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ボードゲームがインタラクションを捨てる日

以前からなんとなく感じていた事ですが、今回「アナログゲームとデジタルゲームは何が違うのか?」という記事を書いていて改めて思った事があります。

それは「最近のボードゲームは、コンピューターゲームの領域にどんどん近づいている」ということです。

先日書いた記事によれば、コンピューターゲームの持ち味は「自動処理(によるソロゲームや複雑な処理の表現)」と「ランダマイザの隠蔽(によるストーリーの表現)」で、ボードゲームの持ち味は「ルールが生み出す駆け引き(インタラクション)」と「マジック・サークル」です。

であれば、最近のボードゲームが向かっている、「一回限り楽しめるストーリー性」や「多人数ソロプレイ」なゲームデザインは、それぞれコンピューターゲームに向かっているように見えます。

開封状態からカードの並び順を変えず1番上からめくっていってストーリーを表現するやり方は「ランダマイザの隠蔽」に他なりませんし、多人数ソロプレイはインタラクションを捨てています。実際、多人数ソロプレイと言われる類のゲームには、「もうこれコンピューターでやった方が良くない?」というような煩雑なものもたくさん生まれてきています。

今全盛の協力型ボードゲームなんかは、インタラクションは完全に捨てて「マジック・サークル」に全振りしている感じです。

ただ、物語を読み進めるようにカードをめくっていってストーリーを表現するタイプのボードゲーム自体は、「コンピューターゲームに向かっている」というよりは、コンピューターゲームの良い所を持ってきている感じで、マジック・サークルを活用してみんなで物語に没入できる、良い試みだと思います。

協力型ゲームも全然良いと思います。結局、「ボードゲームならでは」の特徴というのは、マジック・サークルそのものなのかもしれません。

そう考えると、多人数ソロプレイなゲームについては、インタラクションもありませんし、全員が自分の盤面を見ているだけではマジック・サークルも生まれにくくなります。自分自身は結構多人数ソロプレイは好きなものの、確かにちょっと、そればかり遊ぶのではボードゲームを遊ぶ意味が薄いのかもしれません。なんとなく感じていた事ではあるのですが、今回この記事を書いてみて改めてそう感じました。

ですから、コンピューターゲームに近づいているといっても、歓迎すべき面と憂慮すべき面があるのでしょう。前者はストーリーの導入であり、後者は多人数ソロプレイ化の傾向、ということになります。ですからここで再検討すべきは、多人数ソロプレイ化の是非についてです。つまりインタラクションを捨ててしまうことが、ボードゲームの未来にとって良いことなのかどうか、です。

先日、海外からの発言で「ランダムセットアップなんて使わなくても、ちゃんとインタラクションを作れば対戦相手自体がリプレイアビリティの源泉になる」というようなものがあり、話題になっていました。ランダムセットアップというのはモダンユーロゲームの特徴で、「人対人」ではなく「人対システム」のデザイン、極論を言えば「多人数ソロプレイの為の仕組み」だと思います(それを応用した協力ゲームへの転用ももちろんありますが)。

こういった傾向に警鐘を鳴らすのは、古参ゲーマーの悪癖なのかもしれないと思っていましたが、改めて考えると、「インタラクション」に立ち戻る重要性も分かるような気がしてきます。

ところで、この文脈では「インタラクション」を「プレイヤー間の駆け引き」という意味で使っていますが、実際にはインタラクションとは「プレイヤー間の相互作用」です。駆け引きがなくともプレイヤー間で何らかのやり取りがあるなら、それはインタラクションと言っても差し支えない気がします。

実際、最近のボードゲームデザインの傾向は、協力型ゲームの流行に見られるように明らかに「プレイヤー間の駆け引き」という意味でのインタラクションを捨てる方向に傾いており、プレイヤー同士で駆け引きではない何らかのやり取りをさせる事でマジック・サークルを生み出す流れになっているように思います。

恐らくインタラクションには2つの効果があるのでしょう。一つは「駆け引き」による「解を探す思考」です。相手が何を考えているかを読んで、さらにその上を行く解を探していきます。将棋なんかはまさにそれの極北でしょうか。ただ、その満足感は、「人対システム」なモダンユーロのやり方でも疑似的に表現する事が可能なようにも思います。「相手の思考を読む」代わりに「システムが提示するパズルの最適解を探す」という楽しさです。しかし、「人対システム」が生み出す「解を探す思考」は、マジック・サークルに寄与しにくく、やはり「人対人」によるそれの方が、よりボードゲームらしいと言えるような気がします。

もう一つは「マジック・サークルを生み出す為のプレイヤー間のやり取り」です。決められたルールに従ってプレイヤー間で何らかのやり取りが起こる。それはプレイヤー間のプロトコル(規約)になり、責任感、信頼感、一体感、帰属意識といった深い満足感を得る事に繋がります。例えば「パンデミック」で、他プレイヤーと同じ場所へ移動してカードを渡す、というようなやり取りです。そこにあるのは「駆け引き」というよりは「規約」です。

最近のボードゲームデザインの流れは、前者を捨てて後者に寄っている、ということでしょうか。恐らく来年のSdJ候補と思われる、協力型ウォーリーを探せゲーム「ミクロマクロ」なんかも、駆け引きはなく、カードをめくってストーリーを表現するタイプです。駆け引きなどなくとも、同じ地図上でみんなで一斉に探すという行為によって高品質なマジック・サークルが生みだされるであろうことは容易に想像がつきます。

まとめ

やはり、ボードゲームのメインストリームは「駆け引き」によるインタラクションから離れて、マジック・サークルの構築の方へと舵を切ったということなのかもしれません。その結果、ストーリー性の導入など、「駆け引き」とは別の楽しさを求めて新たな地平線へと向かいつつあるのが今のボードゲームシーンということです。

一部の重ゲーに見られるように、「駆け引き」ではなくシステムの複雑化によってより高度なパズルを解かせる向きもあります。こちらも同様に駆け引きによるインタラクションから離れ、各個人が「対システム」のパズルを、他人に邪魔されずに解く楽しさを追求しています。多人数ソロプレイと揶揄されつつも、なんだかんだで人気が高いのも、やはりパズルを解く楽しさは普遍的なものだからでしょう(ただこれは、コンピューターゲームに飲み込まれやすい領域だとは思います)。

そう考えていくと、結局「実は、プレイヤー間の駆け引きなんて要らんかったんや…」という話になり、私がボードゲームにハマったきっかけそのものが音を立てて崩れていく感じもしてしまうのですが、私自身は、最近の流れも意識しつつ、ちゃんとプレイヤー間の駆け引きについても考えていきたいなと思いました。

シンプルなルールが生み出す駆け引きは、相手の表情や息遣いまで読み取れる対面であってこそ深みが増すものだと思いますし、恐らくそれが、ボードゲームがコンピューターゲームに飲み込まれない為の一つの方策なのではないかと思った次第です。

とりとめもないまとめですが、今日はこんな感じで。


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