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父のこと

そういえば、父のことを書いていないな、と思った。

 父は去年亡くなった。

父は、土地持ちの家に生まれた長男だった。それも東京世田谷区。

ボンボンだ。

 父と母は、10歳離れていて、母はモデルの仕事をしていた、そのころ父と母の共通の友人(遠藤周作氏)を介して紹介されたのだ。

父は母に一目ぼれしたらしい。母は、お父さんみたいな人だと思って、すんなりと結婚した。

 父は、昭和の男、そして優しく、金持ちだった。

 父には、母と結婚する前から恋人がいた。年上の人。

 当時は、年上との結婚は祖母に大反対されて結婚はできなかったらしい。

 そして、母と出会って結婚、姉と私を産んで、父はこどもが大好きでばかみたいに可愛がってくれた。何でも買ってくれる。

 そうなると子供たちはどう育つか、物に執着がない。物は要らない、値段は見ない子供になる。

 ケチなこと言っている人が大人になっても卑屈に見える。だから、お金のことは子どもには言わないほうが良いのではないか、と学生の時に塾でバイトしていた時に思った。「先生のお洋服いくら?」と聞いてくる子供が多かったからだ。変なの。

 そして父は、気に入らないと、母を殴った。DVというほどではないが、世の中で今でも一番怒る姿が怖い人。怒鳴る声が怖い人。父以上に怖い人に会ったことがない。だからなのか、先生や上司が怒鳴り散らかしていても何とも思わない。空気は張りつめているのに、気づかない。

「なんか、怒っているのですか?」と聞ける。みんながびっくりするのだ。

怖いらしいね、人が怒ると。父が怖かったので、「この程度で激怒とか、有り得ないでしょ、理由は何ですか?」と平気だったので、よく「天然なの?不思議ちゃんなの?」と聞かれた。いやいや、平気なんだよ。父が怒ったら、みんな死ぬんではないかと思ったくらいだ。

 父は、そう、浮気男だった。営業マンで、ちょっとガイジンぽい容姿、そして女の子の父ということで、女性に優しかったから、モテた。

 いつも浮気相手がいた。何人も。電話が架かってきたり、ボロを出すのでバレていた。誰も言わなかったけれど。

そして、一番驚いたのが、前の恋人とずっと付き合っていたことだ。

その人に小料理屋をやらせていた。

その人は、良い人だった。なぜか、家によく来て居た人だった。

で、私たちや、母にもとても優しかった。一度家族でその人の小料理屋に行った。

 お品書きを見たら、全部父の字だった。父はサラリーマンだったが、書道家でもあった。

お店中、父の字が書かれていた。なんとなく、「パパが書いたの?」とわざと聞いた。小学校高学年。

父は、聞こえないふりをした、はっきりと覚えている。

そして、娘さんがいた。挨拶に来た。姉と同じ名前。びっくりした。すごい偶然。

そして、姉と似ていた。姉は父似、私は母似、なので姉妹でも似ていない。

「あれ、あっちゃん(姉)に似てるね」と言ったら、姉はほんとだ、似ているかも、って言ったのを覚えている。母は、いつも明るいのに、何も言わない。

変な空気で食事をした。

その人は母に「お料理苦手なんですってね」と言った。

たしかに、母は、面倒くさがり屋だけれど、料理はとてもうまかった。

え???どういうこと?と驚いた。咄嗟に父が話を遮ると、母は、その人と父を見てにっこりと笑っていた。

 何年か経って、父が京都に女ができて2年間帰ってこない時もあった。

でも、毎日電話してくる、仕事だと嘯く、お金は十分なぐらい入れてくれるので怒る父がいなくてその2年は天国だった。

 2年の末、帰ってきた父。大病に罹りまた2年入院した。死ぬのかな?と思った。姉は父をすごく好きだったけれど、私にとってはどうでもいい存在の人だった。あまり家にいないしね。困ることもなかったから。

姉はよくお見舞いに行っていた。私はまったく行かなかった。

ある日、母がお見舞いにいったとき、彼女が手作り弁当を持って父の病室でまるで女房のように世話していたらしい。母と鉢合わせ。

母は、「あ。やっぱり」と思ったそうだ。母はのんびり屋だが、やっぱりそこまで鈍感ではなかったらしい。「じゃあ、私は帰るね」と母なりに気を使って帰ろうとしたら、その人が話をしたい、と言ってきて、事情を知った。

結婚前から付き合っていて、ごめんなさいね、と。

母は、「辛かったですよね?お店のお品書き見たときから気づいていました、そばにいてやってください」と言って、可哀想で泣いたらしい。

???変でしょ?帰ってきて泣きながら、「あの人パパの愛人だったのよ、可哀想なことをしたわ」と母が言った。

私は、「ふぅん、あ、じゃあ、あの人の娘って、パパにそっくりだったよねぇ」と暢気に言ったら、母も、あら、そうだった???まぁ、とか話していたら、

鬼のように激怒しはじめた姉。

 たぶん、姉は、母より父のことが好きだったんだ。女房でもないのに、狂ったように怒り始めて母も私も「ぽかん」としてしまった。

 父の絶対的存在が、その時奈落の底に落ちたのだ。

正しい父、字がうまくて優しい父、正義の父、絶対的存在に君臨していたのだから。


ながくなったので、つづきはまた今度。まだまだこれからたいへんな人生を父は歩んで去年、亡くなった。葬式にも行かなかった。私はね。

おやすみなさい

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