続かないお話 キムチ16
薄ピンク色のコスモス畑の背景が、青から茜色、そして濃紺に変わっていく様子をうつろに眺めながら、久林は自分の行動を振り返っていた。
何か気に触ることをした訳じゃないと思う。あるとしたら手を握ったことくらいだが、もしさくらちゃんが手を握られるのが嫌だったなら、ちゃんとやめてくださいと言ってくれるはずだ。
さくらちゃんの方を伺うと、まだ少し遠くの空を見ている。
夕日が沈み切って、ひとつふたつ星が出てきたのをきっかけに、パーク内にいた家族やカップルが帰り出したので、
寒いしそろそろ行こか。
と声をかけたら、
うん。
凄い綺麗だった。
とさっきまでの笑顔を作ってこちらを向いてくれた。
黙ったまま駐車場まで歩いて車に乗り、すっかり冷たくなったコーヒーを受け取って一気に飲み干した。
忘れ物がないかを確認して出発した。
エンジンをかけたと同時に流れ出したいとしのエリーが寂しさを煽りすぎていて、本来なら抜群のタイミングだったかもしれない大好きなこの曲に心の中で初めて舌打ちし、オーディオをラジオに切り替えた。
コスモス初めてちゃんと見たけどめっちゃ良かったわ。
とりあえず話を振り直して、身の入らない会話をいくつかしていたら、登山口まで降りた頃には元の空気になんとか戻っていた。
みかん畑の匂いを嗅ぎたくなったが、平常に戻った車内の空気を逃したくなくて、ウィンドウを降ろすのも外気にするのもやめた。
晩ごはんを一緒に食べるつもりだったが、お昼とアイスのおかげもあるのか、久林はいまいち食欲が沸かなかったのでそのまま布施まで送ることになった。
予定していたネギ焼屋はまた今度行こうという約束をして、ようこそ堺市への看板を横目に、粉もんについて関西人らしく議論していると、さくらちゃんのケータイが鳴った。
久林は出ていいよ促してラジオのボリュームを下げた。
どうやら相手はお母さんらしく、さくらちゃんから少し和田山弁が漏れていた。
5分くらいすると、さくらちゃんのうん、という相槌が少し高くなり鼻声も混じり出した。
声や会話の内容は明るいみたいだしお母さんもさくらちゃんもお互い笑ってはいるが、久林は前を見て運転しながらさくらちゃんが泣いているのがわかった。
コーヒーを買った鷲ヶ峰の売店ではもしかしてくらいだったが、久林はさっきかかってきたのと今回の電話の内容がなんとなくわかってしまった。
それと同時に、そしてそれとは逆に、自分の気持ちをどう持って行こうかわからなくなった。
3分程して、さくらちゃんがまた連絡するね、と電話を切った。
ごめんね長くなっちゃった。
全然。それより大丈夫?
うん。なんかつい。
大丈夫ならいいけど。
と笑ったつもりだったが言葉にはなっていなかった。
電話なんやったん?と聞いたとして、その後にかける言葉がうまく思いつかない。一旦お疲れさま、後は試験やね。頑張ってな。残念やけど、さくらちゃん行きたかったんはそっちよな?おめでとう。寂しくなるけど、とりあえずひと段落やな。
久林が黙っていると、
電話なんですけどね、
とさくらちゃんが、ゆっくりと切り出した。
あ、うん。
あのね、兵庫のとこからかかってきて、
だめだった。
そっか。
とりあえずお疲れさまやな!
うん。ありがとう。
てことは東京んとこ行くんや!
うん。
お母さんとバイバイせなあかんてことな。
うん。それで泣いちゃった 笑
でも仕事的には東京のが行きたかったんよな?
うん。
ほな、ええな。
、、うん。
国試頑張ってな。
うん。
想定していた言葉をそのまま出し終えた久林は、それ以上何も言うことができなかった。途中声のトーンを無理やり上げてみたが違和感でしかなく、凹んでる顔を見せないようにするのがやっとだった。
今の自分の現状を考えると、告白することはやっぱりできない。会いに行く時間や、それにかかるお金、気持ちのやり場に仕事への焦り。お笑いと恋愛をどっちも本気で向き合うこと自体、そもそもめちゃくちゃ大変でタフだろう。楽をしてどちらかを疎かにしても自分が嫌になってしまうだけだ。いつかしんどくなってどちらかを投げ出してしまう絵しか見えなかった。
それよりは。
さくらちゃんの就職先が東京なのだから、受け入れよう。
でも。
気付いたら久林は20分くらいの間考え込んでしまっていた。最悪だ。その間会話する事もなく、沈黙のまま布施の手前まで着いてしまった。
大丈夫ですか?
え、
うん。大丈夫!
と取り繕ったが、無駄だっただろう。やってしまった。ここで悲しい顔して黙り続けたなんて歳上のくせしてほんとうに情けない。ここからでも良いから平然を装うとした。楽しいデートで終わりたい。
ごめん考え事してて。もうこんなとこか。
なに考えてたんですか?
次やるネタ。尺的に削らなあかんくて。
そこのコンビニでいい?
はい。
今日はありがとうね。めっちゃ楽しかったわ。
私もです。
来年も同じとこ行きたいくらいです。
うん。タイミング合ったら行こな。
、、、。
忘れもんない?
大丈夫です。
おけ。試験頑張ってな。
さくらちゃんが車を降りたタイミングで、カーナビで実家を検索した。窓越しに手を振り、目的地をセットし、サイドブレーキを解除しようとしたのだが、まださくらちゃんがドアの向こうに立っていて、そしてその口が動いたような気がした。
すぐに顔を向けると、さくらちゃんの大きな口は開いていた。そして、
キムチ。
いつもより早口だったがしっかりとわかった。昔みたいに最初の方を聞き逃したのかもしれないが、開いた口から最後に、いういと動いた。
そしていつもの優しい鳶色の目で笑ってくれた。
久林も笑って、そしていつもより口を大きめに動かして
ありがとう
と返した。
彼女は少しの間目を閉じてうなずいた後、もう一度久林に手を振って、後ろに向き直りコンビニの隣の道に消えていった。
久林は後ろ姿を目に焼き付けてから、大きく息を吐き、オーディオをラジオからサザンオールスターズに切り替えてボリュームを戻した。さっきは鬱陶しかったはずのAメロが優しくて痛い。久林はアクセルを踏まずに発進させ、駅前のロータリーをゆっくりと大きく回った。
つづく。
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