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Jun23 人間の感情と論理について

こんばんわ。

この文章はいろんな人を刺してる気がします。ごめんなさい。僕の持論でしかないです。多分読まない方がいいです。





今日は色々ありましたので書きます。
まあまず昨日は大整理会をやって、そのまま合宿して、開発してました。で、今日の夕飯に第二回たこ焼きパーティーを開催しました。タコパは結構いいです。でも2回目にもなると慣れてきちゃって面白みが減ってしまったので、次回はアレンジを考えたいですね。
ちなみに、タコの代わりにイカを入れても何にも変わらないです。えびがいい気がする。

はい。それでその後、片付けて休憩した後に、人間について考えました。たまにくる謎の哲学的な話をしたくなる欲求。週末なのに無限に開発してたからかな。
開発しようと思ってたのに、2時間くらいそれを話してしまいました。長すぎ。時間がもったい無い。


その内容についてサラッと触れておくと、深層心理と理解したつもりの感情と論理があって、それらが互いに影響し合いながら、人間は意思決定して生きているなという話です。
で、それらの橋渡しがうまくいかないことがあるみたいな。かつ、自分自身でできなければ、他人から得た論理から感情を翻訳することもできないよねっていう。

で、これらの不全はどこから発生するか考えると、小さい頃の生き様によって生まれるのではないかという。なんなら家庭環境なのかなみたいな。まあ小中が大きいかな。

あとは、深層心理を自ら知覚せずに、論理から生成した理解したつもりの感情のみなものの例として、数年前の人工知能かなみたいな。すごいですね。
しかし、人間だと、どの論理を採用するか決定する部分に深層心理が影響しちゃうから、空回りしそうだよねというか。


で、こういう話を大量にホワイトボードに書き出して議論するとかいう謎行為をしてました。こんなことしてないで、普通に通信どうするかとか議論するべき。
ちなみに。さっきその議論してた友達が帰って1人になったら、そのホワイトボードから謎の魔力というか怨念というかなんか気持ち悪い気がしたので抹殺しました。

いやあ、難しい。生きるのって難しいです。本当に。

ここからは今考えた話です。
僕はそういう人間に対して興味があるような気もしてきました。自分とは全く別のタイプなのかもしれない。
何というか、僕はどちらかというと、感情を拾い上げる感覚だけど、反対側の人々は感情を生成するというか、そんな雰囲気を感じてます。
どうなんだろうか。なんか後者は、拾い上げるから、他の大量の人間の集合になるのかなみたいな。ステレオタイプとか、生成AIとか。

あと全く別の話だけど、もう少し考えていくと、IQとかいう概念にも近づいていきそうだなって感じました。

あとは、重要なポイントして、言語は記号でしか無いということ。これは何においても大事だと思う。発している人間から視覚、聴覚、嗅覚、触覚、すべての感覚を使って、言語の裏に隠されている本当に伝えようとしている事象だったり相手の感情を読み取る必要があるのかなって気がしました。難しいけど。

でも、どんなに細く言語化したところで、全く同じ事象を習得できるかというとそうでも無いから、全く同じ生き様をたどらないと、共有することはできないのかもしれないですね。

あとは、なんか僕は相手の伝えようとしてることを感じた上で(これが合っているかは知らない)、あえて全く違う解釈をした返答をしたりするなって思いました。
なんでだろ。わかんないけど、めっちゃよくやる気がする。
冗談的な文脈で言うのも結構好きだけど、真面目な話の時も地味にやったりするかも。いや、相手と対等に話せていないなと言うときにやるような気もする。対等にというのは立場的な話もそうだし、本当に伝えようとしている事象が伝わって無いなって言う時もそうな気がする。後者の場合は、あえて外した返答をすることで、相手が何を理解して、何を理解してないのか、相手の中の常識、非常識とコンセンサスをとっているようなイメージかも。
あと、ぼんやりは覚えている時にする、全く知らなかったみたいな行動とか。ちょっと知っちゃっていることにすると、それ以上のことも知ってるはずでしょになるけど、みたいな。

でも、こういうのを防衛本能で無意識でやっていう気がするから良く無い気がする。防衛本能なのかな。失敗したく無いみたいな。
てか、人間っていう機械は、一度伝えてしまったら、それが全くもって無かったことにはならないから、最悪な手を踏まないように生きているのかもしれない。人間とのコミュニケーションにおいて、博打して大きくいくより、安牌な道を進んだ方が、長く見た時にいいよねみたいな。

プログラムとかだったら、もしエラーが出ても、原因っぽいところを修正してもう一度実行すれば、無かったことになるけど、人間はそうじゃないよねっていう。


てか、僕はやっぱり2種類存在している気がする。
圧倒的トップダウン型の存在と、たくさんの人間の集合によって作られている存在。自分が興味を持っている領域に対しては前者、興味がないものに対しては後者みたいな。
てかそうだな。それで言うと人類みんなそうなのかもしれんけど。


あと、僕は深層心理から生まれてきた何だか良くわからない怒りとかを、トップダウンで論理から考えていって自分を納得させる作業をよくNoteでやっているなって思いました。深層心理と自分が理解したつもりの感情の同期を取るために、論理で埋めていって、理解したつもりの感情を作って、それが深層心理と同じになるように調整するみたいな。

てか、トップダウンって何がトップなのかわけわかなくなるのでゴミです。初めてこのワードに出会った時にそう思ったことを思い出した。


いやあ感情って面白いですね。
何か深層心理と、意思決定をどれだけうまく接続していけるかが、生き様を決める気がします。

洗脳は、論理から、理解したつもりの感情を変化させていって、深層心理との境目をわからなくさせて、それが深層心理に変化した時に、成功するような気もします。怖い。


うーん。結論としては、何なんですかね。感情から湧きでる何かを頑張って、自分の脳みそで理解することが大切なんですかね。感情を脳みそで理解できたら、その感情をどうやったら満たせるかを考えることができるようになって、ハッピーな人生なのかもしれない。

でも感情から湧き出る何かを見つけ出すのはすごい難しいことな雰囲気も感じていますね。たくさんの人がいるけど、それを見つけてる人はほとんどいないような気もしている。見つかってないけど、何者かにならないといけないという感情だけもっちゃったりすると、大変だったりするのかもしれない。

何なんだろう。でも感情から湧き出る何かは、他の人間から定量的に評価できるものを得ることでは満たされない何かな気がしますね。その湧き出る何かを満たせる何をするための手段の一つにしかならないみたいな。

どうやって見つけたら良いんですかね。まずはやってみることかな。色々。やってみてビビッときたものやるといいとか言いますよね。でも僕はそんな道を通ってきてないからわからないや。
少なくとも、ずっと何だかわからないけど、進むべき道が頭の中にぼんやりあって、そこに向かって動き続けてるイメージかも。だから、ビビッとくるとかじゃなくて、やってみて、いらないなって思うものは排除していくと言うか。でも、ぼんやりした進むべき道のちょっと先だけでも、見えるようにしていくためにも、いろんなことをやってみているというか。

サクッと言うと、ビビッとくるものってことなのかもしれないけど。でも、普通の人は、進むべきぼんやりした道が見えてるんですかね。
初めは持ってるけど、世の中にある大量の価値判断の基準によって、うやむやにされて忘れてしまうんですかね。わかんないな。

てか僕が、誰かを幸せにするとか、役に立つとかいう現象に対して一切のモチベーションがないのは、進むべき道に無いなって思ってるからな気がしますね。
てか、普通ない気がするって結構心から信じてる。だから、そういうのを自信満々に語っている人をみると胡散臭って思っちゃうのかも。そういう人々は本当に思っているのかもしれないけど。だとしたら申し訳ない。

でも、そういうモチベーションって、根本的にあるものではなくて、それこそ道徳の授業とかで植え付けられるような価値観だと思っちゃっている自分がいますね。とかいう僕が見えていると思っている道も色んな情報を元に生成されてるだけかもしれないけど。てか、それ以外に生成する方法がないか。
そう思ったら、誰かがハッピーになることがいいことだという情報を元に、それに向かって生きている人がいてもおかしくない気がしてきました。

なんか胡散臭って思っちゃっていたのは、そっちのタイプの人間と触れてきてなかったからなような気もしてきました。自分と似たようなタイプの人間として接してきていなかったからなのかもしれない。てか、自分と似ていないタイプの人間とチーム組んだりすると、気づいたら消してる気がする。良くないですね。

なんか、それでいうと、個人がもつ恒久的な目標が違う以上、ある論理は通っている主張があったとして、それを受け入れるかどうかみたいなのは変わっていくなって思いますね。てか、その論理が違うのかな。
やっぱり人間って難しいですね。


でも、やっぱり深層心理と論理の一致が取れていない人間は良くない気はしますね。これこそと、行動と発言が一致していない人というか。
でも、意外とそう言う人でも、その人なりの解釈によって一致がとれてる可能性がありますね。僕のこれまでの経験などからくる論理では説明できないけど、その人には説明できているみたいな。

しかも、自分で認識できたと思っている深層心理が、全く違う心理だったりすることもありますね。その心理を元に行動しちゃったり。いや、てか本当の深層心理から行為を生成したのに、その行為を説明するときの言語化が大失敗して全く違う真理を採用してしまうみたいな。でもこれは他人から見ないと判別できない。もしかしたら、自分もその可能性があるっていう。

だから、行動と発言の不一致が発生するような気がしてきた。
その人なりには論理だてて行為から感情を説明しているけど、どこかに論理の飛躍が存在してしまっていたり、間違った前提を持ってしまっている可能性がある。そうするとこれが発生するのかもしれない。
でもコレは論理だっているような気がするから、自分では修正できない。他人から指摘してもらわないとわからない。
これは本当に怖いポイントな気がしてきた。

あとは、やっぱり言語という記号から間違った解釈をしてしまったり。人間の感情とか思想とかいう存在は、言語とかいうレベルの記号では表現することはできない。だからこそ、同じ記号からでもたくさんの解釈ができちゃう。だから、もし指摘されたとしても、そこで間違った解釈をしてしまうと、どんどん悪化してくような気もする。


いやあ難しい。どうやって生きるのが美しいのか。難しい。人生。

まあコレで終わりでいいかな。5000文字越えの長文を生成してしまいました。人間という存在が難しすぎる。2度と全てのパラメータが揃っている状況は生まれないから、対照実験ができなからわからない。適当なこと言って、ソレっぽく言語化して、考察して、わかった気になり続けることしかできないのやばいですね。しかもパラメーターに何があるのかもわからない。身体的な側面もあるし、環境的な側面もある。あとは、身体の一種だろうけど感情とか。まあ感情といってもただの原始の羅列でしかないわけですが。そう思うと人間もコンピューターも全部同じはずなのに何でこんなに違うんでしょうかね。複雑すぎてやばいですね。人間って。
てか。だから、心理学とかって統計を使ってごにょごにょするのか。意味あるのかな。色々前提条件を考えてないといけなさそう。難しそうですね。

これを読んでも言語を適当に使いすぎて、多分僕が考えてたことはちゃんと伝わってないと思うけど、まあしょうがないです。だから、独自に解釈したものを、お前が言ってただろとか言ってぶつけてこないでね。

最後まで読んでくれてありがとうございます。傷付けたてたらごめんなさい。
ではでは。頑張って生きます。

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