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影響された映画のお話

自分が影響された映画の中でも根深い「オネアミスの翼」の話をします。

昔、なんの雑誌だったか忘れてしまったのですが、安彦良和さんがオネアミスの翼を評して

「若い子達が頑張って作った映画のオチがガガーリンなのなんで?」

みたいな事を言ってた記事を読んだことがあるのですが、
それの答えは劇中で答えが出ていて

「我々が日夜取り組んでいるこの最新の機械は、落下するために上昇するだけの、まったく、何でもない仕掛けだ。でも、おれはこいつの何でもないところが、気に入ってるんだ。」

という主人公シロツグの言葉に収斂されていると思ってます。

膨大な設定によって執拗なまでに描き込まれたなんでもない日常、まだ見ぬ世界の路上観察&考察による積み重ねで描かれた大勢の人々が暮らすなんでもない世界。これこそが作品のメッセージであり、ヲタクの本分である観察と考察により世界をヲタク的に楽しむ方法を知らせるために造られた鏡、それがオネアミスの世界だと思うのです。
35年前に創られた世界は今なお曇る事なく私達が生きる現実世界をクリアに映し「造り尽くされた世界」の楽しみ方を教えてくれています。

…と、ここで終わるとただの映画感想文なので自転車垢らしいことを付け足すと、オネアミスの翼、4kリマスター版を映画館で見てから自分が作った2号計画機「Снегурочка スネグーラチカ」の形状は、あの映画の影響からも紡ぎだされた形状の様な様な気がしてます。

当時発刊されたバンダイ版の設定資料集ではオネアミス世界の飛行機の歴史が書かれていて

「この世界でエンジンが後ろの形式が主流になったのは飛行機が現れた当初から性能の良いエンジンが手に入ったから。」

という様な記述があり、自分はその一文からオネアミスの世界は我々の住む地球よりも科学技術がスムーズに発達した世界で技術的な余力があり、それを装飾に振り向けることで差別化を図る文化が発達した「機能的で、なおかつ美しく装飾された機械が評価される世界」なのだろうと推測しました。

そうするときらびやかな建築群をはじめ、各種機器の過度な装飾とか、鉄道における機関車の装飾、客車で見られる扇型の構造など、我々の世界の尺度から見ると無駄で非合理にも見えてしまう形状にも後ろ盾ができて現実味を見出すことが出来るわけです。

これは個人の妄想に過ぎないのですが、そんな流れで科学と文化が織りなす世界における自転車とはどんな形なのかというのも考えるわけです。

しかし自転車においては人という非力な動力源を元にした乗り物の為、その構造はどうしても実用と効率を優先したものとなり、他の乗り物と違って現実世界との差を出すのは難しい。

本記事タイトルの画像は映画の制作スタッフが描いた自転車なのですが、マジメに考えすぎると我々の世界と同じものが出てきてしまうし、かといって映えや形状を優先するとリアリティがあっという間に抜け落ちていってしまう。そんなせめぎ合いが読み取れます。

自分も中学生時代にこの映画を観てから影響を受けて色々な機械を空想してたのですが、それは日常にあるモノを観察してまだ見ぬカタチを想像する、SかつFなデザイン遊びを続けた結果、形状と機能のせめぎあいを空想し続けた土壌も2号計画機の形状に影響を与えてるのかもなあ…とか思ってます。

ロマンチック優先の形状。
重さは軽量高級パーツ投入による余力でカバーしてます。


あとは読めない文字が機械に記されてると萌えるとかそういうところも影響受けてる気がしますね。

知らない言葉という事でキリル文字選んだら1年後、
世の中がとんでもない事になった。なんでや…

なんにせよ僕はあの映画のおかげで中学生の悶々とした時期に空想の世界と現実世界を地繋ぎにできた訳で、そのおかげで飯食って生きている。
コレは山賀監督をはじめとする本映画の制作に関わった全ての人々のおかげだと思ってます。

35年経っても色褪せない、ヲタクがこの世界と関わって楽しく生きる方法を教えて頂きありがとうございました。

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