまり、ミサイルは使えない。それに、補給の問題もある。
 もっとも俺には、そんな大規模なタイムスリップが可能だとはとても思えない」
 山本は、否定的な顔をした。
「おまえは、タイムスリップ込みで歴史が造られていると考えているのか?」
「ああ。そうだ。
 過去の出来事を変えようとしたら、変えようとした本人が存在しなくなる可能性もあるだろう。存在しない人間が歴史を変えることなんかできっこない。もっとも断定はできないが…。
 パラレルワールドも、そのうちのひとつだ。タイムトラベルで行き着いた先は、実際は現実に酷似したパラレルワールドであり、どの時間軸で歴史を変えようとしても自分がいた元の世界には影響しない。あるいは多世界解釈的に、パラドックスを生じさせるような事態が起こった時点でパラレルワールドが発生する、もしくは元から時間が経過していくごとに別のパラレルワールドが随時無限に発生していく、というものなんだ。
 他にも、様々な説は唱えられている。しかし、タイムスリップしたという話は聞かないから、少なくとも現在においては我々がはじめてだ。
 断定出来ないから、縄文時代の歴史に下手に関わるわけにはいかないんだ」
「難しいことは分からないが、お前の言いたいことは分かった。おまえの言う通りにするほうが無難のようだ」
「やっと判ったか」
 山本は、ほっと胸を撫で下ろした。
「ああ。ところで、あのガラクタをいつ発表するんだ?」
「ガラクタで悪かったな。もっとも、反論は出来ないが…」
 山本は、装置のある方を見ながら、「おまえが縄文時代から戻ったら、覆いでも被せるさ。それで、お茶を濁すしかない。デリケートな代物だから。配線一つ間違えただけで取り返しがつかなくなる。まあ。研究費が出たらゆっくりとちゃんとしたマシンに仕上げるつもりだ」と、少し得意げな顔になった。
 それから二人は、いつものようにバカ話をはじめた。二時間は瞬く間に過ぎ、回収の予定時間がきた。
「そろそろ時間じゃないか?」
 ローデンは、時計を見ながらそわそわし始めた。
「そんなに慌てるな。遅れたってどうって事ない」
「そんなにじらすなよ」
「分った。じゃあ始めるとしようか」
 山本は、ソファーから立ち上がると大きく背伸びをして首を二、三度曲げてから、開かずの間に入っていった。ローデンは、緊張しながら無言で山本の後に従った。山本は、パソコンの前に座ると、後ろに立ったローデンを振り返って、「いいか? 呼び戻すぞ」と真剣な顔をした。
「ああ」
「今度は時間が掛かるから、俺の横に座って見ていてくれ」
 ローデンは、研究室から今にも壊れそうな事務椅子を持ってくると山本の隣に座り、子供のように身を乗り出してパソコンの画面を見つめた。画面は、メニュー画面のようだった。
 山本は、さっきのようにパソコンのキーを叩きながら、「探査機の位置と時間を確認してから、呼び戻す」と、ローデンのために説明をはじめた。
「能書きはいいから、速く呼び戻せ!」
 ローデンは、いつもの山本のもったいぶった言い方にいらいらし始めた。
「判った」
 山本は、ローデンの気持ちを察してか真剣な顔になりエンターキーを押した。
 ガラクタの山がさっきのように唸り始め、唸りをだんだん高くして基盤に取り付けてある無数の発光ダイオードが点滅を始めた。ローデンは、ガラクタの山が神秘的な光を発するように感じてうっとりとした。
「いよいよだぞ。さっきと同じところに現れる」
 山本の声で我に返ったローデンは、さっき探査機があった場所を無言で見つめた。ガラクタの山は、唸りを一段と高くさせ、今にも壊れそうな勢いになった。
 閃光がした後に、いきなり探査機が現れた。
「やったあ!! 大成功だ!!」
 山本は、椅子から飛び上がるようにして立ち上がると、ローデンの手を取って喜びを表した。いつも控えめな山本の喜びように、ローデンは驚いた。
「どうだ!? 成功だ! 祝杯をあげよう。これで、俺を馬鹿にした奴等を見返してやれる」
 山本は、ローデンから手を離すと、「そうだ。いつもの居酒屋に行って、パッと派手に祝杯をあげよう。今ならまだ間に合う。支度しろ。もちろん俺のおごりだ」と言って開かずの間を出て行った。
「おい。探査機の調査はどうするんだ?」
 ローデンは、座ったままドアから山本を覗き込んで声をかけた。
「おまえは、こんな時によく冷静でいられるな」
 山本は、呆れた顔をした。
「俺は、いつだって冷静だ」
ローデンの言葉に山本は、「嘘つけ。おまえは祝杯より、縄文時代を早く見たいだけだろう」と言って、ローデンの顔を探るような目で見た。
「…図星だ」
 下手に隠すと、調査が後回しになる可能性がある。山本の口ぶりから察すると延々と物理学の講義を聞かされそうな気がした。そんな話より、探査機の映像をすぐに見たいという気持ちがローデンを正直にさせた。
「正直でよろしい。さてと、親友のために祝杯は後回しにするか」
 山本は、ニヤニヤしながら戻ってきた探査機にパソコンから出ているコードを繋ぐと、パソコンの前に座った。
 山本は、キーボードを叩き始めた。暫らくキーボードを叩いて、「なるほど…」と一人で納得しながらモニターを食い入るように見つめた。
「ん? やっぱり。こっちはどうだ? そうか」
 山本は、独り言を言いながら満足そうな顔でモニターを眺めていた。
 ローデンは山本の隣でモニターを見ていたが、モニターには数字の羅列しか表示されておらず、何が表示されているのか皆目見当もつかなかった。
「一人で納得しているようだが、俺にもわかるように説明してくれないだろうか?」
 ローデンは、痺れを切らした。が、山本のことを思いやんわりと尋ねた。
「悪い。悪い。つい夢中になって。つまり、この数字は…」
 山本は、そこまで言うと少し考えるような顔をして黙った。
「どうした?」
「いや。簡単に話すと、縄文時代の気候と、タイムスリップの時間。それに、これが一番肝心なことだが、タイムスリップに掛かる時間を調べていたんだ」
 山本は、言葉を切ってローデンの様子を窺うような顔をしたが、「ところでタイムスリップに掛かる時間は、どれぐらいだと思う?」と逆に訊ねた。
「そんな事判るわけないだろう。クイズみたいにもったいぶらずに教えろ」
「分かったよ」
 山本はローデンの剣幕に少し驚いたのか、ローデンに向きなおって、「正解は、0秒だ。つまり一瞬のうちにタイムスリップする。どうだ、凄いだろう!?」と、満足な顔になって答えた。最後に自慢することも忘れてはいなかった。
「何が凄いんだ?」
 ローデンは、山本の自慢の言葉に気づくことはなかった。
「つまり、人体に与える影響がないということだ」
「でも、あの光や閃光はどうなんだ? 爆発するのかと思った」
「あれは、タイムスリップの前後十秒程度だ。探査機のセンサーは何も感じなかった。きっと、時空を捩じ曲げる時のエネルギーの一部が回りに光となって見えるだけかもしれない。まあ、少しは気分が悪くなるかもしれないが」
「…」
 ローデンは、狐につままれた顔を山本に向けた。
「タイムスリップの前後数秒程度、探査機に圧力が掛かった。それと、温度が一度ほど上昇したがすぐに元に戻った」
「他人事だと思って」
 ローデンは、呆れた顔をした。
「そう言うなよ。こう見えても、俺の全生命をかけて造ったといっていいマシンだ! どれだけ苦労したかわかるか!? 生半可な気持ちじゃないんだ。タイムスリップする人間を、モルモットのような気持ちで扱ってなんかいない! 俺の親友が、第一号なんだぞ!」
 山本は、逆に怒り出した。
「おまえが、俺のことを思ってくれているのは判った」
 ローデンは、山本の剣幕に戸惑いながらも、「だから、映像を見せてくれ」と本題を切り出した。
「判ればよろしい。さて、親友の要望だ。細かい分析は、後回しにしてやるか」
 山本の機嫌は、すぐに直ってキーボードを叩き始めた。山本がエンターキーを押すと、画面は元のメニューに戻った。
「いいか? これが縄文時代だ」
 山本は、身を乗り出してきたローデンを真剣な眼差しでみたあとに、映像とかかれたボタンを押した。
 モニターは、すぐに変わり初めて見る景色が現れた。
「どうだ? これが、今から3500年前のこの場所だ」
「縄文時代後期だな」
「それはおまえが専門だ。俺には、判らんが…」
 山本は、初めて見る光景を驚きの目で見つめた。ローデンも、初めて見る光景に目を奪われた。画面には、一面に草原が広がりその先には原生林が見え、遠くに山脈が見えた。
「あの山は、浅間山かもしれない」
 山本は、自信なさそうな顔で言ったが、「そのうち富士山も見えるはずだ」といつもの山本に戻って胸を張った。
「何が始まるんだ?」
「いいから見てろ」
 山本が悪戯っぽい顔をしてローデンを見たときに、画面が横に動き始めた。
「画面が動いたぞ」
「ああ。360度回転するようにプログラミングした。だから、この時代の富士山が見えるはずだ」
 探査機は、ゆっくりと回転した。東の遠くない所には、海が見えた。
「海がこんな近くにある」
 山本は、驚きの顔をした。
「ああ。この辺は、海のそばだった」
 探査機は、次に富士山を映し出した。山本は、富士山を見てはしゃいでいたが、ローデンは何の反応も示さずじっと画面を睨みつけていた。やがて探査機は、一回転して元の景色を映し出した。
「人がいる形跡はないな。道もないし」
 ローデンは、元の風景の画面に戻って少しがっかりしたような顔をした。
「この時代に、道なんてもんあるのか?」
「もっとも、獣道に毛が生えた程度だろうが、同じルートを歩いているうちに自然と道になるんだ」
「そんなもんかな」
 山本は、感心した顔をローデンに向けた。
 その時画面が揺れだした。ローデンは、何事が始まるのかと画面に注目した。
「始まったか?」
 山本は、ローデンの顔を見てほっとしたような顔になりモニターを向くと、「ターゲットが見つかったようだ」と呟いた。
「ターゲット? 何だ? もったいぶらずに話せ」
「探査機は、赤外線センサーを搭載していて、生物を見つけたら追跡するようプログラミングしたんだ」
「人間か?」
「さあ。それは判らない」
 山本は、他人事のような口ぶりになったが、「あっ!」と、驚いたような声を上げた。
「何だ? 何か見つけたのか?」
「俺のカップラーメンが…。行方不明のカップラーメンが、あんな所にあった」
 山本は、映像を勝手に止めるとカップラーメンを拡大して悔しそうな顔をした。カップラーメンは、草の少ない所に転がっていた。
「何だ。そんな事か」
「よく見ろ。フタが開いている。ラーメンがない」
「こぼれたんだろう」
「よく見ろ! こぼれた形跡なんてどこにもない」
「おまえは、ラーメン一つ食べられなかったくらいで…」
 ローデンは、呆れた顔をした。
「誰かが食ったんだ」
「動物が食ったんだろう」
「動物が食ったにしては、カップが綺麗過ぎる」
 山本は、画面のカップラーメンを指差した。そう言えば、動物が食い荒らしたとは考えられないし、近くに麺の残骸もないようだ。誰か? 縄文人の中の、好奇心の強い誰かが食べたのかも知れない。ローデンはそう思うと、「人類で始めてカップラーメンを食べた人間が、誕生したというのか?」と、山本に尋ねた。
「大げさだが、そんな所だろう。そんな事より、彼らの集落が近いのかも知れない。
 ローデン。向こうにいったら気をつけるように」
 山本は、真剣な眼差しになってローデンを見た。
「ライフルでもあれば、安心なんだがな」
 ローデンは、山本を心配させないつもりで冗談のような口ぶりで言った。
「冗談言っている場合じゃないんだ。相手は、縄文人なんだぞ。データが何一つない」
 山本は、顔を曇らせた。
「よせやい。石器や土器を使って、何を食べていたかぐらいは判っている。それに、海を越えて南米まで行っているという説だってあるんだ」
「そんなことじゃない。好戦的かどうかだ。どんな言葉を話していたかも、正確には判っていないんだろう」
 山本は、心配そうな顔になった。
 ローデンは、山本の言葉にはっとした。どこに住んでいて何を食べてどんな生活を送っていたか。発掘調査で様々なことは分かっている。が、性格までは分かっていないのが実情だ。それを探るいい機会にもなる。
「まあ、縄文人は、戦争もしなかったようだから好戦的ではないはずだ。言葉は、日本語を話していたのだろうが、正確には判っていない。でも危険が迫ると自動的に戻れるんだろう」
 ローデンは、山本を心配させないようにわざと軽口をたたいた。
「そうだが、間に合わない事だって考えておかないとな。とにかく無茶はするな。近くに集落があっても、とにかくビデオだけで我慢しろ。いいか? 初めは、焦らないで様子を見るだけにしろ」
「つまらんが、おまえの言う通りにする」
 ローデンは、山本のいつにない真剣な顔を見て仕方なしに答えた。
「なら、いいんだが…。おまえは、いつも無茶をする。向こうの様子がわからない以上、誰もおまえを助けることができない」
「ああ。判っている。おまえが心配してくれるのは、ありがたいと思う。でも俺は、子供じゃない。そんな事よりもっと先を見せろ」
「判ったよ」
 山本は、映像を動かし始めた。
「何だ? やけにのろのろとした動きだな」
 ローデンは、あまりの遅さに痺れを切らした。
「プログラムで動かせるのは、せいぜいこんなものだ。高速道路と訳が違う。どんな障害物があるか判らない。画面の右下に数字があるだろう。これがターゲットとの距離だ。だんだん小さくなっているから近づいている証拠だ」
 山本は、そう言ったものの、「早送りさせよう」と言った。
「ストップ! 止めてくれ」
「何だ!? 何か見つけたのか?」
 ローデンの言葉に山本は、驚いて映像を止めた。
「ここに、建物のようなものがあるだろう」
 ローデンは、モニターの一箇所を指で押さえた。他と違い、そこだけ草が盛り上がっていた。
「そういえば、人工物のようにも見えるが…」
「あれは、竪穴住居の跡に違いない。何かの原因で、竪穴住居が壊れたのかもしれない」
「普通のスピードに戻すぞ」
「そうしてくれ」
 ローデンは、モニターを食い入るように見つめていたが、探査機が素通りするのを見て、「何であそこに行かないんだ?」と不服そうな顔をした。
「生き物がいないんだ。仕方がない」
「今の場所は判るか?」
「もちろんだ。表門のあたりだ」
「こんな近くに、宝の山があったなんて…」
 ローデンは、目を輝かせた。
「そうだな。しかし、ここに縄文時代の遺跡が眠っていますと言った所で、今は笑われるだけだ」
「発掘するよりも、現物を見たほうがいい。縄文時代に行ったら、早速調査だ。あそこを調べるだけでも価値がある」
 ローデンは、初めて満足そうな顔をした。
「あんな崩れたものが、そんなに重要なのか?」
「人が見つからなくても、生活がしのばれる。それに、竪穴住居の穴だけじゃなく、柱や、屋根の構造も分かるというものだ。貴重な資料だ。
それより、人が映っていると嬉しいんだが。どんな顔で、どんな髪型、それに服装。どれひとつ取ってみても、証拠が少なすぎる」
「さあ、ターゲットが人間ならいいんだが…」
 山本は、難しい顔をした。
「後どれぐらい残っている?」
「一時間程度だな」
「悪いが、また早送りしてくれないか?」
「判った。景色はもう堪能したから、人探しと行くか」
 山本は、映像を早送りし始めた。モニターの右下の数字は、だんだんと小さくなっていった。
「止めてくれ!」
 右下の数字が、二〇メートルを切ったところでローデンは、草原を横切って何かが動くのをみた。山本は、咄嗟にエンターキーを押して映像を止めた。
「何だ? 猪か…」
 ローデンは、落胆したような声をあげた。草原の中で、猪が疾走する姿が映し出されていた。
「もう残り少ないが、先に進もう」
「そうだな」
 ローデンが同意すると山本は、映像を通常のスピードに戻した。次の瞬間、猪に矢が刺さった。ローデンは、目を輝かせて期待をもったが、モニターに現れたのは、自分たちが映っている映像だった。
「畜生! もう少しで、縄文人が見られたかもしれないのに…」
 ローデンは、悔しがった。
「おまえが、せかすからだ。もう一度探査機を送るか?」
「どうせ、俺が行くんだ。その時に、じっくりと観察することにしよう」
 ローデンは、楽しみは後に取っておくことにした。
「これからどうする? 俺は、ここで寝る」
「そうだな。俺も疲れた。泊めてもらおう」
「悪いが、ベッドなんて気の利いたものは無いから、そこのソファーで我慢してくれ」
 二人は、さっきコーヒーを飲んだソファーにテーブルをはさんで横になった。

「ローデン。もう寝たか?」
 山本は、数分してから小さな声で訊ねた。
「いや。遠足に行く前の子供みたいに、目が冴えて眠れない。」
 ローデンは、正直に答えた。
「その件だが、向こうに行っても無茶はしないでくれ」
「心配してくれるのか?」
「もちろんだ。それに、おまえに何かあってみろ。どう家族や警察に説明する? 3500年前に縄文人とトラブルがあって、事件に巻き込まれましたとでも言うのか?」
 山本のいつもの冗談めかす言葉を聞いて、ローデンは山本の心配している気持が分かった。山本は、真剣になればなるほどストレートに顔や言葉には出さず冗談めかした言い方をする。が、「何とでも言ってくれ。もう俺を止められないぞ」と、自分の決意の固さを逆にストレートに告げた。
 山本は、少し沈黙した後に、「その前に、準備をしておけ。念のために言っておくが、持って行くものは、自然のものにしておけ。もし、変なものを持っていってみろ、誰かが発掘することになるかもしれない」と、ローデンにもう一つの危惧を伝えた。
「その時は、俺が発掘するから安心しろ」
 ローデンは、冗談めいた言い方をしたものの、すぐに真面目な顔になり、「心がけておくから、心配するな」と、山本の心遣いに感謝した。
「そうだな。他の奴が発掘したら、オーパーツだと大騒ぎになる」
 山本は、そういって笑った。オーパーツとは、それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品を指す。英語の『OOPARTS』からきた語で、『out-of-place artifacts』つまり『場違いな工芸品』という意味である。日本語では『時代錯誤遺物』『場違いな加工品』と意訳されることもある。ローデンが持っていくものの中で、何か一つでも縄文時代に残して来れば、発掘した考古学者は、とんでもない技術が縄文時代にあったと大騒ぎするに違いない。
 ローデンは、山本の危惧が痛いほどわかった。自分がその考古学者の立場なら、オーパーツだと騒ぎ出して考古学の定説を覆す結果になるだろう。
「ところで、出発はいつ頃になる?」
 ローデンは、山本の言葉を無視した形で自分の一番知りたいことを尋ねていた。
「さっきのデータを調査して、問題がなかったら犬でも送って実験するさ。それで問題なければ真打の出番だ。ざっと、二週間後かな」
 山本は、自信のある声で答えた。 山本は、ローデンに自分の危惧を理解してもらったと勝手に解釈することにした。門外漢の俺が、考古学者のローデンに釈迦に説法のようなことを言ったかもしれない。と、少し後悔した。
「分かった。それまでに準備をしておく。犬を送るときも立ち会うから連絡してくれ」
「何があっても来るんだぞ。明日はおまえも休みになった事だし、ゆっくりしていけ」
「ああ。そうさせてもらう」
 ローデンは、遠足に行く子供のような気分だった。日本のアメリカンスクールにいた時の遠足よりも、彼の母国アメリカを生まれてはじめて見た時よりも、今度の時間旅行は彼にとって特別な旅行になるはずであった。

 生物を使った実験は、意外にも速く実現した。
三日後の土曜の夕方いきなり電話をもらったローデンは、すぐに車を走らせて山本の研究室に向かった。
 研究室に入ると、一匹の柴犬が檻のような箱に入れられて体中に電極を付けられて探査機が置かれていた場所に置かれていた。
「何だ? この箱は」
「いろんなセンサーやカメラが内蔵されていて、ジロウの健康状態が解るようになっている。ジロウは、犬の名前だ」
「おまえ。いつから犬を飼っているんだ?」
「知り合いの犬を休みの間預かったんで、ちょっと実験材料になってもらった」
「失敗したら、どうするつもりだ?」
「そんなことは考えもしなかった。自信はあるんだが…」
 山本は、少し考えていたが、「万が一失敗したら、逃げたことにでもするか」と、あっさり言った。
「おまえらしいな」
 ローデンは、いまさら山本の後先考えない言い方に呆れた顔をした。それがジロウには悪いが、山本の魅力の一つと言ってもいいかもしれない。
「心配は、失敗してからするとして。早速始めるぞ」
「ああ」
 山本はパソコンの前に座ると、真剣な顔つきになった。ローデンは山本の隣に置いてある椅子に座った。
「なんだか、わくわくしてくるな。初めての生き物だ」
 山本は、子どものように無邪気に喜んでいるような口ぶりだった。
「成功したら、次は俺の番だな」
 ローデンは、成功するのが決まっているような気になってきた。
「本当なら、もっとじっくりと実験をしたいところなんだが…」
 山本は、モニターを見ながら言ったあとにローデンに振り向き、「犬だけでは不十分ではないかと思ったんだ。まだ何も分かっていないも同然なんだ。たまたまタイムスリップができた。というのが実情だ」と、付け加えた。
 ローデンは、山本のいつになく慎重な口ぶりに少し驚いたが、「犬だろうが、猿だろうが、同じことだ」と、自然に口から言葉が出ていた。
 山本は、ローデンの真意が分からず無言でローデンを見て無言の問い掛けとした。
「人間が行かなければ、始まらない。犬に聞いたところで、答えるわけがない。誰かが危険を冒さなければならないとしたら、俺は喜んで行く」
 ローデンには、もう迷いはなかった。
「そうか、ありがとう」
 山本は、真剣な顔でローデンを見つめた。俺を信じてくれている。それだけで嬉しかった。必ず成功させなければ、という想いが山本を真剣な顔に自然とさせた。
「よせやい。速く縄文時代に行きたくて、うずうずしているだけだ」
 ローデンはそう答えたが、親友の山本を信頼しているから出た言葉だった。
「そうだったな。よし、おまえの為にも、成功させるぞ!」
 山本は、モニターを真剣な眼差しで見つめると、エンターキーを押した。
 タイムスリップのマシンは、前のように唸り始めた。
 柴犬のジロウは、ただならぬ気配を感じたのか、恐ろしい顔をすると、小さく吼え始めた。
「少しの辛抱だ」
 山本は、ジロウに言い聞かせるように言ったが、ジロウは鳴きやまなかった。
 しばらくすると、ジロウとジロウを入れた檻が光り始め、輝きを増していった。
「いよいよだな」
 ローデンは、呟いて唾を飲み込んだ。
「ああ。これで成功したら、人間を送っても問題ないはずだ」
 山本は、祈るような気持ちだった。もう後には戻れない。もちろん自信はある。探査機が無事に戻ったことで自信を深めてはいるが、人間一人をタイムスリップさせるのだ。それも、親友のローデンを…。
 成功させたいという気持ちと、ローデンには悪いが、失敗してローデンが縄文時代に行けなくなった方がいいのではないかとも思えた。気持ちが複雑に絡み合って、プレッシャーに押しつぶされそうになった。
 タイムスリップのマシンは、山本の気持ちとは無関係にタイムスリップのカウントダウンを始めた。
「もうすぐだ」
 ジロウの鳴き声は、何かに怯えているような唸り声に変わった。
 ジロウは、檻とともに一段と輝きをましてカウントダウンがゼロになった時に閃光とともに消えた。タイムスリップのマシンも、探査機のときと同じように何事もなかったように静まり返った。
「行ってしまった…」
 山本は、ジロウの消えた跡を複雑な顔で眺めた。
「心配するな。おまえの事だ、成功するに決まっている」
「そうだな」
 山本は、気のない返事をした。
「そんな事より、今日はどれぐらい待てばいいんだ?」
「予定では、三時間だ。三時間もあれば一通りのデータは取れるからな」
「成功したら、祝杯をあげよう。今日は俺がおごる」
「ありがとう。それまで一休みするか」
「コーヒーならいいぞ。今何か飲むと酒がまずくなる」
「分かった」
 二人は、この前のようにソファーに座って待つことにした。

「やった! 成功だ!」
 三時間後、日付が日曜に変わるころローデンは、ジロウの無事な姿を見ると飛び上がって喜んだ。
「そうだな…」
 山本は、これでローデンを止める事ができなくなったと悟った。
「どうしたんだ? 前は、あんなに喜んだのに」
「もちろん、嬉しいさ。しかし、おまえが第一号なんだぞ。怖くはないのか?」
「俺は、おまえを信じている。新しい事をやるのに危険はつきものだ。むしろ誇らしい気分だ」
 その時ジロウが、思い出したように鳴き始めた。
「そうだったな。苦しい思いをさせてごめんよ」
 山本は、檻を開けてジロウを檻から出すと体に付けた電極をはずした。ジロウは、身震いをすると何事もなかったようにおとなしくなった。
「祝杯をあげに行こう。くよくよ考えてないで、素直に喜べ」
 ローデンは、山本の想いが嬉しかった。そんな山本の沈んだ顔を見るのが辛かった。
「そうだな。俺は、天才だ。タイムスリップのマシンを完成させたんだ!」
 山本は、態度を変えて自分に言い聞かせるように言った。が、「今は、内緒のほうがいい。迂闊な事は話せない。発表する前に握りつぶされる恐れがある」と、付け加えた。
「そうだな。それがいい」
 ローデンも同意した。ローデンにも経験がある。学者というものは、頭がいいものの嫉妬深い一面がある。学閥に縛られて、悪くすると潰されかねない。
「発表したら俺は、一躍有名人だ! お前も、今以上に忙しくなるぞ! 講演やテレビに引っ張りだこになる」
 山本は、さっきとは打って変わってご機嫌になった。ローデンは、そんな山本の純粋さが好きだった。悪く言えば単純だが、どこか憎めない。そんな山本だから親友になれたのかもしれない。
「とにかく、祝杯をあげに行こう」
 ローデンは、思い出したように山本に言った。

 結局その日は、ジロウを残して祝杯をあげることになり、タクシーを呼んでいきつけの居酒屋まで出かけて行った。
 最初はローデンを気遣ってか煮え切らないような顔をしていた山本だったが、酒が回るといつもの山本に戻った。ローデンは、ほっとした。

 ローデンは、水や食料、リュックと縄文時代に持っていくものを調達し始めた。自然のものを探すのは思いの外骨の折れる作業になった。
 水やコーヒーなどは、缶や瓶ペットボトルは持って行けるはずはなかった。仕方なしに、紙容器にした。飲み終わったらすぐに燃やせば問題ないことだろう。燃やせなくても、自然に返る筈だ。
 食料は、缶詰やレトルトを持って行きたかったが、パンとハム・ソーセージで我慢することにした。パンは、フランスパンを新聞紙に包み替えて持っていくことにした。食器は、迷ったが土に埋めると分解する紙容器を買った。
 一番苦労したのが、食料を入れるリュックだった。様々な店のいろんなタイプのリュックを見て歩いたが、天然のものは少なくどこかにプラスチックや合成繊維が使われていた。友人の父が、昔登山に使っていたリュックがあることを聞きつけやっとの事で譲り受けた。
 持って行ったものは、全部持って帰るつもりである。だが、縄文人が好戦的でないとしても、縄文時代では何が待ち受けているか判ったものではない。身を守るために、リュックを捨てることも考えなければならない。ローデンは、様々なことを考えるうちに山本の忠告が真実味を帯びてきた。
 数日後の金曜から、二泊三日で縄文時代の旅に出かけることになった。当日、大学の講義が終わると、ローデンはその足で山本の研究室に向かった。
ジーンズ姿で、くたびれたリュックを背負って首からビデオカメラをぶら下げたローデンは、傍目にはハイキングにでも出かけるように映ったかもしれない。ローデンは、本当にハイキングに行くような気持ちだった。人生で、最高の旅になるはずであった。いや、最高の旅にして、これからの研究に役立てるいい機会だった。
 山本は、険しい顔でローデンを迎えた。開口一番、「考え直すなら今のうちだぞ!」と言ったものの、ローデンがいつもと変わらない顔をしているのに驚いた。
「おまえは、自信がないのか?」
 ローデンは、不思議そうな顔をした。
「そんな事はない! 犬だろうが、人間だろうが同じことだ。ただ、もう少し様子を見たほうがいいと思うようになっただけだ。相手は、他ならぬおまえだからな。それに、縄文時代が逃げるわけじゃないだろう」
「心配してくれるのは有難いが、もう決めたことだ。覚悟はできている。俺は独身だし、死んでも泣く人間なんていないから安心しろ」
「誰もそこまでは言っていないが、おふくろさんがいるじゃないか」
「おふくろなら、大丈夫だ。悲しむかも知れないが、真実を知ったら誇りに思ってくれるだろう」
「もう、止められないようだな…」
 山本は、ローデンの決意を感じ取って、「分かった。準備はできている。いつでも行けるぞ」と言った。
「ありがとう。俺も準備はできている。一応見てくれないか?」
 ローデンは、リュックを下ろして中を開けると、山本の顔を見ながら中に入っているものを一つ一つ取り出した。
「自然のものを探すのは、骨が折れるな。缶詰や、瓶詰めはあきらめた。水やコーヒーは、紙容器にした。飲み終ったら燃やすつもりだ。
特に苦労したのがリュックだ。見てくれ」
「やけに、くたびれたリュックだな」
「皮製だ。ファスナーなんて気の利いたものはない。一番気に入ったのは、プラスチックが使われていないことだ。なんせ、四十年前に作られたものだからな。金属の部分も、メッキはヤスリで剥がした。もちろん持って帰るつもりだが、誰が発掘したとしてもさびた鉄にしか見えないだろう。いや、日本の土の成分なら、こんな小さな金具ぼろぼろになって見分けがつかなくなっているはずだ」
 ローデンは、自信のある顔で説明した後に、「どうだ?」と訊ねた。
「合格点をやるしかないな」
 山本は、ローデンを真剣なまなざしで見た。
「ありがとう。このカメラだけは、肌身離さないから安心しろ」
 ローデンは、カメラを手に取って山本に見せた。
「判っているさ」
「さっそく、ツアーに出かけたいんだが」
 ローデンは、食料をリュックに詰め直しながら言った。
「判った。先に行っているから、準備ができたら来い」
 山本は、何を言っても無駄なことだと諦めてタイムスリップのマシンがある開かずの間に先に入っていった。
 パソコンの前に座ると、さっきと違って何か吹っ切れた気がした。どんなことがあっても、ローデンを無事に現代に戻してやる。成功させてやる。今までの不安は影を潜め、何か闘志のようなものが沸いてくるようだった。
 ローデンは、いつもと変わらない様子で開かずの間にやってきた。何の気負いもなく緊張した気配もなく、当たり前のように、探査機やジロウがいたところに立つと、「これでいいのか?」と、山本に声をかけた。
「ああ。ところで、気分はどうだ?」
「普通だ」
「おまえは、人類で初めてタイムスリップするんだぞ」
 山本は、呆れたような声を上げた。
「俺に、興奮しろとでも言うのか? それとも、何か特別なコメントでもしろと言うのか?」
 ローデンは、不思議な顔をした。
「そうじゃないが、何か物足りない」
「これは、映画じゃないんだ。でも、発表したら凄い事になるぞ。それまで我慢しろ」
「そうだな。名残惜しいが、そろそろ始めるぞ」
 山本は、まじめな顔でローデンを見た。
「ああ」
 ローデンは、神妙な顔つきに変わった。
 山本は、自信をすっかり取り戻していた。
「頼むから、無茶なことはしないでくれ」
 山本は、念を押すように言った。
「分かっている。おまえに言われたことは、肝に銘じておくから安心しろ」
「あさっての午後二時に戻すから、荷物は肌身離さず持っていろ」
「分かった」
 ローデンは、くどいと思いながらも、山本の気持ちが嬉しかった。
「じゃあ、カウントダウンを始めるぞ」
 山本は、エンターキーを押してから、「一分前」と言ってローデンを見た。
 ローデンの後ろのガラクタの山は、前のときと同じように唸り始め、発光ダイオードの光が、ローデンの後ろで忙しく点滅し始めた。
「45秒前」
 山本は、カウントダウンの数字を告げた。額からは、汗が出始めた。もう少しだ。もう少しの辛抱だ。山本は、心の中で自分に言い聞かせた。
 ローデンの体が、光り始めた。
「ローデン。光り始めたが、気分はどうだ?」
「別になんともない。俺は、光ってるのがわからない」
 ローデンは、自分の体を見て答えた。
「そうか…」
 山本は、少しほっとした。視線をモニターに移すと、カウントダウンの数字が30を切ったところだった。
「後30秒ほどだ」
 ローデンは、初めてタイムスリップの実感がわいてくるのを感じた。
「15秒前…」
 時間は、刻々と迫ってきた。ローデンは、一段と輝きを増し始めた。
 ローデンは、緊張し始めた。タイムスリップが近づくにつれ緊張は高まり、心臓の鼓動が聞こえてくるような感覚を覚えた。ガラクタの山は、ローデンの緊張を煽っているように一段と高い唸りを上げた。緊張のせいなのか? それとも、タイムスリップのせいなのか? ローデンには見当もつかなかった。
「10・9・8、いよいよだぞ」
 山本は、ローデンを見た。
「ああ。あさっての午後二時に会おう」
 ローデンの輝きは、ピークに達し、閃光とともに姿が消えた。
「行ってしまった…」
 山本は、ローデンの立っていた場所をしばらく眺めていた。ガラクタの山は沈黙して、時折、発光ダイオードが点滅するだけとなっていた。この点滅が、ローデンの位置を現代に知らせてくれている唯一つの情報である。山本は、問題なくデータが送られてきていることを知ってほっと胸をなでおろした。
 成功したはずだ。いや、成功は間違いない。と自分に言い聞かせては見たものの、一抹の不安を拭い去ることはできなかった。
 山本は、ローデンの顔を見るまでは気を抜けないと思うと帰る気にはなれず、研究室に寝泊りすることに決めた。

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(手違いで、幕末の江戸にタイムスリップするローデン)


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