人生のゴールって
人生の最終目標、壮大なミッション、
あればかっこいいのだろうけど数十年後のことを明確にイメージすることができない。
60歳まで生きている自分を全く想像できない。今死んでも「ありがとうございました」って思える気がする。よく言えば今を生きている悪く言えば未来に無頓着、無責任。
生き方とか、自分の存在意義とか、無理に考えさせられて本物が生まれるものではないし、毎日生きる中で形を帯びていくものなのではないかなあと考えている。
天下統一とか、祖国を豊かにしたいとか、自分以外のことに対して一生を捧げる精神の根源はどこにあるんだろう。
彼らが本当に欲しいものはなんなのだろう。
一見自分の利益に直結していないように思える壮大で立派な目標は、表面的なものでしかなくて、本当は地位とか名声とかお金とか裕福な暮らしとか、綺麗な奥さんとか、豊かな暮らしとか、そういう自分自身の願望を叶えるための誤魔化しに過ぎないんじゃないかって疑ってしまう。
どうして国のためとか、環境のためとか、人のためといった社会貢献を人生の目標だと口に出したら周りの人は称賛を送ったり羨望の眼差しを向けるのだろう。
彼らは無条件に自分の人生を切り崩すわけではなかろう。
本当は何が目的なんだ、天下を統一して何がしたいんだ。
本当の善人がいるのだとしたらどうしてそうなれるのか詳細に聞いてみたい。
今、自分は何をしていて楽しいかははっきりわかる。
明日からどう生きるか、何を今の目標にするかだってわかる。
ただ「人生を賭けた」がつくだけで今の積み重ねの上で何を体現したいかを問われている気がして、
自分の人生を総括するに相応しいような飾りの言葉を並べてたくなってしまう。
立派でありがちな人生の目標を掲げたみんなもそうでしょう?
本気で成し遂げたい人はほんの一握りで「人生という競争に勝つため」もしくは「自分の居場所がここにあるという言い訳が欲しくて」着飾っているのでしょう?
でもこの前提で考えると目標を持たない言い訳にもなってしまうなあ。
おやすみなさい。
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