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【CASINO】日本がまだ知らない世界の実現に向けて

はじめまして、高坂裕紀といいます。ただ、じゅにあ(@kjuningo)と呼ばれていて自分の本名を知る人間などあまりいないです。笑
以後「じゅにあ」でよろしくお願いします。

はじめましての方も多いと思いますので、軽く自己紹介をしたいと思います。
自分は現在『BLOW』というアミューズメントカジノ店舗を、東京を中心に展開しています。
現在稼働しているのは3店舗ですが、あと6店舗は契約が決まっているので、計9店舗になります。(内訳は直営が2店舗、FCが7店舗)
3月より順次オープンしていく次第です。
(画像、BLOW 心斎橋店)

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アミューズメントカジノとの出会い

さて昔の話を少ししたいと思います。
自分は中学の時ビリヤードが大好きで、近所のビリヤード場に父親がよく連れて行ってくれました。マイキューを買ってもらい、試合に出場するくらいには親子で熱中していました。

ある時、その近所の行きつけの店に、カジノゲームが導入されます。そこでカジノゲームと出会います、記憶が正しければ中2の時です。ただのビリヤード場がアミューズメントカジノ&ビリヤードバーに変わったのです。
自分は、興味津々でした。

システムを聞くと、遊ぶためにはまず、チップを購入しなければいけません。そして、そのチップは換金できません。(日本でそれをしてしまうと違法なので)ただ、勝って増えると店に預けることができます。次来た時は、無料で引き出せて、無料で遊べるので、メダルゲームとシステムは、ほぼ一緒だといっていいでしょう。
メダルゲームが大好きだった自分は、「大人なメダルゲーム」というような印象で、とても興奮したことを覚えています。

カジノテーブルに座っている綺麗なディーラーさん
大量に積み上げられているカジノチップ
シューターボックスからでてくるトランプ

見たことのない世界を目の当たりにした自分は、もちろん父親にねだりにねだって、チップを買ってもらいます。笑
そこで父親と二人して、ブラックジャックというカジノゲームを覚えました。
とりあえず興奮しすぎて、その日の記憶はあまりありませんが、全然寝付けなかったことだけは覚えています。

それから毎週土曜日は、父親が店に連れて行ってくれて、ビリヤードをしてカジノゲームをする、というのが自分の人生の楽しみになっていました。
ブラックジャック以外にも、バカラ、ルーレット、というゲームがありました。もちろん好奇心旺盛な自分は、全部のゲームをすぐに覚えました。
(画像、BLOW北新地店)

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間違いなく人生を変えた、ポーカーとの出会い

そして高校1年の時、間違いなく自分の人生を変えた『ポーカー』との出会いです。もうしっかり自分たち親子が常連になっていた店に、ポーカーが導入されます。はい、衝撃の面白さ。すぐドハマりです。

どれくらいハマったかというと、ポーカーのやりすぎで、通っていた進学校も休みがちになり、勉強についていけなくなって、辞めて、通信制・単位制高校に編入して、親にクソ失望されるくらいにハマッてしまいました。
ブラックジャック、バカラ、ルーレット全て大好きだったのですが、それ以上にハマりました。

その要因はハッキリとわかっていて、上記の3つは全て、VSディーラーでした。ただ、このポーカーに関しては、VS他プレイヤー達です。
子供の自分が、大人とカジノテーブルの上で、身分も何も関係なく、対等に勝負できること、そして負かした時の気持ちよさに快感を覚えてしまったのです。

ここから沼の始まりです、

毎日ポーカーしたい→お金が必要なのでバイトする→バイト終わってから店で仲良くなった人たちとポーカーする→夜遅くまでポーカーしてたので、朝起きれなくて学校に行かない。

8時間授業後に、100分の補習授業があるようなガリ勉高だったので、当然授業には、ついていけなくなります。
こうなるともう終わりです。
高2の頭に辞めさせてもらい、通信制・単位制高校に通わせもらいます。(高卒の資格を取るために行くような、学校と呼んでいいのかさえ微妙なところです。)

こうなるとポーカーし放題、何も考えず毎日ポーカー、家では父と姉の視線がゴミを見てるように見えました。(今はめちゃくちゃ仲良いです笑)

高3にもなると、ポーカーで出会った年上の色んな知り合い、友達ができます。
その時に仲良くなったのが、POKER GUILDの代表のトミテン(@tommy0403tommy)こと富田です。(主にアキバギルドのグループです)

一緒に大阪中の、時には県外までポーカーをプレイしに、色んなアミューズメントカジノに行きました。

そして高3の冬、富田がこう言ってきました。
「APPT MACAUというポーカーの大会があるから一緒に行かないか?」と。

この大会はPOKER STARSというオンラインポーカーサイトが主催している大会です。 自分の記憶が正しければ、その大会のメインイベントへの参加費は約300,000円...... 高3の自分にはデカイ...... 
しかもその大会に行くと、高3の冬にある特別課外授業?みたいなのに出席することが出来ず、留年することになるという。。。 
よっぽど頭が悪くない限り行くはずがないんですが、自分頭悪いから行っちゃうんです、はい。
※ちなみに当時は18歳からマカオのカジノに入場できたのですが、今は21歳からとなっています。

そしてマカオに行ってカジノの華やかさ、世界の広さ、ポーカーの楽しさなど色々な刺激をうけ、なんとなく大学に行って、なんとなく就職するのかな、と思っていた自分の人生はガラっと変わっていくことになりました。
(ネットに辛うじて残ってたその大会での自分と富田、顔映ってないけど)
10年前か。。。。。。)
※当時のことを詳しくここで書くと、ものすごく長くなってしまいそうなので、また追い追い書いていくつもりです。

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第一の人生『ポーカー』

それからはポーカー一色の人生でした。
ラスベガスマカオオーストラリアスペインチェコ・・・・・・
などなど、挙げだしたらキリがないくらい色々な国で、色んなポーカープロを相手にプレイしました。

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そんな中でも自分のポーカーの強さ、戦っていたフィールドは世界最前線まで上り詰めたと思っています。
これは決して調子を乗って、大口を叩いているわけではなく、事実だと思います。自分はメディアに露出するのが嫌で、全然露出しなかったので、ここ数年でポーカーを覚えた方などは、自分のこと認知してない方も多い気がします。ただ皆様の周りで、ポーカー強いといわれてる方々に聞いていただければ!笑

まあ、話は逸れてしまいましたが、毎日、ただただひたすら、勝ち負けの日々を過ごしてきました。

寝る間を惜しんで、プレイし、日々成長して、昨日倒せなかった相手を倒して、世界のトップまで上り詰めめようとしてました。
毎日21時間半プレイしていた時期もあり、そのせいで別れた彼女も居たな・・・笑

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そうしていくうちに、ある程度のところまで来てしまい、そう思えるライバルがいなくなってしまったんです。
そうなると、ポーカーに対して以前ほどの熱量をキープすることも難しくなり、自分が何をしたいのかわからなくなりました。

気づいたら、朝起きてため息から始まる日々でした。
(当時の自分をしっている人間は、今の自分を見ると、本当に明るくなったといってくれます。それくらいには、にじみでていたんだと思います)

どうすればよいかわからない日々が続き、とりあえず周りの人間に相談しまくりました。
幸い22歳から東京に住んでいた自分は、ポーカーを通じてできた知り合い、友達が増えてました。
経営者、アーティスト、youtuber、芸能人などなど多種多様な方々です。
「こんなサービスをつくりたい!」「東京ドームに立ちたい!」など、デカイ事を成し遂げようとしていて、皆キラキラして、羨ましかったです。
自分に良い刺激をくれるような、素晴らしい存在でした。

その方々を軸におそらく1年くらいかなあ、ひたすら色んな人に会って、何をしたいのかを探して、したいことがないことも相手に相談したり。笑
ただ、何も見つからず時間だけが過ぎていきました。
今思い出すとこの期間が一番つらかったかも。。。


三宅との出会い

少し話は戻りますが、自分達親子が常連だったビリヤード場を買い取り、アミューズメントカジノを導入した人物が『三宅さん』という方です。(以後三宅)
たまに店舗にも来ていたので、面識はあったのですが、仲良くなったのはマカオだった気がします。
自分の店舗のお客さんと一緒にマカオに来ては、一人で黙々とポーカーをプレイし続けてる変わった人でした。笑

三宅はそれ以降も色んな店舗を作っては売ったり、他のアミューズメントカジノにコンサルで入っていたり、カジノ用品を販売していたり、手広く事業をなさってました。

歳の差は結構あるものの、やはり自分の人生が変わるきっかけになった店を作った人というところから、どこか安心感とリスペクトがあり、よく人生相談にも乗ってもらってました。

そんな三宅にポーカーを最前線でやり続ける熱量が少し落ちてきた、と話をしたところ、こう言われました。
東京を中心に、BLOWを本気で日本全国に展開していこうと思ってる。5年後10年後、誰もが知ってるモノにしたい」と。

なぜかビビっと来ました。これだ!!!と。

自分の人生を変えるキッカケとなったアミューズメントカジノ。それを作った人と共に日本全国に展開して、カジノをまだ知らない人々にカジノの素晴らしさを伝えたい!と。

それまでまったくそんな風に考えたことは無かったのですが、タイミングの問題かなぜかわからないけど、もう気持ちは完全にそっちに持っていかれてました。

そうなって思い返すと、自分が人生で感動したものといえば、間違いなくカジノ。です。

自分の尊敬する起業家の友達にも相談したところ、
「今までじゅにあさんがやってきたこととの関連性、実現できそうな現実性を考えても良いんじゃないでしょうか」との答えをもらうことが出来ました。

前出の自分の友達や知り合いがなぜキラキラしてて、羨ましかったかというと、他者に感動を与えれるようなことを、していたからです。
それが自分にはなかったので本当に羨ましかったんです。

それを自分の手で日本中に広められたら最高だな、と考えるようになり、三宅に是非一緒にしましょう!!!!!
と伝えたところ、快くOKを頂き、今に至ります。
ちなみにこの頃は、BLOW1号店を三宅が、大阪の北新地に出したところでした。
(画像、APPTのタイトルを同日2つ優勝した人生奇跡の日、とそれを三宅にBLOWで祝ってもらってる)

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それから少し時が経ち、決意も完全に固まり、2020年の6月、まだBLOWが1店舗だった時に株式を取得させて頂きました。

ここからが自分の第二の人生が始まりです。

今、なにをしているか。

現在我々がやっていることを、軽く紹介させていただきます。

アミューズメントカジノ【BLOW】の店舗展開
②カジノ用品全般の販売
日本カジノディーラースクールの運営

については、冒頭の挨拶でも述べましたが、現在稼働している店舗は3店舗、契約済みで内装などを手掛けている段階の店舗が6店舗の合計9店舗になります。
内訳は2店舗が直営店、7店舗がFCとなります。
それと並行して、ビルに側に申し込みを入れている物件も数店舗ある状態です。コロナの関係で中々オープンできずに長引いていました。。。

ですが3月の恵比寿店のオープンを皮切りに、順次オープンさせていく予定です。
ばりばりフランチャイズ展開してますので、ご興味ありましたら、是非メッセージください!

については、トランプからカジノテーブルまで、カジノにあるほとんどの物をBLOWのFC店舗はもちろん、他社のアミューズメントカジノ様、個人様にも販売しております。
販売ページは現在作成中でして、まだありません。少々お待ちください。

については、カジノディーラーの養成学校です。
将来的に日本にカジノが出来た時に、働ける為のスキルなどを、プロが教えしいます。アミューズメントカジノへの就職にも有利に働くことでしょう。

現在コロナで止まってますが、コロナが落ち着いたら全速力で拡大していこうと思っています。
よろしくお願いします。

具体的にどういうことをやるかを、ここに書いてしまうと、かなり長くなるのでHPを参照して頂ければ、幸いです。


僕たちが目指すビジョン

2016年12月、統合型リゾート(IR)整備推進法案、通称「カジノ法案」が成立しました。わかりやすく言うと、長らくカジノを違法としてきた日本で、遂にカジノが解禁されるということです。
いつできるかと言われれば、2025年という人もいれば、コロナで遅れたので2027年という人もいます。

何箇所にできるかというのも、2~5と色々な情報があります。場所も色々な情報があります。定かではありません。

いつ、どこに、いくつ、はっきりとはわかっていませんが、間違いなく、そう遠くない未来です。

遂に日本にカジノが出来るのです、、ワクワクしてたまりません。

カジノ解禁が近づくにつれて、どんどん注目されていくことだと思います。

ただ、日本の方々からすると、カジノを知らない人のほうが多いはずです。
自分からすると、カジノというものは、すでに自分の人生とは切り離せないものですが、ほとんどの日本の方は、いまだカジノに触れたことがないと思います。
そんな方々に、カジノの非日常感を疑似体験できるような空間を、提供していきたいと思ってます。

いざカジノが解禁されても、日本に数か所と少ないので、そう頻繁に行けるものではないと思います。
将来的にカジノでゲームを覚えた方々が、カジノで遊びたいという欲も、我々が満たすことができれば最高だな、と思っています。(画像、心斎橋店)

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それともう一つ、カジノ解禁にあたって忘れてはならないのが、ディーラーです。
現在日本にはカジノがありません、なのでカジノ解禁までにディーラーを育てないといけません。

カジノには絶対にディーラーが必要です。
ディーラーが居ないと、ゲームができません。
言い換えれば、カジノがある限り、ディーラーという職業はなくなりません。我々はそう考え、日本カジノディーラースクールを立ち上げました。

日本にカジノが解禁されるとなると、何千人もの雇用が必要となります。
ですが今の現状、日本にカジノが解禁されても、全くその人数には満たしておりません。
ディーラーというのは、間違いなくこれからの時代、需要がある職種だと思います。
我々が日本最大のディーラースクールをつくりあげていき、そのお手伝いを少しでもできればな、と思っています。


最後に

軽く書こうとしていたのに、かなり長くなってしまいました。
まだまだも書きたいことが、沢山ありますので、これからnoteの更新は続けてみようと思います。

それがポーカーの戦略のことか、カジノのことか、ディーラのことか、何なのかはわかりませんが、発信していきたいなと思っています。

あ、ちなみにポーカーを最前線で戦い続けることに、少し疲れてしまっただけで、今も変わらず大好きです。ポーカーのことは何よりも愛しています。

タイミングが合えばふらっと海外の大会にも行くでしょうし、BLOWでもPLAYすることもあると思います。

どこかのポーカーテーブルで一緒になった時は、お手柔らかにお願いします。笑

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