見出し画像

食のランドスケープが一気に変わる『金沢』

●はじめに
金沢において経験した食の一部始終をお伝えします。一言で申し上げると圧倒され続け、頭が都内にいる状態とは比較にならないくらいシャープになりました。

●本文
お世話になったお店をまず書きます。

「日本料理 銭屋」
https://zeniya.co.jp/

「FOOD CLUB」
https://foodclub.cc/

「A■■■■■RESTAURANT」
http://opensauce.co/a-restaurant/

○「日本料理 銭屋」
北陸新幹線で富山から急ぎ金沢に入りタクシーで20時前にお店に駆け込みました。

主人(あるじ)の髙木慎一朗様、髙木二郎様に暖かく迎えて頂きました。

カウンターに座ってからのお料理に活字の説明は不要だと思います。全てではありませんが写真を載せます(銭屋様のご了解を得て撮影しております。※掲載順=お椀、のどぐろの蒸し寿司、鮑ステーキ、八寸〈蓮の葉に乗せて〉)

一言で申し上げますと「圧倒的」です。
日本人一人一人に和食のイメージがあるとするならば「日本料理 銭屋」が繰り出す和食は、そのランドスケープを一気に変えに来ています。

伝統的な和食に見えていますが、その味や素材への向き合い方は、攻めの姿勢が明確で、それ故に味覚を言葉で語ることに限界が見えています。私のランドスケープが一気に変わってしまったと皆様にお伝えし、それ以上の説明は困難です。

東京にいる自分が、食というファンダメンタルな領域において金沢に住んでいる皆様に対して劣後にあるという気持ちにすらなります。

要するに「旨すぎて言葉にならない」「また必ずお伺いする」ということになりましょうか。

○ 「A■■■■■RESTAURANT」
レストランという言葉は一部、sexyという単語と同義だと感じる時があります(ここで定義するsexyというのは某環境大臣が発言した趣旨とは異なり)「余裕」とか「間」とか「攻め(表現)とか受け(受容)」みたいなことになると思います。

これを支える具体的な要素として「空間」が挙げられます。レストランにおける空間は、人間に例えるなら「心」だと思います。「心」とは何を大事にしているかを現すことだと思います。

ここには「間」も「攻め」も「受け」もあるように感じます。そしてその全てが心地よく感じます。身を委ねても良いと思わせる感覚、それがsexyだと思うのです。

テーブルにつくと、わざわざわたくしの名前が記載されたメニューを拝見する。ノンアルコールのスパークリングからペアリングをしてもらいながら一品づつ進む。

ガストロミーなどというプロの食べ手が立ち入る領域に、わたくし如きは立ち入ることが出来ません。しかし言われるがまま、ソムリエの方のお話しを聞き、驚いたりその微妙な味の変化を舌で確かめながら食べ進みました。

「産地とレストランが近い」
東京が金沢に対して劣後にあるのは、多分この点でありましょう。

このレストランを経営するOPENSAUCE社は、食を支える生産者への敬意があります。
http://opensauce.co/

そしてその敬意をベースに生産者に向け「次の社会に向かおう」「次の食文化を創ろう」と投げかけています。

素材、技能、(ITも含めた)科学を使って食文化の次の平原を彼らは見据えているのでしょう。

フェラン・アドリアがかつて「エル・ブリ」で体現した精神がこの空間に横溢しています。
https://wired.jp/2013/03/20/ferran-adria-vol7/

理科の実験のような器具で温まっているのはお椀に注ぐ「出汁」です。

このお椀の中には、鮑と松茸が仕込まれています。出汁が注がれる前に、仕込まれた肝ソースがついた鮑を一切れ頂きます。出汁が注がれた後に松茸の香りが乗り移った鮑をまた一切れ頂きます。

このボトルは「ウーロン茶」です。スキンケアの整った肌のような曇りのない味がします。液体が喉を通る時、苦味もストレスもありません。そしてここで気付きます。料理の写真を食べることに集中するあまりほとんど撮っていないことを。

食べる前に写真を撮るのは、私も好きではありません。しかし食べたものを写真に撮り、テキストで記しておくことは、次の経験領域を拡げる手助けになっている事も片方の事実です。

お店は、金沢の繁華街である片町にあります。地下鉄の階段ような先にこのレストランがあります。

今回は高鍬様、垣内様に大変にお世話になりました。ありがとうございました。

「FOOD CLUB」については次回記述します。


本当にありがとうございました。