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ヒーローは眠らない〜『至高の三冠王者・三沢光晴』を巡る時空旅行〜


ここは1990年代の全日本プロレス・日本武道館。今宵も超満員札止めの大観衆は「明るく楽しく激しいプロレス」に酔いしれていた。若手のあすなろファイトが前座を盛り上げ、全日本にしか呼ばないかもしれないコクのあるB級アメリカ人レスラーの試合が会場を沸かせ、ファミリー軍団VS悪役商会が爆笑を誘い、外国人レスラーたちによるスーパーベビー級バトルでどよめき、そしてメインイベントのタイトルマッチに突入していく。対戦相手は全日本四天王の時もあれば、最強外国人レスラーだったりもする。でも一番最後に入場テーマ曲がかかるのは、いつも彼だった。

「ミサワァ!ミサワァ!」

キース・モリソンの「スパルタンX」の旋律が流れると自然発生的に沸き起こる「三沢」コールに乗って、室から緑とシルバーのジャケットを身に纏い花道に姿を現したのは、“超世代軍の旗手”三沢光晴。185cm 110kgのバランスがとれた肉体から繰り出される華麗な空中殺法、強烈なエルボーやキック、アマチュア・レスリング仕込みの美しいスープレックス、プロレス界随一の受け身といった洗練された技量と抜群のプロレスラーとしての器量、数々の修羅場を超えてきた人間力を誇る1990年代全日本プロレスの絶対エース。

観客の期待を背にリングに向かう三沢は、歴史と伝統が詰まったインターナショナルヘビー級、PWFヘビー級、UNヘビー級王座の3本のチャンピオンベルトを右肩に担いで歩く。その表情はいつものポーカーフェイス。この男の心は揺るがない。だからこそ我々は三沢に夢と希望を託し、いつも彼は期待以上の試合内容で応え、数々の名勝負を残してきた。それが三沢とファンとの間に生まれた一種の信頼関係。

リングサイドにたどり着いた三沢はリングに設置されたステップで少し足踏みしてからセカンドロープをくぐってリングイン。千両役者の登場に館内は大歓声に包まれる。

コミッショナー代読の認定宣言が終わり、仲田龍リングアナウンサーが挑戦者をコールするし、いよいよ三沢の名前を読み上げる。

「赤コーナー、三冠ヘビー級選手権者、255ポンド、三沢光晴!!」

すると会場から大量の緑色の紙テープが飛び交い、リングを占拠する中で、三沢への大歓声が沸き起こる。 全日本プロレス最高峰王座である三冠ヘビー級王座を5度獲得し、最多通算防衛数21回、最長保持705日という記録は未だに破られていない。まさにミスター・トリプルクラウンである。

 2021年12月、元・週刊ゴング編集長の小佐野景浩氏が全日本プロレス時代の三沢光晴をテーマにした著書を出版した。そのタイトルは『至高の三冠王者』。


1990年代の全日本プロレスを舞台に人間の限界を超える大激闘で伝説を残し、感動を呼んできた三沢の功績を見事に表現している。小佐野は『至高の三冠王者』という題名の意味について著書で次のように綴っている。

「最高には比べる対象があった上での一番上、至高は何かと比べるのではなく、この上ない上なく高いというニュアンスを感じているからだ」
【おわりに】

 そしていよいよ試合開始のゴングが鳴った。三沢の試合において特徴的なのは、基本的なレスリングの攻防がまるでフルコース料理の前妻として華を添えることである。1980年代前半の全日本プロレスでブッカーを務めた佐藤昭雄はこれまで若手への技の制限を外して、自ら対戦相手になることで自由に伸び伸びやらせることで、人材育成を成功させた。三沢にとっては「心の師匠」である佐藤は若手に試合作りを教える時にこのように教えたという。

「試合には組み立てがあって、予告がある。そして、その予告がなんだったのかを必ず見せなきゃダメなんだよ」
【第2章 全日本プロレス若手時代】

三沢にとって序盤はこれから起こる激闘に向けての予告。そこには「どんなに危険な攻防になってもレスリングの基本は逸脱しない」という強い決意があったのかもしれない。

序盤が終わり、互いの力量とコンディションを肌で感じた両者は打撃戦に突入していく。三沢が繰り出すのはエルボーとキックだ。キックは2代目タイガーマスク時代に空手組織・士道館道場で泊まり込んで修行した代物。スピンキック、ミドルキック、ニールキックは二代目タイガーマスクから使っていたキックのバリエーションである。そして、彼の代名詞であるエルボー。なぜこの打撃技を使うようになったのか。三沢に聞くと意外な答えが返ってきた。

「ぶっちゃけ言えば、偶然だよね。でも肘はとりあえず、残された一番怪我をしてない場所だったからさあ。それに大きい相手だと持ち上げる技はスタミナを消耗するし、有効なものってなると、やっぱり打撃系になるじゃん。でも蹴り系だと、どうしてもモーション、動作が大きくなっちゃうからね。そうすると残っているのは肘だよね」
【第6 章 三沢の飛躍と超世代軍の躍動】

 苦肉の策で生まれた三沢のエルボーだが、対戦相手にとっては人間凶器のようなものだ。全日本プロレスの重鎮・渕正信はこう語る。

「三沢のエルボーは効いたよ。脳は揺れるしさ、首にもくるし(苦笑)」
【第6 章 三沢の飛躍と超世代軍の躍動】

試合は15分経過のアナウンスと共に、挑戦者の波状攻撃が三沢を襲う。時には首から落下する投げ技も炸裂するも三沢は独特の受け身で対応する。渕は危険な落下技に対する三沢の受け身についてこのように解説している。

「三沢は首…正確には首筋の下で取る受け身が凄かったんだよ。昔のレスラーはスラムでもなんでも背中で受けていたけど、三沢はジャーマンでもバックドロップでも首筋の下で受けていたんだよね。(中略)バネがあるからパーンとここで受けた後に一回転して、座り込んだような形からダウンするシーンがかなり多いはずだよ。あんなの普通じゃできないよ。ここ(首筋の下の部分)をクッションにするから頭からモロに打つよりいいんじゃないかな」
【第8章 至高のプロレス】

三沢は挑戦者の猛攻をしのぎ反撃に転じる。エルボーと空中殺法で突破口を開き、あの”怪物”ジャンボ鶴田を日本人唯一のギブアップ勝ちを奪ったフェースロックの体勢に入る。場内から「落とせ!」コールが発生する。実況の若林健治アナウンサーが「フェースロック!!三沢の技!超世代軍の技!」と絶叫する。フェースロックは基本的なプロレス技のひとつ。それを必殺技に昇華したところに三沢のプロレスセンスが光るところ。

いよいよ試合はクライマックスに突入。2代目タイガーマスク時代から愛用しているタイガー・ドライバーの体勢に入る、必死にこらえる挑戦者。元々、タイガー・ドライバーは二代目タイガーマスクがジャンボ鶴田との一騎打ちに備えて開発した技だった。実験台になった超世代軍のメンバーであり、盟友・ライバル関係の小橋健太(現・建太)は語る。

「タイガー・ドライバーは三沢さんと”こういうのをやったらどうですかね?”とか、ああでもないこうでもないって話をしていた記憶がありますよ。(中略)発想はダブルアームからのボムですよね。腕を巻き込んで持ち上げるのは、相手の体型によっては無理だけど、ダブルアームならやりやすいだろうと」
【第5章 萌芽】

踏ん張る挑戦者に対し、三沢が強引に引っこ抜いてタイガードライバーが決まった!だがカウントは2.9!ここで重低音ストンピング攻撃により、日本武道館に地響きが起こる。

挑戦者は三沢の反撃に、青息吐息。いよいよ三沢は相手を仕留めに入る。狙うは、2代目タイガーマスクの必殺技であるタイガー・スープレックス84である。三沢といえば、しなやかなブリッジワークから繰り出されるスープレックス。相手の胴にクラッチさえできればどんな相手でも投げられるという自信を持っている。実はこのタイガー・スープレックスは初代の形とは少し異なると三沢は語っている。

「初代のタイガー・スープレックスは、チキンウイングで相手の両腕をロックしてから、相手の背中に掌を押しつけて投げるんだけど、84型は自分の両手を握って投げるの。脇を締めなきゃいけないから、難しさはあるけど、俺はこっちのほうが投げやすかったね」
【第3章 2代目タイガーマスク】

タイガー・スープレックス84を狙う三沢。相手はロープに逃れようとするも、三沢は背後からエルボーを連発してから、タイガー・スープレックス84が決まった!和田京平レフェリーがマットを叩く。場内もカウントを大合唱する。

「ワン!ツー!…スリー!!」

30分に近い大激闘を制したのはやはり「至高の三冠王者」三沢だった。しばらく両者大の字となり、なかなか起き上がれない。ようやく起き上がった三沢の手を和田京平レフェリーが掲げる。勝者の三沢には「日本テレビ杯」と3本のチャンピオンベルトが授与された。敗れた挑戦者にもファンから暖かい拍手が起こった。リング上で福沢朗アナウンサーによる勝者インタビューが始まった。

「今日の試合、勝つことができてよかったです。今後も応援よろしくお願いします」

「自分が語りたいことは試合ですべて語った」と言わんばかりに言葉少なめにインタビューを終えた三沢はリング上の四方を一礼し、リングを下りていった。小橋建太、菊地毅、浅子覚といった超世代軍のメンバーが彼の脇を固める中で、ファンが三沢に駆け寄る。「三沢、ありがとう」と声をかけ、中には泣いている人もいる中でもみくちゃになりながら花道を歩く三沢。そこには疲労困憊になるながらも、命懸けでプロレスで生きる男のオーラがあった。そして、いつもの全日本プロレス・日本武道館大会に観客は大いに満足して会場を後にするのであった。

「複雑な家庭環境で育った三沢光晴という人間がプロレスと出会い、高校でレスリングを始め、全日本プロレスに入門し、自分の力の及ばないところでタイガーマスクに変身させられ。やがて自分の意思で素顔となり、四天王プロレスという90年代の”至高のプロレス”を完成するまでの青春物語を描きたかったのだ」
【おわりに】

 『至高の三冠王者・三沢光晴』の著者である小佐野はこの本を執筆した理由とテーマについてこのように綴っている。思えば私にとって三沢光晴は青春そのものだった。自分の期待や思いを託せる存在だった。彼が急逝してから15年が経った今も、三沢光晴のプロレスは世界中に届いている。

時を超えて三沢光晴のプロレスに魅せられた者たちは書籍や映像、語りなどによる時空旅行を巡ることにより、松田優作やブルース・リーのように姿や形はなくても、魂や息吹、記憶としてこの世に生き続けていく「永遠の神話」となった。



 
「至高の三冠王者」三沢光晴は夢と希望と浪漫を与えてきた俺たちのヒーローは眠らない…。


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