青りんご恋物語21~いつの間にか一緒にいたY氏

19歳の恋も終わりに近づき、製版印刷科のみんなもそれぞれの道に進み ヤマネ君や三浦クンとも 疎遠になった。

二人は『青りんご恋物語』の主演と助演に認定できる位。『青りんご恋物語』はヤマネ君との事を書きたいがために執筆したといっても過言ではないのかもしれない…

 

青りんごも 製版会社で新人として毎日鍛えられ、同僚達や先輩達との交流も楽しくなってきたのは半年位経ってからだったかなぁ…。

 

職場のみんなで飲みに行く、これがほんとに楽しくて楽しくて 週末に家に帰るというのは 勿体なくてナ… また誰かかれともなく飲みに行くべと言うので週末はほんっとに飲みまくって遊び歩いていたなぁオレの定時は午前4時って感じで職場の皆さんとの付き合いが盛んでありました。

人生で一番戻りたい時期かもしれません

 

 

そんなバブリーな頃に Y氏と仲良しになった。

 

Y氏は同じ年齢でした

製版会社の昼休みに仲良し同僚が集まって話してる中に自然とY氏がいた。

 

Y氏も実家から通っていたのだが ある日自分の部屋に電話を置いたらしい。といっても親子電話じゃが

その親子電話からオレんちに電話をかけてきたことがきっかけで 付き合いが始まった

 

今思えばY氏のことは最初特に好きな相手というわけではなかったんじゃが みんなでススキノに繰り出して遊んでいたので気心は知れていたかな。

 

どうしてもドキドキしたりワクワクしたりするヤマネ君との恋とは違い、Y氏を前に緊張したりドキドキしたりすることは一切無かったんだよな~。

 

それがかえってワタクシ青りんごは気楽で自分のカラーを出せた相手だったのかもしれないっす。

 

「屁」をコキ合うほどの仲ではなかったが Y氏は常に活動的でどこかに行くのも いろいろ情報を仕入れてはワタクシを連れ出してくれた。

最初二人キリで会う約束をしたのもやはりススキノのDISCOだったような気もするなぁ…Y氏ともほんっとによく飲み歩いた。

 

しかしY氏はDISCOで踊る際 非常に動きが激しいため 同僚も

「Y君はいつもぶつかってくる」

と言っていたもんなぁ。

それもだ、決してかっこよい激しさではなく 決してマネできない踊り方でした。

 

もちろんモノマネ好きなオレはこっそりと本人がいない時にY氏のモノマネをしていたんですわ。

 

少し猫背でパコランパコランと軽く内股気味で靴を鳴らして歩く様とか 

 

タイムカードを押す姿とか

 

ほんっとよくモノマネさせてもらったわ。ここでモノマネ披露できないのは残念だけど Y氏を知ってる人はあれね、とわかってくれるでしょう(笑)

 

ドキドキというよりはマッタリと過ごすことができたY氏に自然と安らぎを覚え、週末はもちろん 平日も一緒に過ごし、居酒屋めぐりをしながら人生で一番輝いていた20代前半を過ごしていくことになったのでした。

 

いつの間にか一緒にいたY氏…これから男と女になっていくのですがねぇ(笑)……

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