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陰膳

 おカツばあさんは朝の四時、まだ空のうす暗いうちに目を覚ます。
 よく研いだ菜切り包丁に木のまな板、鉄の鍋を取り出す。台所に葱を刻む音と鰹節の出汁の匂いが漂う。出来上がった味噌汁を、昨夜炊いた米の残りとともに小さな器に盛りつけて陰膳を整えたあと、彼女はようやく自分の食事にとりかかる。
 慎ましい朝食を終え、食器を片付けると、おカツばあさんは割烹着の上にくたびれた合羽を羽織って、のんびりと外へ出る。
 朝日はもう昇っている。鳥の鳴く声が聞こえ、涼しい風が頬を撫でる。おカツばあさんは猫車を押し、小さな足で一歩一歩、あぜ道を踏んでゆく。ふと視線を上げると、山の傍に赤いものが見える。神社の鳥居である。おカツばあさんはそちらに小さく頭を下げる。

 忌地は畑の中にある。血のついた人間の手足がいくつかごろごろと転がっている。ひい、ふう、みい……おカツばあさんは右腕の数を数える。五つ。涼しくなったからナァ、と彼女は呟く。それから片付けにかかる。
 まずは腕時計や指輪を外す。腕の中には拳にぐるぐると鎖を巻いたものもある。脚を拾って、ひとつひとつ靴や靴下を脱がしてやる。残っていた服も取り除き、腕は腕だけ、脚は脚だけ、肉と骨ばかりの姿にして猫車に積む。焼印を押されたもの、古い傷跡が残るもの――ふと、おカツばあさんは動きを止め、手に持った一本をゆっくりと検分し始める。
 男の腕である。付け根から肘にかけて蛇が巻きついたような入れ墨が入っている。鱗の一つひとつが輝いているような、見事な仕事である。そして薬指がない。もうずいぶん前に失ったらしく、傷跡は完全に塞がっている。
 まただね。
 おカツばあさんは呟く。どういうわけか、彼女はこれと同じ腕を、今年に入ってからもう五本も見ている。
 ふと視線を感じて、おカツばあさんは顔を上げる。山際にある鳥居の向こうから、確かに誰かがこちらを見ていた。【続く】

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