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結局は歌の導き

推しの姿を借りた神様的な何かの声が、脳内から聞こえてきた。

「そのままの君でいて」
「お願いだから、違う人にならないで」

それ以来、私は無理して背伸びするための努力をやめた。私が本来やらないはずのことや、今の時点ではむしろできない現実こそが私であることを、ゴリ押しでできるようになってしまっては、自分ではない別の人になってしまう。

無理やり何かをやろうとすることへの違和感を強く感じて、とにかく自然体でありたかった。


でも逆に、本来の自分ならできること、やる必要のあることをやらないことだって、自分であることを拒否していることに他ならない。

わかっているつもりだった。

私の年齢の三分の一ぐらいの友達に、説教されて笑ってしまった。説教というのは半ば冗談だが、何の不純な思いもためらいもなくスパッと、かたくなに閉じこもって扉から出ようとしない大人に、率直な言葉を投げかけてきた。

「今は書きたいことが特にないから、それが出てきたときに飛び込んでどっぷり書いてみたい」
「日記とかでも、書いてみたらいいじゃん」

「無理にやるもんでもないから、色々と良い風が吹いてきて自然にできるようになるのを待っている」
「自分から飛び込んでみないと」

そして、君がつぶやいたひと言からはじまったワンシーンが一番心に刺さった。

「作詞とかもできそう」
「昔ちょっとやってたんだよ、曲作ってたの」

その時の君の表情はちょっとすごかった。

驚きを前面に出し、ものすごく興味をそそられること、でも扉を閉めている私にそれを言えないことを察して息を呑んだこと、そういった色々な感情が去来しているのが一瞬の間に見えた。それ以外もあるかもしれないし、そもそも自意識過剰かもしれないけど…「聞きたい」というシンプルな心を私は受け取ってしまった。

あんな表情をされたら、やらないわけにはいかない。


できる(かもしれない)ことをやらないことへの罪悪感が、ひとりになった帰り道、胸の中にじわーっと広がっていった。

受け取り力のおそろしく高い、信頼できる君が感じたことだから、何につながるかはわからないけどきっと必要なことなんだと思う。罪悪感をゆっくりハグして溶かしたら、今度は新しい原動力をもって、ひと言でも紡ぎ出すことから始めよう。君の説得力のある歌声がリフレインする。

「信じてみる 信じられる」

はあ。まったく、うまく出来すぎである。


磨ききった文章ではないことは承知だが、この勢いを今記しておきたく、この後投稿ボタンをひと思いに押す所存である。

しかし書いてみて思ったのは、こんなに友達が私に意見を投げかけてくれたこと自体が、もう本当にありがたい。興味津々、相互作用。

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