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カイジ流最高の贅沢

表題と画像の通りである。

これだけで終わっては味気ないので、少し筆を進めるとする。

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最近、自由な時間がかなり増えたので、物思いに耽ることが多い。
いや正確にはやるべき事は多々あるのだが。現実逃避である。
全ての人類に投げかけられた最大の問いであり、謎である、
″人生における、生きる意味″
である。
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結論から言うと、私が思う生きる意味とは、
自身が楽しむため、だと思っている。
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その瞬間、瞬間を楽しんで生きるだけで良い。
それで十分なのだ。

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これだけ聞くと、究極のエゴイズムのように感じる節もあるのだが、それで正解だと私は感じる。
自分の人生だ、他の誰のものでもないのだから。
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まあ、かといって気ままに生きすぎるのも良くない。
他人の楽しみ、生きる意味を侵害する権利を、私たちは有してはいない。パブリックな場面ではモラルを持ち、配慮を欠かさないことも大切だ。
がしかし、逆説的に述べるとすれば、それを侵さない範囲であれば、そして法に触れることがなければ、我々は何をしても良いのだ。
気の赴くままに、なんでもすれば良いのだ。
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人生はクソゲー、とどこかで聞いた台詞もあるが、人生を神ゲーにするもクソゲーにするも、プレイヤー次第といったところだろうか。
まあこんなゲームがあったら、製作会社は潰れるであろうが。

かく言う私も、今の所私なりの生きる意味は満たせているように思う。
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弱いなりに酒を嗜むのが趣味である。
また、美味しいものを食すのも然り。
そして、物心ついた頃から、下手なりに続けている音楽。
この三拍子が揃えば、私は無敵と言っていい。そりゃもう序盤のパパス並みに。

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本日、私は数少ない気のおける友人と食事に出かけた。
高校時分より気を引かれていた店に足を運んだ。
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2人が揃うと、必ずといっていい程、好きな音楽の話に落ち着く。
好む音楽のジャンルや、そこに至るまでのルーツ、どんなバックグラウンドを持って自身の曲や歌詞を書くのか、云々。
そんな話を延々と、毎度2時間では収まらないほどに語るのだ。

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一見非生産的で無駄な時間にも思えるが、私たちはこれで良いのだ。
これが生きる意味なのだと。
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今後どんな道を歩もうと、この無駄と思える時間を過ごすために、私は身を粉にして学び、馬車馬のように働くのだろう。
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それが私の生きる意味、なのだから。

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