【閑話休題24】あれから38年 日本航空123便墜落事故

あれから38年…

1985年8月12日、群馬県上野村の山中(御巣鷹山)に、日本航空123便(羽田→伊丹行きのボーイング747)が墜落した。

私は当時小学校4年生の10歳。
夜のテレビを見ていたら、臨時ニュースが流れてきて、
「なにごとか?」
と思いながら、画面を見ていたら、
「日航機123便が長野山中(群馬山中)に墜落か?」
の表記が流れてきた。

その後のニュースで、詳細がわかってきたのだから、
子供ながらに、ただ事じゃあないな?と感じた。

翌日のニュースは、日航機墜落の話題一色。
ヘリコプターから映し出される、上空からの映像。
主翼に描かれた「JAL」の文字がくっきりと見えているが、胴体は見るも無惨に粉々な状態が映し出されていて、
ただただ、子供ながらに恐怖を覚えた。

乗客乗員524名、生存者4名…
過去の航空機事故では最大最悪の事故となったが、
あのような惨状の中で4名が生き残った事は、本当に奇跡としか言いようがなく、
また、墜落までの恐怖は例えようのないくらいだっただろう。

ただ、発見されたボイスレコーダーから聞き取れる、機長をはじめとする運行関係者の方々の、最後の最後まで諦めずに操縦していた事実を声に耳を傾けると、恐怖に体が今も震えるが、ただただ涙が止まらずにはいられない。

あれから38年…
日本国内においては、大きな航空機事故は起きていない。
いま、私たちユーザーが安心して空の旅を楽しめるのは、
ひとえに、現場の方々の安全第一を考えた日々の点検に尽きるだろう。
改めて敬意を表したいと思う。

2023.08.12
今日も青空を眺めながら飛行機を眺めている。

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