Watcha!Fukuokaまとめ(1)

といってもまとめにはならない。

先日(12/28),Watcha!Fukuokaという教育をテーマにした集まりに出席した。「集まり」と表現したのは,商業イベントとは一線を画するものという印象を受けたから。主催者が集めたのではなく,意思あるものが集まった,と言えるものだった(と自分勝手に解釈している)。

どのような内容であったかはここでは横に置いておく。幾人かの講師の話を聞きながら,ぼやっと考えていたことを書き留めておく。

■ユニバーサルデザインとの出会い

教育現場でもインクルーシブな教育が注目され,教育のユニバーサルデザインなる言葉も生まれている。もともとユニバーサルデザインは建築家のロナルド・メイスの提唱により生まれたものであることは,少し調べれば出てくること。それがどのような形で教育に応用されるのかを考えてみた。

私がユニバーサルデザインという言葉に出会ったのは,普通教科「情報」を教え始めてからである。情報のユニバーサルデザインの例としてピクトグラムがあげられていた。ピクトグラムというのは

に代表されるような,いわゆる絵文字とよばれる表示である。日本では1964年の東京オリンピックから本格的に導入されたといわれている。上の非常口のピクトグラムは日本生まれだがISOで標準化され国際規格となっている。

ピクトグラムであるための条件としては,

・単純な図形の組み合わせ
・色に頼らない
・文字を使用しない

などがあげられる。単純な図形の組み合わせであれば,再現性や視認性が高くなり,老若とわず理解しやすくなる。また,色覚障害者にとって色によるメッセージは伝わらない。したがって形で伝えないといけない。視覚障害者は,ピクトグラムをレリーフにすることにより形を認識できる。その際,複雑な形であればそれは難しくなる。文字は地域独自の記号であるので,海外からきた者にとっては意味が無い。文字を使わずに表現する必要がある

つまり,ピクトグラムは老若男女,学歴の有無,居住地域によらず情報を伝えることができる記号なのである。これは「誰にでも便利」すなわちユニバーサルデザインであるといってもよいだろう。

■ユニバーサルデザインとは

ここでユニバーサルデザインについて私が語るのもなんだが,一応7原則をあげておく。

1.どんな人でも公平に使えること。(公平な利用)
2.使う上での柔軟性があること。(利用における柔軟性)
3.使い方が簡単で自明であること。(単純で直感的な利用)
4.必要な情報がすぐに分かること。(認知できる情報)
5.うっかりミスを許容できること。(失敗に対する寛大さ)
6.身体への過度な負担を必要としないこと。(少ない身体的な努力)
7.アクセスや利用のための十分な大きさと空間が確保されていること(接近や利用のためのサイズと空間)
(Wikipediaより)

キーワードは誰にでも便利である。よくバリアフリーと対比されることもあるが,どちらも基本的には同じと考えている。困った人のためになんとかしたい,という気持ちの表れだから。違うのは物理的な面。ユニバーサルデザインを標榜するなら,誰かのためにしたことが,別の誰かを困らせてはいけないということだろう。たとえば車椅子のためのスロープ。車椅子利用者にとっては必要不可欠の設備である。しかし車椅子ではない障害者にとって遠回りを強いられることは苦痛にもつながることもある。バリアフリーであるかもしれないが,ユニバーサルデザインとは言い難い。ならばユニバーサルデザインとよぶためにはどうすれば良いか?最初から段差が生じるような建築物を作らなければ良いのである。現状にあわせて何とかしようとするのがバリアフリーなら,最初からそんなものは作らないというのがユニバーサルデザイン。

教育の現場においても,要支援の生徒・児童に対する配慮が,他の生徒にとって犠牲や辛抱を強いることになればユニバーサルデザインとは言い難い。そして物理的な教室設計や,制度設計など考えるべきことは多岐にわたるだろう。しかしユニバーサルデザインを目指せば,必ずと言っていいほど二項対立やトレードオフの関係に陥りやすい。ここで考えたいのが,それぞれの目的である。対立する二つの事象が持つ目的が共通であり,達成するための行動が互いに対立しないものであれば,両立の可能性の道は残されていると思う。そのことについてはまた別項で述べたいと思う。

というようなことを,講師の話をききながらぼんやりと考えていた。

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