保育を学び、子どもたちと触れあい、「未来」よりも「未来に繋がる今」のほうが大切だということに気が付かされた。輝かしい未来を願っても、そのために今を生きる人々がまるで犠牲のようになることは、違うと思う。これはある意味で、カラマーゾフの兄弟における「大審問官」に通じるようにも思えた。

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