死ぬということ

 コロナで何百万人、戦争で何万人、津波で何万人、死者が出た。

この数。一つの命が、数字になる。

命は尊いと習った。なぜかは、それぞれ才能があり、性格があり、その人を支えに、その人にあこがれ、その人を大切に思って生きているほかの命があるから。二度とジョンレノンは作れない、ということだ。

私のような平々凡々な人間は家族だろう。

家族が悲しむから簡単に命を絶とうとはしない。

事実、死にそうになって3度手術を受けている。

内臓を取ってまで生きている。それは周りの意見。

私は、手術する気なかったから。医療が助ける命は、本当の人生なのか?と考えていたから。


江戸時代なら死んでいた。とっくに。

たぶんわたしは20歳で。医療に頼り、治療を続けてそして今生きている。

結婚して家族も増えた。さらに死んではいけない。

子どもがいないので、彼の拠り所なのだ。

彼はなんでも自分でできる。私がいなくても綺麗に整理整頓、健康管理、仕事、家事、なんでもやってのけるイケメン。

なぜそんな完璧な人に、この体たらくの不精な私が選ばれ愛されているのかがわからない。

死にそうになって、臓器を2個取れば治る、と言われたが、子供ができないし、もう、私は死んでも良いと思った。そしたら、彼は、若いぴちぴちな女性と余裕で結婚し、子供ができて遺伝子が残る、楽しい毎日だ。

子ども好きな彼は野球をし、プールに行き、BBQに行ける。

わたしといたら、全く無理。旅行が嫌い、外でご飯はあり得ない。子ども嫌い、犬嫌い。外出嫌い。

直ぐに風邪を引く、一日のほとんどを寝ている。

家事はしない、片付けができない、ぼーーーっとしているだけ。

でも、「私手術しないよ。20歳で死んでいた命、また死ねってことだと思う」と言った。

そしたら、彼は泣きながら「だめ、手術を受けて」と何度も言って、

「いやいやいやいや、あなたなら、やり直せるから。子供いないの嫌でしょ?」と聞いた。

「子供が欲しくて結婚したわけじゃない」まあ、そう言うかな。

ってことで、手術して、内臓がなくなったが、心臓じゃないと生きているんだ。人間って。

で、そのまま仲良く暮らしてはいるが、後悔しているのではないか?と思うときがある。あの時はそういったけれど。

あたしが死んだら、一人になる彼。

死ぬって何なんだろう。

自殺するほど繊細じゃないけれど、病気の後うつ病に5年ぐらいかかってしまった。内臓が無くなると人間はバランスを失うらしい。うつ病なのか?もわからないけれど、何もしたくない、話したくない、突然キレる。

で、病院へ行ったらうつ病だった。

薬の副作用で耳が聞こえなくなってきた。両方だ。

同じ音量でテレビが見れなくなったのでいつも、私は彼が仕事しているときにヘッドホンでテレビを見て、彼が小さい音でテレビを見ているときはピアノの練習、ヘッドホンでPCでYoutubeをみている。

彼はコロナからずっと在宅。その前からリモート生活ではあったけれど。

2人で毎日いてもストレスにもならない。

でも、私は生きている意味、なんて考えても仕方ないほど生きている。

いつか死ぬのだろう。

彼は買い物に行ってくれる。コロナを持ち帰ったら大変、と気を遣ってくれる。

そういう人なのかな。

優しい、とか、のろけではない。

全く違う性格の人と結婚し、そして今死んでも良い、と思うほど幸せを感じているってこと。

死を意識したことのない人は幸せを感じられないと思う。

私は今幸せ。幸せなうちに死にたい。

彼はこの世の中で一番幸せになって欲しい。と願う

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