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【閑話休題19】わたしのお師匠さん

生意気にも…
私が今こうして、蘊蓄を垂れることができるのは、お師匠さん(面倒向かっては言ったことはなく、
愛情と尊敬の念を込めて敢えて言わせて頂く)に、ストリップの歴史を叩き込まれた故のことである。

また、後にも先にも、お師匠さんと呼ばせていただくのは、この方のみである。


初めての出会いは、今から3年数ヶ月前の2019.02中だったと記憶している。

私はその前週、2019.02頭に西園寺瞳さんを観て、どハマりしたばかりの頃…

お師匠さんは、元々仙葉由季さん(現:振付師)の応援を永くやられていて、
仙葉さん引退後は暫くフリーの後、
安田志穂さんの応援をしている方である。

そのお師匠さんとは、推しも違うにも関わらず、
初めてお会いした直後から、何故か私が話に聞き入ってしまい(お師匠さん、話がとても大好きな方です)
、その日はその流れで小倉の居酒屋白頭山へ。

そこで、お師匠さんの過去の応援遍歴や、
日本のストリップ創生時からの話など、
ストリップの、ありとあらゆる分野の話が次から次へと出てくる。

私自身、久々に一言一句漏らさぬようずっと聞き入っていた。

「ストリップはバーチャルに対抗する最後のライブ」

踊り子さんも劇場も、そして観客が一体となり
真剣に真摯にステージに向き合うことができる場所が他にあるか?
今でこそ、AKBだの乃木坂だの、握手会が行われているが、
ストリップ劇場でのポラタイムこそが、推しとの出会いの場所としては最初ではないのか?
熱く語るお師匠さんの言葉に、ずっと耳を傾けていた。

一番最初に出会った時から、ずっと仰られている言葉で、私の頭の中に常にリピートしている。

バブル絶頂期の頃、ロック座はマカオにストリップ 劇場を開設。
お師匠さんも、推しが乗られていることもあり、
長期間滞在していたようだ。
流石はバブル景気が成せる技、ただただ度肝を抜いた。

そんなお師匠さんも、劇場の閉館という時代の流れには悲しみを感じていた。
とりわけ、1番の愛着があったであろう広島第一劇場の閉館にはかなりショックを受けていた。
閉館週の10日間は、自らマイクを握り、広島第一劇場への想いを語っていたことが脳裏によぎる。

コロナ禍の影響で、広島から小倉へと、よくお見えになられていたお師匠さんも、
足を運ぶ回数が減ってこられているが、
また、居酒屋あたりでご教示願いたく、思いは募るばかりだ。

お師匠さんが居なければ、今の私は無い。
またストリップがなければ、お師匠さんとお会いすることすらなかった。
そう断言できるくらい、
紳士であり、大好きな師匠、
巡り会えたことに感謝。

〜余談〜
「いろんな方々に歴史など話し、伝承してきたが、
◯◯さん(←私の本名)に教えるのが最後かもしれないねぇ、最後の弟子かもなぁ」
今でも思い出す度に、涙が出る程嬉しい言葉を投げかけてくれた。
かけがえのない出会いです。

〜参照〜
西日本新聞掲載の記事より
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/544244/

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