生きる権利を考える

嘱託殺人という、とても残念な出来事が明らかになりました。亡くなられた女性に心からお悔やみ申し上げます。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200723/k10012530081000.html
(NHK ニュースウェブより)

この事件を私は社会に蔓延する差別や偏見と、人権意識の低さが少なからず影響していると考えています。

亡くなったALS患者の女性はTwitterに
「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない。安楽死させてください」
と書き込んでいたそうです。

女性が自身を卑下するように感じていたのは病気による苦悩とともに、難病や障害に苦しむ人への差別や偏見が影響していたのではないのかと考えるのです。
父親は取材に「複雑な気持ちです」と述べ、また「娘も殺害を委託しているし、犯人を一方的に責めることはありません」とも述べています(決してこの女性本人と父親を責める意図はありません)。

日本ALS協会近畿ブロック会長はコメントの中で「私たちが生きることや直面している問題や苦悩を、尊厳死や安楽死といった形では解決できないし、そうやって私たちの生を否定しないでほしいです」と語っています。
「生の否定」これは重い言葉です。
会長はまた「ALSであっても自分らしく生きられることをもっと啓蒙しなくてはと改めて胸に刻みました」とも述べています。

私の母はレビー小体型認知症で入院生活を送っています。5年ほど前から症状が出始めましたが当初、病院へ行くのを渋ってデイケアに通うことを嫌がることもありました。また、亡くなった父は二度の脳こうそくの後に認知症になりましたが、母はすべて自分一人で父の世話をしようとして疲弊してしまったこともありました。
私が「誰かに頼って、助けてもらっていいんだよ」と言うと母は「いいのかい?」と言ったことがありました。母のなかに“認知症は恥ずかしいこと”、“誰かに頼るのは恥ずかしいこと”という意識があったのだと思うのです(実際に若い頃の母はそのようなことを言っていました)。

私は教育の問題が大きいと感じます。人権教育の不足です。これは今回の事件だけでなく社会に蔓延るヘイトスピーチについても言えるのではないでしょうか。
社会全体に病気や障害のある人や国籍、出自の違いに対して“自分よりも下”という差別意識が根強くあるからではないでしょうか。
あらためて述べなければならないのは本来的にはおかしなことですが、すべての人に人権があります。すべての人の人権は保証されています。憲法に記されている基本の「き」です。

Twitter上でも見かけましたが安楽死や尊厳死を議論する以前にその人権教育、啓蒙が行き届いた社会にする必要があると思います。
そうした観点からも、れいわ新選組の二人の参院議員の存在はひじょうに大きいと思います。
既に舩後議員がコメントを出し、そのなかで「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが大切です」と述べています。
難病当事者の苦悩を100%理解することは出来ないとは思いますが『生きる権利』はあっても『殺す権利』は誰にも無いと考えます。

しかし残念なことにネット上では「死ね」「殺す」といった表現があまりにもカジュアルに使われています。こんな歪さも教育、啓蒙の不足による人権軽視、差別の表れだと考えます。そんな歪さを容易に受け入れられる社会であってはならない。どんな差別も許されるものではないはずです。

繰り返しになりますがあらゆる差別や偏見をなくすために、そして苦しんでいる人や困っている人が「助けてほしい」といつでも声を上げられる社会にするために、私たちは人権についてあらためて考える必要があると思います。

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