コミュニティは「求められていない」§2


20180406

コミュニティは「求められていない」§2

https://www.facebook.com/events/582011818821836

参加者17名+キーワードに2番目に反応してくれた中尾聡志さんがゲスト参加

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(最初に吉澤が§1の下記を共有しながら、ふりかえり)

最初に、参加者からひとことずつ

<お題:タイトルのどこにひっかかったかorなんでまた参加したのか>

高齢者の居場所作りに関わっている。地域包括ケア混乱している。地域資源ないのにやろうとしている。コミュニティどうとらえるか考えていた。自分の整理のため。


ずっと前、子どもの居場所づくりに関わったことはあるけど、、、、あることを前提にしてたけどそもそもどういうことなのかな、と思って参加した。


建築のデザインをしている。コミュニティについてほかの人と深める機会それほどないなかで、珍しいと思った。

地域包括ケアのあたりは興味ある。国レベル、個人レベル、グローバルレベルのいろんなコミュニティ、自分が暮らしているところ、バーチャルなところもみんなコミュニティ。さてどこに居所をさだめるんだろうか?広井さんの「コミュニティを問いなおす」読み直してみた。話していくと、違いが判るのがいいと思ってまたきた。


学びの場づくり。ワークショップの企画など。学生向けの企画。被災地ツアーにくるような学生は、コミュニティの感覚があるが、そのほかの学生はさっぱり、、、ギャップがありそう。その正体が知りたい。管理組合活動しているが、町内会に入っていない。「勧誘にこないから」と答えた。自分の中のギャップにも気づいた。


字面にガツンときた。そんなことを考えてきた矢先。業務は図書館を通じた地方創生。そこでもコミュニティでてくる。コミュニティスペース作ろうぜ、という話もでてくる。バズってるけどほんとの中身はなに?

地域包括ケアセンターに4月から勤務。普段、対話の場などにもいく。場からコミュニティがうまれたりしているが、そこからこぼれ落ちていることがむしろ気になる。ここでコミュニティについての新しい流れが生まれる可能性があるかも、あるなら来ておかないと、、、

コワーキングスペースのコミュニティマネージャー。場づくりなど。「そもそもそんなこと求めていない!」という話になってここにつながった。

結婚相談所。近くのシェアハウスに住んでいた経験がある。コミュニティうまくいってるのといってないのを見てるなかで、うまくいっていないほうは「求められていない」のかもと思った。


ネットのコミュニティの運営は長年やっている。大人食堂というコンテンツ運営。大きくなると離れる、という自分の傾向とタイトル。

ザンビアで経営指導のシニアボランティアがえり。コミュニティづくりっていってるくせに求められてない、って面白いと思った。コミュニティは好き。でもなんなんだろうと。ザンビアでは話題にならないだろうと思った。互助が絶対の環境だから?コミュニティって日本語でなんていうの?


本業はIT関連。バズワード。コミュニティってつくとイベントに人があつまる。来月からコミュニティ関連の有償のセミナーにいくのに、求められていないって??と思った。


出版関係。ターミナルケア、お寺関係。お寺を中心にしたコミュニティという話はある。がそこに集まってくる人には警戒する住職。思い通りにいかないと放置されたり。でも寺は逃げられない。始末の悪い話は寺には都合が悪い。どこの住職もその話になる。ほわっとよさそうにみえる。なにものにもなれない存在でもコミュニティとつながるとなにかが解決するような。

大学でデザイン。サービスデザイン。今後の働き方を考えるというテーマで
SNSを通じてコミュニティという言葉に触れた。場所の提案をした。いい評価をもらったあとで、このタイトルに出会って気になった。

たまたま助成金の修正の依頼があってコミュニティ、というキーワードをたたいたらこの場にたどりついた。コミュニティ、もうあるもの。血縁もテーマコミュニティも。意識して入るか抜けるか。自分の軸で選べるといいのでは。求めるコミュニティに入ればいいのでは?アートのアトリエ主宰。
社会構成主義。あなたも社会の一員。

企業内のファシリテータ育成の会社を経営したがやめた。サトシに会いたいと思っていた。なんでか忘れたけど。

場づくり興味ある。対談専用ライブスタジオをやっている。場につくのかテーマにつくのか、ファシリテーターにつくのか。SNSとかたこつぼ化。スナックとか話題になっている。なにがひとをひきつけるのか、きいてみたい。

<ゲストから話題提供>

対話の場づくりと松戸でNPOのスタッフ両方のかかわりがある。後者はまさにコミュニティコーディネーター。中間団体として高齢者の見守り、孤独死を防ぐ活動の支援。自動応答電話の仕組みを普及する事務局。

コミュニティがあいまいな言葉。極端だけど、愛という言葉に近いのでは、あいまいさとして近いと思っている。

自動応答電話の件は、100のうち90ぐらい断られた。町会はあきらめて、見守りに関心のあるコミュニティをつくったほうがいいのでは。そのとき、地縁団体はむしろ邪魔になったりする。関係がある、人にはいらない、もの?派生社会で関係性がある人、以外のヒトが支援対象。その人がサービスを自力で見つけることはたぶんできない。コミュニティができる、できないの大きな要因は移動能力。移動できる人は関係をつくる力がある。ここに来れれば関係がもてる。ITも距離をこえた関係をつくるツール。「ひきこもり」も関係をつくっているといえばつくっている。
家族の関係は保っているが、暮らす関係は保っていない。移動できる、ほかでつながりつくれる。地縁を崩す大きな要因。

しがらみ、を超える。地縁は自由な関係では形成できない。昔は出られないから、運命的に生き抜く必要があった。いまは、いまそこに住んでいる人といきぬく必要がない、人が多い。

いっぽう、円座という活動をしている。テーマのない時間。関係性を築く、でもない。7泊8日の円座があった。臨時だけど地縁のようなものが生まれた。しがらみ、ぶつかりを超える経験があった。疑似的だけど、地縁を作ってたいへんなことだなあ、と思った。

関係したい、関わりたい、ということはあるはず。でも「関係したい」とはいわない。「あなた、潜在的には関わりたいですよね?」とかいわれたら腹が立つでしょ?笑


コミュニティの話を先にもってくると、壁になるのでは?本来あとからついてくるものを先にもってきているのでは。でもそのくらい希求されているのでは。
非構成(的)エンカウンター、カールロジャース、、、
未来の運動会も、競技は集まった人で前日考えて翌日やってみる。

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問い:みなさんはどんなコミュニティを求めていますか?で30分ぐらいの小グループ対話。

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チェックアウトメッセージを1Fに移動してからシェアしたが、全然思い出せないので、FBで求めたコメントが↓

コミュニティが自分たちに求めてきているんじゃないか?

コミュニティにおけるお節介おばさんの有用性は以前から考えていた事だが、それが他の人の発言によって多角的に強化されていくのが心地良かった
基礎社会、派生社会という枠組みの中で、基礎社会の喪失=空洞化という課題感が浮き彫りになった。
今後の(特に都会における)社会構造の中では、自分から派生社会と積極的に関わっていけるコミュニケーション能力が、何よりも重要になるのかもしれない。


「まちづくり」とか「地域創生」とか地域コミュニティの作り手や仕かけ手になることがなぜ人びとに対してこれほどの魅力を持つのか?

その魅力の強さの割に、誰かがしかけたとか既に誰かが作り上げたコミュニティに参加し地道な役割を果たすことが持つ魅力がこれほどまでに低いのはなぜか?という問い

主催や主宰側になることにより得られるナラティブ価値に対し、単なる参加者となることで得られるナラティブ価値のあまりの低さが原因か。

つまり、主催者立場でのコミュニティは求められているが、単なる一参加者立場での「コミュニティは求められていない」

なぜなら、ナラティブ目線では「何者にもなれない自分」から抜けられないから。

2.コミュニティづくりの要諦は、バランスのとれた利害得失関係(下部構造)をうまく構築した上で、利害得失関係を覆い隠す正統化の物語という虚構の共有(上部構造)にある。

下部構造が構築できないままに、古き良き時代というノスタルジー由来の妄想で上部構造を作ろうとしたところで常にそれは砂上の楼閣の憂き目にあう。

例.産業革命の進展で求められる働き方の変化(下部構造)→奴隷解放!人は生まれながらに自由平等で…以下ry(上部構造)

ただ、時間軸の前提を捉え直すことで下部構造の構成要素は進化させられるかもしれない。



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