開かずのnote
先日SNSのお友達から、
「自分の能力のうち、何が1番英語力に影響してると思う?noteに書いてみてほしい。」
と言われました。
その時私は「文脈をよむてきな!」と答えました。
「文法と文脈ですね多分」と。
そして後日ふと「ちょマテヨ?書いたことあるな、そのnote」という記憶が蘇りました。
書いたことありました。でもあまり読まれてない。
それはなぜか。
隠蔽したから。
実はnote書き始めたころに、義務感というか、なるべく毎日書こうと試みていた時期がありまして、その時にネタに行き詰まって書きました。ほとんど誰にも読まれてないので、別に何でもいいからとりあえず書いてました。
しかし、途中から、SNSで投稿をシェアするようになって、でも、そんなことをすると人が読んでしまう(当たり前)そうなると、下手したら過去記事を遡るという酔狂な方も現れるかもしれません。
ですから、SNSで投稿をシェアする前に、過去に無理やり書いたような投稿とか、特に読まれたくない気がする投稿を全て消したり非公開にしたりしたんですよ実はえへへ。それでも隠しきれてない。全ての投稿が黒歴史。
でも「英語(のテストのみ)が得意なのは、文法が割と得意で文脈が読めるからです。文法大事だね。」
というnoteの一体何がそんなに読まれたくないのか。
何がだろ……
と思って、ちょっと読まれてもいいように書き直してみようと考えたんですけど、読まれてもいいようになりませんでした。
どうやら私は「自分の大したことない知識に関して、何やら持論っぽいことを語る」ということをすごく恥ずかしく感じてしまうようなのです。「持論」といったところで世に溢れる一般論の域を出るようなものですらないのに。いや、むしろだからこそ恥ずかしいのかな…とにかくそもそも全体的に変なところで「恥ずかしい」という感覚がとても強い人間なのです。拗れまくって捻じ曲がったプライドか何かでしょう。
そういえば、家にはGrammar in Useという本が3冊とロイヤル英文法という本がありますが、これも勉強に使ったわけではなく、「英語ができることになっている私がごくごく稀に人に何かを聞かれた時に答えられないかもしれないし、答えられても自分の知識で答えるのが怖いし恥ずかしいから」みたいな気持ちで買ったものだと思います。各0〜5回くらいしか開かれておりません。
何なら自分が思っただけの事を書いたnote(コレ含む)にでさえ、いちいち「※個人の見解です」と書き添えておきたい気持ちに駆られている(という内容のnoteもあったけど多分隠蔽した)くらいなのです。
考えてみると、私のがnoteに書いているのは主に、今買ったもの、今やってみたもの、今ググってきたこと、思い出話、何らかの感想、思いつき、そんなようなことばかり。
そういえば、リアルでも何かを聞かれても、長めに余分に答えてしまったりすると、(あっ、なんか、私ごときがすみません)みたいな心境になることがしばしば。
おそらく私には何かの知識について語るのは、やはりそれ相応の根拠をもった、しかるべき研鑽や努力を積んだ人がやるべきだみたいな気持ちがあって、私のように「平均よりまあまあできる」程度で何となくわかったような気になってそのままにしているみたいな人間は烏滸がましくて恥ずかしくて気を失ってしまうのです。
どちらかと言うとお菓子だとかパンだとかの方が、大したことはできないけど、ちゃんと習った知識もあるし、習った記憶自体も新しくて「私の知識」というより「教わったことの伝聞」+「今やってみたこと」という感覚がしっかりあるので、まだ話しやすいかもしれないくらいです。
そんなわけで、私のnote、その他あらゆる投稿を読む時は、「こんなこと書いて今この人恥ずかしがってんだろうな」と思っておいてください(嘘ですそんなこと思われたら恥ずかしいのでやめてください)
※ほぼ使ってないけどおそらく世間でオススメでお馴染みの文法の本たち。
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