ドバイモールを27,000歩歩いて分かった事(その④)

ドバイモールの中で入ったお店を言います。 

ハンバーガー屋さんでコーヒーを一杯飲みました。眼鏡が欲しかったので眼鏡屋に。

あるお店を除き、入ったお店はほぼ以上です。眼鏡は買いませんでした。モールの中ではまともな食事もせずホテルに戻り昨日と同じシーザーサラダを食べ不思議な色した衣のカツレツとタイ米ピラフを食して寝ました。

そしてそのあるお店とは
「紀伊國屋書店」です。 

このお店の滞在時間が最も長く深く、唯一買い物したお店となりました。皮肉なものです。ドバイまで11時間かけ、行き着いた先が日本の本屋さんだったのです。

なぜ「紀伊國屋書店」がドバイモールで最も楽しかったのか、それはファッションブランドやファストフードが持つ均質性や画一性から最も遠い、人の頭の中の想像が解き放たれた場所だったからです。

ブランドが魅せる力を浴び続けると、いわば己れの考えは無くても、己れの想像力などなくても良いという錯覚にすら陥ります。

多分ですが27,000歩歩いたことでブランドの魅せる力はわたくしの想像力や個性を抑圧する力に転化されてしまったのだと思います。そのため無意識にその抑圧から自分の想像脳を開放させるために「紀伊國屋書店」に行き着いたのでしょう。

買った本は3冊です。1万円以上の買い物となりました。うちヴィーガンに関する本は同じ書籍を2冊購入しました。お世話になってる料理研究家の方に贈ろうと思い1キロくらいある本をドバイから日本に持ち込みました。

海外の書籍は品格を感じさせます。装丁含めて作者や編集者が知的なものを本というメディアを介して伝えたい想いが伝わって来ます。

「IKIGAI」
英語圏の人にとって「生き甲斐」という言葉は敢えて説明を要する考え方のようです。様々な作者が日本人の「生き甲斐」について論じている本を見ました。この本は売れている本の棚に載っていました。
https://www.amazon.co.jp/dp/178633089X/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_00amEbN2F2MXZ

この本の背表紙に「生き甲斐」の考え方を分解し有機的に図示したものが載ってました。宗教を生きる規範とする社会において、敢えて「生き甲斐」を書籍化した背景を、いくつか想像しています。

例えば、彼らが宗教社会を認めながらテクノロジーの進化や社会の動態や規範があまりにも変わり続ける様を見たことで、信仰でも金儲けでも快楽でもない自分の内なる部分を見据え、それを自分の生きるチカラ、まさに「生き甲斐」として掘り当てたい境地になったのではないか、と想像しています。

日本人を深く理解した人としか思えない作者の平易な英語がとても真摯な印象を受けます。

ドバイにまで来て本なんか買うか!?まして日本に持ち帰るか!?Amazonがあるだろ、と自分の合理脳が言葉を発してます。しかしこの本は私の新鮮な感動の気持ちを纏っています。物体というよりもはや気持ちとして同化しています。

迷うことなくcashierに向かいました。


その5につづく