教えることと伝えること。
うちの会社では毎年この時期になると、
入社2年目の人達が2年間の成果を発表する研修を行います。
発表自体は研修生のものですが、当日までは同じグループの人達も手伝います。
私は去年、研修生として経験済みで、今年はお手伝いする側でした。
方向性の決定や、途中経過の確認、発表資料のレビューなどなど...
今回の研修で、私は教える側の難しさを知りました。
「教える側」というとなんだか違う気がしますが、
「研修を受ける側」ではなく、
「アドバイスとして一つの案を出したり、困ったときに方向性を示したり、資料のレビューをしたりする側」といったイメージです。
正直、とても難しかったです。
一番難しかったことは、
「やり方を教える」ではなく、「方向性を伝える」こと。
資料をレビューする中で、それぞれのアドバイスの内容が分類できることに気づきました。
「こうしたらいいんじゃない?」 という「やり方」。
「こういう考え方があるよ」という「方向性(考え方)」。
私はというと、やり方の提案が多かったように思います。
研修生の意図を汲み、そしたら私はこうするかな?と思いながら
「ああしたほうがいいんじゃない?」「こうしたほうがいいんじゃない?」と発言。
その発言が話を進めたこともありましたが、
研修生の意思を無視した提案になっていることもあったように思います。
そして、「方向性」の提案はできていないことに気づきました。
そもそも、発表は研修生のもの。
そのため、私たちがやるべきは、「ぼんやりしたイメージの輪郭をはっきりさせること」
このことに、同時に気づきました。
「私だったらどうするかな?」の思考が、これらの発言の根底にあることにも気づきました。
それ後は、言い方をあいまいにしてみたり、疑問形にしてみたり、自分の提案に至るまでの考え方を詳しく説明してみたり、試行錯誤しました。
何がどのような効果があったかは、この短期間では正直わかりませんでしたが、
去年の先輩たちも大変だったんだな、ということがわかりました(小並感)。
少し話は変わりますが、
私は学生時代、塾講師のバイトをしていました。
そのため、答えがあるものへの道筋を「教えること」が身についていました。
人に何かを伝えるとき、「教える」思考になっていたように思いました。
勉強以外の世界では正解が一つではありません。時や場所、人ごとに正解があります。
今後、自分に必要なのは、意見や情報を「伝えること」だと改めて感じました。
最後まで読んでいただきありがとうございます:)