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転じとんねん

※仏法説話ではございません

四苦八苦」とはgoogle によれば、

非常な苦しみ。また、あらゆる苦しみ。
仏教で、生(しょう)・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会(おんぞうえ)苦・求不得(ぐふとく)苦・五陰盛(ごおんじょう)苦の四苦を加えた言葉。

とある

愛別離苦とは愛するものとの離別の苦しみ、
怨憎会苦とは恨み憎むものにも会わねばならない苦しみ、
求不得苦とは物欲が満たされない苦しみ、
五陰盛苦とは五陰すなわち、

色(しき)、あらゆる物質身体
受(しゅ)、知覚による外界からの刺激
想(そう)、外部の刺激から心に生じる想念
行(ぎょう)、自身の行動と決定
識(しき)、認識している全ての作用に統合して反応する自我
これら五つの機能が生み出す苦しみをあらわす

と云う

つまり「四苦八苦」の語意は「生命として背負う一切の懊悩患苦」という意味だ

翻って、

「新しいプロジェクトで四苦八苦してんだよー」

とは、その仏教用語「四苦八苦」から転じて、ピンチの連続で苦労しているさまをあらわす

さてここからが本題です

お前それ「四苦八苦」の本来の意味ちゃうやろ!誤用やんけ日本語は正しく使えや!!
とは誰もいわない

本来の仏教用語から「転じて」意味を用いているのだ

すなわち「確信犯」も同じである

ここでは言葉の流行がーとか時代がーとかが主題ではない
いったい誰が、どんな権威が、現在の「確信犯」の用法は間違いであると判定したのか
もともとの法律用語*から「転じて」、今の用法のどの点に誤謬があるというのか

確信犯は法律用語*なので知っててわざとやってるー的意味は誤用です、と判決したものをまずあきらかにせよ、そして誤用とした理由を詳らかにせよ

果たして、

事物の正しさを斟酌するとき、まずそれを正しいと判定したものとその論理性を疑え

という話。

*ドイツの刑法学者グスタフ・ラートブルフの提唱による法律用語、とのこと(wikipedia)

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毎日新聞・慣用句の理解度 「確信犯」わずか17%





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