プログラミング教育を通じて、目指す学びを考える

過去のブログの移植記事です(2018/11/28掲載)

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5年生の男女3人で取り組んでいるオリジナルゲーム作りが着々と進んでいます。ゲームのオープニング部分ができて、私も子どもたちも、ますます続きを作るのが楽しみに。

素材やキャラクター作りをずっと行なっていて、いよいよコーディングに取り掛かったところなので、まだこれしかできていませんが、自分たちが考えた世界で自分たちが作ったキャラクターが動き出したことで、子どもたちにもますますやる気がでてきたようです。


今、5年生の子たちがやっているプログラミングは、ゲームの設定も、キャクター作りも、動きも、全て子どもたちでアイデアを出し合いながら考えています。

見守っている立場の私は「みんなの認識を共有するために、まず紙に絵を書いた方がいいんじゃない?」とか、「そこは役割分担してみたら?」などといったやりかたの提案や、とりかかりのための背中を押すことはしますし、コーディング(といってもブロックの組み替え)をどうしたらいいのか悩んでいる時に「このブロックを使えばいいんじゃない?」なんて教えることはあるけど、本当にそれだけ。

ゲーム作りを始めてからは、空間と機材を提供し時々聞かれる質問に答えたり、ルールや倫理を教えたりすることが私の主な役割となっています。

プログラミングは誰にでも適性があるわけではなく、また、みんながみんな面白いと思えるものでもありません。しかし、1つの動きを実現するために知るべきロジックと具体的な命令、そしてパーツとなるオブジェクトは何か、を、関わる全ての子供達がみな把握している方が、結果として効率よく進みます。そういう観点から、プログラミング教育が必修化される未来に対して肯定的に受け止めています。

しかし、プログラミングを学習したすべての子が、プログラミングをできるようになること、という「結果の平等」をゴールにしてしまったら、当然ながら落ちこぼれる子が出てきてしまいます。

そして落ちこぼれてしまったその子がプログラミングを通じて得られたことは、自分にはプログラミングを面白いと思えず、適性がない、という気づきだけ。

もちろんそれはそれで大切な学びなのですが、私の授業で子どもたちに学び取ってもらいたいのは、それぞれがそれぞれに自分の強みと弱みを知り、強みをどう活かして弱みをどう補うか、そして課題にどう取り組んでいくのか、という自分で考える力をつけること。

子どもたちを見ていると、それぞれの得意とするところで役割を自主的に引き受けて、補完しあうことで、全体のクオリティをあげながら完成という共通のゴールに向かって、子どもたちが自ら進んでいくことができます。

子供の個性を大事にしながら成長を促すために私たち大人がすべきことは、「機会の平等」を与えて「結果の平等」を求めすぎないこと。そして評価を習熟度、達成度だけにおくのではなく、子供の満足度を大切にすることなのではないかと思います。

1人1人が全体を知りその骨組みを知り、そして自分の得意を認識してチームに貢献出来れば、成し遂げた達成感と自信は1人1人が味わうことができるるものです。そう考えてグループワークをテーマに、その場所づくりを今年は積極的に行なってきました。チームで挑むからこそ大きなものに取り組むことができ、また出来上がった時の喜びを分かち合うことができます。

その体験が次なるチャレンジに挑む力になるであろうと信じて、これからも学びの場作りを行なっていきたいと考えています。



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