見出し画像

虚構(コンテンツ)と現実(配信者)の先進的縫合事例 イベントレポート「さなのばくたん。-ハロー・マイ・バースデイ-」

※この投稿は2023/03/07のイベントについて取り扱っています。本来は1か月前に投稿されるべきであったのですが、すっかり忘れていたのでこっそり投稿します。いまだに不完全燃焼ですが、とりあえず見切り発車で出します。そうしないとこのイベントに対する感情の整理がつかない気がするので。

以下本文。

1年ぶり(公式発表)の名取さなのバースデーイベントに現地参加したら、無事に感情が破壊されましたのでそのご報告です。

この名取さなという配信者、そして、コンテンツを消化できる人がいるのか、疑問はつきませんが、消化には至らずとも少なくとも嚥下はしたいという思いから、筆を取っています。乱文ご容赦ください。

イベント終演直後の私

まず終演直後の私。

いまだに主人公に裏を書かれた敵組織の幹部みたいな顔をしていますし、この感情の整理に少なく見積もって5連休は必要なのですが、とりあえず書けるところからどんどん書いていきたい。クソデカ感情を処理するためにはとにかく書き出すしかない。

既にTwitterで考察班が動き始めていて、過去のツイートから伏線を回収していっている人たちがいる中で周回遅れの文章を書いてしまうことを懸念していますが、一旦ご容赦下さい。散文乱文申し訳ないです。

このイベントの意味

ちょっと落ち着いてきたので、少し冷静に話をします。

まず「名取さな」というコンテンツを理解するためには、そのバックストーリーを知る必要があります。その説明は偉大なる先人のせんせえ達(名取さな考察班)に譲りたいと思いますので、以下のWebサイトをご参照ください。

私は(おそらく一般的な解釈ではないかなと思いますが)「バーチャルYoutuberとしての名取さな(17)=入院している名取さな(25)が治療の一環として行なっている活動」と考えています。つまり、名取さなには「公式に」中の人がいるという考えです。この名取さなの中の人を便宜的に「裏名取」と呼び、VTuberとしての名取を「表名取」と呼びます。

裏名取は「名取さな」という存在を語る上では欠かせないものの、それ自体は不穏なものとして漂い、「名取さな」に深みを出すための要素として機能していました。実際に真っ正面から裏名取について表名取から語られたことは(少なくとも私の知る限りは)なく、どこか不気味な雰囲気でありました。そして、「名取さな」に終わりがあるとするなら、それは裏名取を含むストーリーが終わるときなのだろうと考えていたせんせえも少なからずいるのではないでしょうか。少なくとも私は、この伏線が回収されるときが、「名取さな」が「名取さな」でなくなるときなのだろうと勝手に解釈していました。従って、コンテンツが続く限り、当分裏名取について触れられることもないのだろう、そう思っていました。

しかし。今回、「名取さな」は生誕祭イベントという究極のメン限といってもいい場所で、裏名取を表舞台に引き摺り出して、その悩みの解決するという、その存在の根幹と向き合うショーを我々に見せてくれました。本当はこの部分をしっかりレポートしろよという話なのですが、あまりに衝撃的過ぎて記憶がほぼ抜け落ちてます。早くイベントのアーカイブ配信してくれ(※4/9追記。実際はイベントのアーカイブ配信を4/2までやっていたのですが、心の準備ができず見られませんでした。弱すぎる)

これはもはやヒューマンドラマ。ここで初めて、表名取と裏名取が文字通り向き合って、その統合を果たす儀式だった。それが「ハロー・マイ・バースディ」に隠された意味。そして、名取さなが「今日がわたしの誕生日!」(普段一人称として使う「名取の」ではなく)といった真意だったのではないか。そこに思いを致すとき、私はどういう言葉を紡げばよいのか分からなかった。

メタ的に考えると、名取さなはどこかで裏名取の伏線を回収しないといけなくなったのかなと感じました。表名取だけがどんどん大きくなっていく中で、このギャップを放置しておけないと思ったのか、あるいは、かなり早い段階から5年目のタイミングでこのストーリーを考えていたのか…。いずれにせよ、このエンディングを迎えることを知っていてイベントを進めていた名取さなは一体何者なのか、考えるだけでも勇気が凄いし、お見事と言わざるを得ません。

この脚本は、「名取さな」にしか書けない。

裏名取の存在は名取さなにとってコンテンツを無事に終わらせる為の最終安全装置であった。その安全装置が解除された今、一体どこに行ってしまうのか想像もできない。どこかのせんせえが言っていたが、夏祭りのイベント告知がなければどうかしていただろう。また、同時視聴配信でどう振り返るのか、今から楽しみである。

先進的縫合事例

このショーのすごいところ、それは現実(配信者)としての建前を保ちながら、虚構(コンテンツ)としてのストーリーを見事に魅せてくれたことに尽きます。ここがポイントで、それぞれのエッセンスが活かされたままなんですよね。なので、ふたつのものが合体して新しいものが生まれたという融合ではなく、ふたつのものが合体したけど、それぞれが息づいている縫合という字を使いました。

Vtuberは、特に近時において顕著な傾向ですが、ある程度のリアルタイム性を要求されるその内在的制約から、キャラとしてのストーリーを演出しづらいことは論を俟ちません。その文脈で、キャラを崩すことなく、ストーリーを書き上げた今回のイベントは他に類を見ないものだったと思います(他のVtuberを数多く知っているわけではありませんが)。

いまだに思う。「やってくれたな…!名取!!」と。

本当はもっと書くことあるんじゃないのか、もっと書きたい!と思うこともあるのですが、いったんここで終わりにしたいと思います。尻切れ補ですみません。

今後このコンテンツがどうなってしまうのか、恐る恐る、そして、わくわくしながら、見ていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?