D-J Ranch Farm の目指す農場
タイミング...とか、流れって有ると思うのです。
私の場合父が病に倒れ、いつの日か父に万が一の事が起こったら私が日本へ帰って農場を守ろう‼︎と決心したのは早かったですけれども、まさかこんなに早く行動を起こさないと行けない事になるとは思っていませんでした😑
私の場合、愛犬『坊ちゃん』が虹の橋を渡り、最悪のタイミングで父も他界。 そのタイミングで20年以上に渡って働いていたカナダの航空会社から早期退職制度のオファー。一定の勤続年数を持っている人たちはこれを利用し早期に退職すると退職金を手に仕事を辞め、微々たる...ですけれども会社年金を早めにいただけるシステムの受付があったのです。 また仲の良い健康の塊みたいな友達が重篤な病気で倒れ…。そうなると、ぬくぬくと安全で心地よいぬるま湯のような生活に甘んじて、歳をとり体力も衰え...なんとなく年だけ重ねて死んでいく事がとても怖く感じました。
だったら...命ある限り心のキラキラやワクワクを羅針盤にもう一度人生という冒険に出かけよう♬と思いました。 私には『守らないといけないものが無い』わけで、生活の全てが私が日本へ引っ越ししやすいようにお膳立てがされていたようで、『これで行動にうつさなかったらウソでしょ』と宇宙から言われた気がしました。
いつか死ぬのなら、ゲームオーバーまでは心のままに私が夢見る世界を築くよう全力で取り組む事が生きているって事なんじゃ?と、思ったのです。
実は日本へ戻って牧場を守ろうと思った最初の理由は『母(継母)』だったのですが 、母からはあなたの世話にはならない...的な言葉をもらい、最初はかなりショックだったんですけど、プランニングから『母』を除き、私が食べて生きていけて、牧場を守っていければ良いのだと考え直してみると、とんでもなく自由気ままにやりたい放題な夢が広がり始めました。笑
父の死後この1年半、日本にある既存の農業のやり方、システムと、私なりの農業の形を求めて色々と勉強してみました。
北海道の農家はほとんどが大型農家さんでほぼ企業。大型の機械を使って大掛かりな農業を展開する利益追従型の農家です。 私にはまずそんな広大な土地もないし、機械等を購入するお金も無いし、みんなと同じようなオペレーションをする事は不可能です。また、何となくそういうオペレーションをしたいとは思えませんでした。
色々と勉強しているうちに Permaculture (パーマカルチャー)と言うコンセプトと出会いました。Permacultureという言葉は1970年代にオーストラリア南部のタスマニア島で暮らしていたデビッド・ホルムグレンとビル・モリソンが作った造語で、ふたりによれば最初その言葉はパーマネント(permanent)とアグリカルチャー(agriculture)を組み合わせ「永続する農業」という意味が込められていたそうです。動物や多年生の植物、および自生して何年も種を落としまた翌年も勝手に育ってくれるような植物を植え、自然界に元々ある自然を尊重した方法/システム...と理解しています。
Permaculture に興味を持ってリサーチを更に進めていく過程で、化学肥料の事...その代わりとしてどうやって土にパワーを還元するか、そんな事をたくさん学び、農薬について学び、自然農法...に心惹かれていきました。
私は30代の始めに乳がん騒動を起こしています。たまたま左胸に小さなしこりを発見し、長い話しをかいつまむと手術で取る事となりました。私の場合ラッキーだったのは腫瘍を取り出し細胞検査を再度行ったところ悪性ではありませんでした。ただ、腫瘍発見から手術後の細胞検査まで私のホームドクターも私も悪性と思い込んでいたので、自分の生存をかけて色々な事を勉強しました。 中でも食生活については今までの生活を猛省し、過度に加工してある食品や添加物、着色料、野菜にかかっている農薬、遺伝子組み換え作物...は極力避けるようになり、自分が食べる野菜や果物は自分で育てたいと思うようになり、農場生活を実現するためカナダ東部、ニューブランズウィック州のエアカナダのオフィスへ転勤願いを出したほどです。
残念ながら当時のエアカナダは倒産寸前にあり、私の転勤リクエストから数ヶ月後には倒産保護法の適用を受ける事となり転勤願いは全て凍結されてしまいました。また私の生活も色々と変わり私の自給自足生活は実現しませんでしたが、夏の間は庭で家庭菜園を楽しむ事を覚えました。笑
昨今のカナダやアメリカでの食糧事情はなんだかとても怖いものがあります。スーパーに行くと化学肥料をがっつり使って農薬にガチガチに守られて作られたであろう野菜や果物がたくさん売られています。 もちろん農薬を落とすために念入りに洗ったりはしていましたがやっぱり不安は残ります。 なので自給自足は長い間私の心の中に眠っていた憧れであり夢なのです。
もしかしたら、母の生活をサポートしなきゃ...とか家族を食べさせなきゃ...と思ったらもう少し今風の農業を選択したかもしれませんが、私さえ食べていければ...と思うと随分と気が楽です。
なので私の農場では自然農法と、自然と共存するライフスタイルにこだわった農業を営みます♬
そんな時、日本に素晴らしい人達を発見しました。