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駄菓子屋やめて申し訳ありません。

毎週の週末土日もそうなんだけど、駄菓子屋をやめた事を知らない親子連れが未だに来てくれる。それもあって駄菓子は少し置いているんだけど「駄菓子が少なくてすみません」と謝る度、心が少ししゃんとするな。なんでだろと思えば、誰に対して駄菓子屋をやめたのを謝ればいいかわかるからかも。

子供は店に入った瞬間に駄菓子の少なさを悟って入店時よりつまらなそうだし申し訳ない、親のお客さんは「(今のご時世しょうがないですよねー)残念です」と逆にあちらから畏まってくれたりして、それも申し訳ない。俺が駄菓子をちゃんと用意しとけばこんな事にならない様なもんなのに、やめたんでこんな事になっている。

来てくれてるのは、昔からの常連の方もいれば、去年のGWお盆中に来たから今年も来てくれた方、数年前に何度か来てくれた方、どっちにしても来てくれたのに駄菓子が沢山ない事をちゃんと「すみません」と言いたかったので頭だけは下げられて良かったと思ってました。ただ肝心の駄菓子がないのはほんとすみません。

世間一般まで持ち出さなくても駄菓子屋が一軒なくなるなんて惜しむ事はあってもよくある事だし、子供の頃から何百、千以上と来てくれてた常連の人生の中でだって、ただの通り道に過ぎないし「そういや昔地元に、よく行ってた駄菓子屋があったんだよ」って言ってりゃ済むとこを俺が駄菓子駄菓子とみみっちく騒いでてすまないなとここ一年よく思う。こっちがたまたま駄菓子で食えなかった日々が長すぎて感覚がおかしくなってるだけと云うか、ほんとに煮ても焼いても食えなかったなー。もっとうまくやれてる人みたいにはいかなかったし変な事になってしまったなと自分の人生ながら思ってたりしてます。


幼稚園から知ってる子が高校を出ただけでも入社後五月になったら俺より金もってたり、けど中身は俺より子供なんでいろいろ聞かれたり、しかし俺のアドバイスなんて何処にも使えないよーと思ってみたり色んな事をかんがえさせられた。いろんな子がそれぞれいろんな事を言ってきたんで楽しかった。


それはそれで。たまたま仲良くなった俺たちのなかでべつにそんなこと(駄菓子屋だとか駄菓子屋じゃないとか)はいいじゃん、そんな事はとも思う。超仲良くなったりしたじゃん。


ただ、また来てくれる事はもう多分ないけど駄菓子屋じゃなくなった事を知ってくれた親御さんにちゃんと「駄菓子はもうないですよ」と伝えるのはやらなくちゃ行けない、いつまでとかもなくなんとなくの事だけど。今後も、残りのGW中や夏休み、その後も続く週末もそれを伝えてみたいな思ってました。この夏にちゃんとやれる事があるのがある。俺にもある。


PS、こないだそんな週末に謝ってたら、駄菓子を七百円分買ってくれてたお客さんが、子供にあと「三百円買って来い」と選ばせて、千円分買っていってくれた。その時に俺はなぜか「何かが起きた」と思ったんだけど、なんでだろ?その時の事ばかりここ数ヶ月かんがえている。何かが起きた気だけしただけだと思えばいいんだろうけど、金も名誉も嫁も子供も趣味も夢もないと思ってみれば考えるのはタダだ。あれはなんだったんだろー。わからねー もうちょっと考えます 考えてみたい うっす!


店での暇な時間を見つけていろいろ書いてみます。楽しい。 よしぎの、  駄菓子屋をしてたんですがやめました。いろいろ失敗して2019年からまた同じ場所で店してます。駄菓子もちょっと置いてます。コーヒー、かき氷、缶ビール、絵、他。宮城県仙台市