選択を選ばされる

少しネットから離れ、時間が出来たので、たまにはnoteでも書いてみるかと思い立ったが吉日。

書いてみたはいいものの何百文字もの下書きのnoteが溜まる一方で特にこれと言った内容が思いつかなった。パソコンに触れる時間も勉強以外ではほんの数十分程度。もうすぐ夏休みも終わり、放課後の延長戦も半分を切ろうとしている。

進路は、自分の身の丈と合わないものであるが、日々の勉強が実ることを祈って学んでいるが、如何せんモチベが上がらない…。人生の折り返しとも言える就職は目前に迫ってきているが、それをしたくないが為に今の勉強をしてる節が大きい。これまでがそうだったからである。

中高大学は、志望校に行くために、成績は勿論だが、内申と志望校に対しての繋がりをつくっていた。先生からの評価をあげることも厭わない。土壇場での逆転よりも着実に籠絡させる方が私の性格とも合っていた。

その上で、太い負け筋を潰しつつ、出来る限り楽をする。こんなことで上へと上がってきた。

閑話休題

まぁ、もうすぐ色々と選択をしなければならないわけであるが、

しかし、

私は、この「選択をしなければならない」という考えが好かない。結果的にそうせざるを得ないならば仕方ないが、それまでに出来ることをやらず、選択肢を選ぶのに「あーだこーだ理由を付けて文句や鬱憤を言う」のは、お門違いであると思っている。

勿論、これに対して反論は多くあるだろう。しかしだ。やれることをやって文句を言うのと、やれることをやらずに文句を言うのでは、多少なりとも言い分が変わってくるのではないだろうか。やるやらないは人それぞれだし。それにやった人が絶対優位という訳でもない。

閑話休題

結論からいえば、何事もやってみて選ぶ方が良いと思う。やってみてダメなら、向いてないとか難しいとか分かるし、話のタネにもなる。逆に、良い成果が出ればポジティブになる。続けるなり他に生かすなり、少なからずどちらとも経験とはなる。

私の人生はまだまだ続くと思うが、後悔はしたくない。まぁ、私の性格的に後悔はしても経験として生かして、次に昇華するのでマイナスになるのはその時だけなんですけど笑

選ばされるという受動的な選択よりも

選ぶという能動的に選択出来る方が

人生は楽になるのではないだろうか。

まぁ私はそう思いますが、人生が楽しいかは別ですけどね。

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