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ー縄文源流主義ー その1

ワラスボ(藁素坊、藁苞、Odontamblyopus lacepedii)
(Wikipedia)
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佐賀市 WRSB ワラスボ 公式サイト WARASUBO ALIEN OF ARIAKE
ワラスボ(藁素坊、藁苞)
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ワラスボ(藁素坊、藁苞)は有明海にのみ生息・・・ 
 
北海民話「うそつきノーランド」より
沖縄県那覇市の「漫湖」に潜むエイリアン魚「チワラスボ」
「うそつきノーランド」より
漫湖・・・(◍˃̶ᗜ˂̶◍)ノ" 
漫湖水鳥・湿地センター
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漫湖公園
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ラムサール条約登録湿地:漫湖
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地図:漫湖
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全体図:漫湖
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漫湖の見所・・・
漫湖の湿地帯・・・
漫湖に生えるマングローブ(生命のゆりかご)
川の向こう側:漫湖  川の手前側:漫湖
ま〇こ
チワラスボ属の1種
Manko Wetland(注:湿った漫湖)
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マンコ・カパック
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マンコ・カパックまたはアヤ・マンコ(ケチュア Manqu Qhapaq・ Ayar Manqu)
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ペルーにある国際空港の「インカ・マンコ・カパック国際空港」の元となった人物でもある。
(Wikipedia)
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ワラスボ(藁素坊、藁苞)
(Wikipedia)
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インカ初代皇帝「マンコ・カパック」「チチカカ湖」(父母湖)に降臨した!!
チチカカ湖(チチカカこ、スペイン語: Lago Titicaca)またはティティカカ湖は、南米大陸 アンデス山脈のペルー南部とボリビア西部にまたがる淡水湖。アルティプラーノの北部に位置する。
(Wikipedia)
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子供の頃、祖父母からインカ帝国を作ったのは日本人だと聞いていました。
※インカ帝国に降臨したのは縄文人
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昔のペルー人は日本人と同じ目頭の形をしています。
この本にはインカの人々は日本人の末裔だったという説が書かれています。
インカ帝国を作ったのは日本人(縄文人)だった。
キープ(スペイン語: Quipu、ケチュア語:khipu)は、インカ帝国で使われた紐に結び目を付けて数を記述する方法。ケチュア語で「結び目」を意味する [1]。キープは紐の結び目の形で数を表現する結縄(けつじょう)文字の代表例である。
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縄文土器の土器模様は「縄」と「藁(わら)」
土器模様、その物に「文字情報」が含まれていた!!(仮説)

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キープ(スペイン語: Quipu、ケチュア語:khipu)
結縄(けつじょう)文字
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縄文土器研究分野における「なわ」の撚りの方向の定義
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キープ(スペイン語: Quipu、ケチュア語:khipu)結縄(けつじょう)文字は「インカ帝国の文字」であったが、これは、日本の「”縄文”」から伝来した可能性が非常に高い。

ヾ(๑╹ꇴ◠๑)ノ" てか、絶対そうでしょ。

そして古代文字が「結縄文字で」あった理由は「文字を残す」と危険だから!! 

「文字を残す」 

この行為は非常に危険を伴う。 

人類が発明した「文明の利器」は時に「大きなリスク」をもたらして来た。

「文化」や「民族の秘密」 例えば「食料の備蓄場所」など重要で、かつ致命的な情報を残す事になりかねない。

現代でいうと「マイナンバー」や「個人情報」そして「スマホ」の中身を全て覗かれるような物・・・

「文字」も又「人類の英知」であり大発明。 

古代は、使い方によって大変、危険な物であったと考えられる。

古代民族にとって「大事な情報を奪われる」という事は、強奪や、殺戮、引いては壊滅に繋がる恐れがあったのではないだろうか。

このため「文字を残す」という方向には至らなかった。

人類の経験上、むしろ文字は隠すものであり、出来れば残らず、消えてしまうような物がベストであった。(仮説)

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安政の大獄で、囚われの身となり処刑された「吉田松陰」の「留魂録」原文
こちらも「くずし字」が使われている。
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実は、江戸時代も「くずし字」という「暗号文」が存在した。 主に秘密を孕(はら)む「商人同士の遣り取り」で利用されていた。

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縄文土器 + 縄・藁(わら)
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縄文模様
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縄文土器
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縄文土器
縄文土偶(海外のザザビーオークションで1億9000万円で落札)
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キープの秘密
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八重山本島(沖縄)に残る藁算(わらざん)
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インカの文字(キープ)は「縄文人から伝来した」
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当時のインカ人
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現在のチチカカ湖(父母湖):洗練された「葦(あし)藁(わら)縄」の文化
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同、現在のチチカカ湖(父母湖):洗練された「葦(あし)藁(わら)縄」の文化
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藁算(わらさん)

藁算(わらざん)は「縄文時代」の「沖縄」に存在した。 文字通り「縄」+「文」と仮説が立つ

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インカの結縄(けつじょう)文字
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沖縄に残る縄文の結縄(けつじょう)文字
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藁算(わらさん)
藁算(わらさん)
「沖縄草玩具博物館」より
同「沖縄草玩具博物館」より
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縄文 ➤ 「縄」+「文」
現在も各地に残る縄文化 
縄文人は「麻」「藁」「縄」に長けていた。
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縄文人(服)
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縄文人(服)
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「縄文前期」の縄文人
縄文時代は一万年以上続いた唯一の文明
縄文人は「シャレオツ」だった。
西暦は僅か2000年、縄文時代は一万年の時が流れた。
縄文人の女性は「おしゃれ」といったらいいんでしょうか

何せ一万年以上も続いたのです。
縄文後期の女性は特に「シャレオツ」です。
「青森の縄文遺跡群」イメージソング『JOMON』PR MOVIE
        

インカ帝国の「服飾文化」も縄文文化と似ている。      

縄文ウォッチ

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       縄文最大の謎
     『土偶バラバラの謎』
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土偶には必ず破損がある。 その理由が縄文時代「最大の謎」となっている。
欠損がある「遮光器土偶」

その答えはズバリ「最初から土偶は”壊”す目的」で、つくられているためだ!!

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”懐”妊するとつくって”壊”すー
女の子ならアン  男の子ならエース(ONEPIECE)
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”壊”す ➤ ”懐”妊した妊婦は土偶をつくる。

※当時の出産は無事、出生する確率が、かなり低く、母子共に大変な困難が伴った。

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きっと懐妊した妊婦が、生まれて来る「我が子の身代わり」になるよう願いを込めて土偶をつくった。

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妊娠期間中、不安を払拭し「妊娠安定期」が図れるよう土偶によって精神的な安堵を図った。

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アミニズム(精霊信仰)に基づいて「胎土」(※土偶をつくる土を胎土という)でつくった土偶

これを、敢えて「壊す」事により、生まれて来る我が子の「身変り」となるよう、祈りを込めた。

実際に土偶を壊しても、出産が、無事行われなかった場合、死産した胎児、又は、命を落した妊婦(母親)と共に、土偶は遺体と丁寧に埋葬された。  

又、新しい生命に出会えるように・・・

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無事、生まれるよう「土偶が身代わり」になるよう願いを掛ける。

「身代わり」をつくっては「五体満足で生まれて来る、我が子」の変りに予め壊した。

この文化は懐妊後の不安定な時期に、精神状態を安定させる有効な心理療法であったのだ。  

※現代においても妊娠・出産に伴う「妊産婦のうつ病」は非常に多い。
※土を触ると「セロトニン」が分泌される。

土器や土偶は「芸術」
芸術家「岡本太郎」も「縄文文化を芸術」と認め魅せられた一人
生と死
死と生
また会える。
芸術(芸)は語る。  
又、新しい生命に出会えるように・・・

土偶は”芸”術 

”芸”は語る。 土偶は”芸”術であり”芸””云”(つた)える。 

こうして数千年の歴史を経ても、また”会”える事を・・・

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縄文後期の火焔土器
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縄文後期の火焔土器

縄文時代も、現在と同様で、食生活は地方(集落)によって千差万別であった。

蝦蛄(しゃこ)を喰らう。 鯨を喰らう。 熊を喰らう。 

食文化は、民族ごとに多様性がある。この点は現在も同じと言える。

縄文時代は、万物に精霊が宿っている「アミニズム」(精霊信仰)

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平和を重んじる縄文人は、大自然と共生し、中でも「猛禽類」を含む「鳥」を最も重宝した。
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国鳥:雉(キジ)
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トート神(トキ) ※エジプト
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太陽神ラー(ハヤブサ) ※エジプト
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天然アスファルト:土瀝青(どせきれい)

「天然アスファルト」土瀝青(どせきれい)は、縄文時代は、釣り針などの接着剤として利用されていた。

縄文時代の日本には、大量に存在し、古代エジプトにも輸出されていた。
「天然アスファルト」土瀝青(どせきれい)は、ピラミッドの接着に使われていた。
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土瀝青(どせきれい)は「燃える土」でもある。
「天然アスファルト」土瀝青(どせきれい)の出土分布図
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豊川油田の天然アスファルト「土瀝青」(どせきれい)
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縄文時代の宝:翡翠
縄文時代の主な「翡翠」産出地
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最も有名な糸魚川の「翡翠」

          
「翡翠」は大昔である当時、国際的な通貨として利用されていた。
(現在も高額で取引されている)

同じ名前の鳥類「翡翠」
「翡翠」は美しい川に住む

”翡””翠”

 ーその羽、卒、非(あら)ず

日本初の世界認定 糸魚川ジオパーク


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シュメール人の祖先は縄文人 
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エスキモー(現代)
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遮光器土偶と「エスキモー」
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縄文時代から「遮光器」が存在し、多くの「遮光器土偶」がつくられている。
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遮光器土偶
かつて、青森県の「三内丸山遺跡」には世界最古の「縄文文明」があった。
「縄文」から様々な文化が世界へ広がった
(縄文源流主義)
世界最古の文明、三内丸山遺跡の「大型掘立柱建物」

現在の「鳥居」に繋がる大型掘立柱建物は「祭祀場」「物見櫓」であった。何より正確な時計(日時計)の役割を果たした。

日本各地の鳥居:アミニズム(精霊信仰)に承継された精神文化で「八百万の神」が宿っていると考えられている。
日本各地に存在する「鳥居」は、酉(とり)と肴(さかな)つまり頂戴する「命」(食物)が居る、豊かな場所であった。
世界最古の文明がある「三内丸山遺跡」は青森県

八戸”(はちのへ)は”四方八方”へ門”戸”が開かれていた。
「世紀前の縄文時代」から遥か後年、何故か青森県には「キリストの墓」がある。
 幻想的な青森県新郷村の「キリスト祭」
東北には縄文時代の「ストーンサークル」が多々、存在。
「縄文土器」も「ストーンサークル」も芸術で「職人技」
職人技(パンツ職人)
「パンツ職人」
「漫湖」それは、現代でこそ、性的羞恥心を彷彿させる卑猥な言葉だが、アミニズム(精霊信仰)を信仰とした、当時の縄文人の精神文化において「漫湖」は「生物出生の源」であり「生命のゆりかご」であったのではなかろうか・・・・
「漫湖」「マンコ・カパック」「チチカカ湖」(父母湖)
きっと、心優しい縄文人には、この生命の由来へ「恥ずかしい」と言う捉え方そのものが、なかったのではなかろうか・・・・
遥か古代の日本に生きた、先人への想いを張り巡らす・・・
縄文の謎を伝えた「マンコ・カパック」
#縄文源流主義 #縄文土器 #土偶 #縄文時代 #縄文文明

(つづく)




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