祖父が死んだ

2019/02/25

昼間。スマートフォンが鳴っている音で目を覚ました。昼前だった。イタズラ電話だとかどうでもいい電話だとかが昨今は多いし、昨日はU-NEXTの勧誘だとかがかかって来た後だったのと、何より眠かったので無視した。すると今度はラインの着信音。ラインとケータイの両方の番号を知っているのは親だけだ。仕方ない。眠い目を擦りながら電話に出た。
「今日と明日の予定を教えろ」
と母が出た。横暴な。まず結論から話せ、と様々な指南書に教育されていた私は、モヤモヤした気持ちを抱えながらも、返答することにした。なんせうちの母君は気が短い。不機嫌でない方が珍しいくらいなので、いつスイッチが入るか分からない。
「明日は合同説明会がある。今晩は夜行バスに乗ってそれに行く」
この時の私はリクルートスーツに着られる就活生だった。ちょうど明日は大規模な合同説明会に行く予定だったのである。
私の返答を聞いた母は不機嫌そうだった。しまった。スイッチを押してしまったみたいだ。
「で、明日のそれいつ終わんの?」
どうしてそんな詳細まで話さなくてはならないのか。予定の時間は全部iPadで管理していたから、充電してあるiPadを手に取った。カレンダーを見る。18時に終わるようだ。
しかし、それだけでは母はなおも不満げである。もっと根掘り葉掘り聞こうとする。どこまで話せばいいのかまるで分からない。目的が見えない。
「話が見えないんだけど?」
私がそう言うより早く、母は勿体ぶった言い方をした。
「落ち着いて聞いてほしいんだけど」
その一言で、なんとなく察した。
「……じいちゃん、今朝亡くなったって」
やっぱりな、と思った。

現実感が湧かないまま、スマホで帰省の方法を調べるなどした。新幹線高いな。けど、葬式は明後日だった。帰るなら早い方がいい。背に腹はかえられぬ。昼飯を作る気もなかったので、コンビニに行くことにした。新幹線のためのお金も卸したかったから、丁度いい。大学で印刷しなければならないものもあったので、考えるより先にタスクをこなすことにした。ADHDなので、やるつもりにならないと歯磨きや風呂すらままならないのである。
コンビニでおにぎりと野菜ジュースを買った。そのまま大学に向かうと、丁度今日は受験の前期日程だったらしく、大学は閉鎖されていた。無駄足踏んだな、と思いながら回れ右で家に帰る。途中で郵便局に寄ってお金を卸した。
まだ、現実感はない。歩きながら、死について考える。物書きとして、死とか愛とかいうテーマはずっと考えていた。この時点での私の答えはこうだ。「死は朝日に似ている。誰にでも降り注ぐ」
だから、祖父の死というのも、いつか訪れるもの。そんな風に捉えていた。何より、前に帰省した時は、病院のベッドの上での再会だった。恰幅のいい祖父が、ヒョロヒョロの枯れ枝みたいな姿になっているのを見た時、何とはなしに、「これが最後なんだろうな」とは思っていたから、あまりショックは大きくなかった。

同じ合同説明会に行く友人に、祖父が亡くなったから帰りのバスはキャンセルした旨を伝えた。友人には「それ、どんな気持ちで俺は聞いたらいいの?」と言われた。どうやら、私は笑っていたらしい。いつも、失敗談やらを面白おかしく語る時の私のテンションだ、と言われた。気付かなかった。私は笑っていたのか。どうも、祖父の死という事実よりも、友人の肉親の訃報を急に聞かされた人間が見せる表情を、私は楽しんでいたのかも知れない。非日常感。名付けるならそういうものが私を支配していた。まだ、祖父の死が現実になっていない。シュレディンガーの猫みたいなもので、観測していないから波動関数は収束していない、みたいな。そんな感覚に近い。

夜行バスに乗る時、運転手さんに告げて、帰りの夜行バスはキャンセルした。合同説明会が終わったあと、新幹線で直接地元に弾丸帰省することにしたからだ。バスに揺られながら、葬式で棺桶の中を覗いた時、祖父の死が現実になるのかな、と思った。祖父の嫡男にあたる私の父は、都合悪く中国に出張していた。葬儀には参加できない。父は、死んだ祖父の顔を見ないまま、祖父の骨壷が収まった墓の姿だけを見ることになる。そう考えると、父が少しだけ羨ましいような気も、とてつもなく悲しいような気もした。
揺れる夜行バスで、眠りに落ちながら思う。祖父は、私の夢に出てきたりするんだろうか。

2019/2/26

合同説明会は随分と長丁場だった。猫背をしゃんと無理矢理に伸ばして、真面目な学生のフリをする。聞いている間は必死だったけれど、休憩のたびに祖父のことをかんがえた。幸せだったろうか。辛かったろうか。柔和で温厚な人だった。1年前に病で倒れてから、身体中あちこちをダメにしながら、入退院を繰り返していた。最後の時が穏やかであったらいいな、と思う。退職、といっても自宅の木工所で家具を作って男三人兄弟の食い扶持を稼いでいた人なのだが、ともあれ、店を畳んでから少しずつぼうっとしていることが増えた。正月に帰省した時は病院のベッドでの再会だったけれど、その時は「食欲がない」と言って、一緒に見舞いに行った祖母が作った大好物の料理にも食指が動かないようだった。ある意味で、やり残したことのない人生の閉幕だったのかもしれない。

説明会が終わって、私は東京駅から新幹線に乗った。受験生だった時に乗って以来、高いからと敬遠し続けた新幹線は随分と快適だった。時刻を調べるために、ずっとマナーモードにしてポケットに入っていたスマホを取り出す。ラインに着信があった。中国に出張している父からだった。

「今、成田空港
こまちの予約取ってないけど、これで帰る」

これ? 画像で時刻表が添付されていた。その新幹線は私が乗っているよりも前のものだった。つまり私が就活に勤しんでいる間、父は中国から一足飛びに帰ってきていたという次第だ。そうか、そりゃ戻るか。父にとっては自分の父親だ。

「今日、棺のそばで眠らせてほしい」

と私の父はラインを送っていた。そこで急に、「祖父は死んだ」という事実が浮き彫りになった気がした。両親が共働きだった我が家では、小学生までは祖父母の家が帰る場所だった。祖父。家具屋だった祖父。でっぷりと太った祖父。顔を真っ赤にして熱燗を煽る祖父。優しかった祖父。面倒くさがりの祖父。頑固な祖父。最後、病院で「こんたどさ何時までも居だって仕方ねべ」と言って、私を家に帰したやせ細った祖父。そうか、もう会えないのか。
けれど涙は出なかった。だって人はいつか死ぬ。本当なら、脳梗塞で倒れた時、ペースメーカーを入れた時、そのどこかで死んでいてもおかしくなかったんだから。

新幹線に揺られながら、伊藤計劃の「ハーモニー」を読んだ。私の愛読書で、何度も読み返した本だ。人は死んだらどうなるんだろう。病床で、死と対面しながらハーモニーを著した、伊藤計劃の答えはシンプルだ。人の魂とは、ヒトの報賞系の作用によって生じるカオス。肉体が無くなれば、魂も消える。

祖父は死んだ。心臓は止まり、血液は冷え切り、筋肉は弛緩し、脳は動かない。祖父は死んだ。新幹線は、真夜中の大曲駅に到着した。鈍行に乗り換え、私は故郷に戻ってきた。駅のロータリーに、見慣れない母の車があった。私が大学に入る前だったか後だったかに買い替えた新車だ。運転席に母がいた。助手席のドアを開ける。

「ただいま」
「おかえり」

2019/2/27

白い無地のシャツ。黒いスーツ。黒いネクタイ。木の箱から数珠を取り出して、気の利いた袋を持っていなかった私は、それをジャケットの内ポケットに入れる。髭は剃った。伸びていた髪は朝一で散髪した。シティホールに、母の車に乗って家族全員で向かう。弟はもともと帰省していた。祖父の納棺も手伝ったらしい。ホールに着くと、叔父がいた。普段はラフな格好をしている叔父が、きっちりとスーツを着ていたので誰だか分からなかった。反射的にお辞儀をしてしまったが、すぐに頭の上から声が飛ぶ。

「なに卑屈になってんだよ」
「あ、ごめん。反射的に……」

就活生の悲しい性だった。叔父と話していると、不意に父に背中を叩かれた。

「油売ってねえで、爺ちゃんに挨拶してこい」

そう。私は死んだ後の祖父の顔を一度も見ていない。死んだ祖父を見ていない。シュレディンガーの例え話。もしも私が祖父の顔を、祖父の死を見てしまったら、もう後戻りは出来ないのではないか。

棺が安置された部屋に通される。部屋は明るかった。花の香りがする。恐る恐る近づく。そこには、あった。居た、というにはあまりにも生きていなかった。祖父だ。最後に会った時の、やせ細った祖父の顔だ。死化粧が施され、顔色はまるでいいように見える。けれど、どうしようもなく生きていなかった。ここに来て、急に今までついぞ込み上げて来なかったものが込み上げてきた。必死にこらえて、静かに息をする。

小学生までは祖父母の家が帰る場所だった。祖父。家具屋だった祖父。でっぷりと太った祖父。顔を真っ赤にして熱燗を煽る祖父。優しかった祖父。面倒くさがりの祖父。頑固な祖父。最後、病院で「こんたどさ何時までも居だって仕方ねべ」と言って、私を家に帰したやせ細った祖父。

祖父。そうか。死んだのか。もっと辛いかとも思った。もっと泣くのかと思った。けれど、涙は溢れるほどでもなかったし、存外にすんなり受け入れられた。祖父は死んだ。今ここで、眠っている。「ただいま」も「久しぶり」も必要ない。祖父は死んだ。亡骸だけがここにある。3日前まで生きていたという痕跡だけが、そこにある。

祖父の遺体が霊柩車に乗せられて、斎場、つまり火葬場まで運ばれる少し前、私はシティホールから一足先に斎場に向かっていた。それはというのも、亡くなった祖父の長男の長男ということで、私が受け付けに指定されてしまったからだ。斎場で職員さんから最低限のことを教えてもらい、受付に立つ。火葬の1時間くらい前から、ちらほらと人が現れ始めた。
色んな人がきた。近所の人、遠い親戚、同業の人、仲の良かった友人。私は香典を受け取り、香典返しを渡す。みんな、神妙な面持ちでやってくる。祖父の死が、こんなにたくさんの人から悲しまれている。どこかうだつの上がらない祖父のイメージが少なからずあったから、そのイメージは少し変わった。もっとも、田舎の葬式といったらこういうものなのかも知れない。

しばらくして、人も増えてくる。少し面白かったのは、「手が震えて文字が書けない」という老人が何人か居て、何故か私が記帳を代筆したりしたことだ。年寄りの多い田舎だと、きっと珍しいことでもないのだろう。しばらくして、霊柩車がついた。親戚一同、男手6人が白い棺桶を持って斎場に入る。それは台車の上に置かれ、恙無くホールの中央へ。花で飾られ、線香が焚かれる。

皆が、手を合わせ、祖父の顔を除き、ある人は沈痛な面持ちで、ある人は泣いて、祖父の死を悼んでいる。祖父はこれから、超高温の窯で焼かれる。灰になり、骨になり、斎場の煙突から自然に向かって戻っていく。祖父は死んだ。魂が肉体に宿るなら、祖父は今から完全に消滅する。エントロピーは拡散する。祖父の生きたその痕跡は焼かれ、灰になり、祖父の死は世界に帰っていく。世界に溶けていく。溶けて、消えていく。

最後に、顔見てこい。父に背中を押されて、祖父の棺の前に立つ。顔だ。祖父の顔だ。祖父はもう死んでいる。祖父はもう話さない。動かない。近況を聞いてきたり、お酒を呑んだり、赤ら顔になったり、むすっと不機嫌になったり、笑ったりしない。これが、最後に見る祖父の顔。優しかった祖父の顔。最後だ。

小学生までは祖父母の家が帰る場所だった。祖父。家具屋だった祖父。でっぷりと太った祖父。顔を真っ赤にして熱燗を煽る祖父。優しかった祖父。面倒くさがりの祖父。頑固な祖父。最後、病院で「こんたどさ何時までも居だって仕方ねべ」と言って、私を家に帰したやせ細った祖父。

私は、そんな祖父が好きだった。
いま、気付いた。

祖父はもう、帰ってこない。

いつの間にか、涙が溢れていた。堪えようと思っても流れ続けた。泣くつもりなんかなかったのに、自分の涙腺がこんなに緩かったなんて知らなかった。意識したらもう駄目だった。
祖父の棺は炉の中へ行く。

祖父は死んだ。祖父は今から、もとの場所に戻る。誰だったか、昔読んだ小説に「人は死んでる時間の方が長くて、いま、たまたま生きている。死んでる方が普通で、生きてる方が異常だ。それなのに、どうして人は死を恐れるんだろう」という言葉があった。そうだ。祖父は死んだ。元の在り処に戻るんだ。

扉が閉じる。祖父は今から、還るんだ。私がこの土地に戻ってきて、「ただいま」と言ったように。自然に還って、「ただいま」と言いにいくんだ。

「んだらな、爺ちゃん」

また会おう。私は、いや、ここにいる皆んながいずれそちらに行く。その時まで、ほんの少しのお別れだ。

2019/03/02

葬式のあと、地元の旧友に会ったりした。祖父の死は、もう理解できた。受け入れた。今日、わたしは大学生活を送る今の家に帰る。最後に祖父に線香をあげにいったら、近所の人たちがすでに来ていた。祖母は一人で、たくさんやってくる弔問客の相手をしているのだろうか。それは少し大変そうだ。

電車で、またハーモニーを読む。伊藤計劃は、病院で何を考えていたんだろう。祖父は、ベッドの上で何を思ったんだろう。死ぬ直前、人はきっと、自分の死を考える。祖父は、病院のベッドで一人で死んだ。孤独に死んだが、孤独を楽しめる人だった。

電車で、何度も小さな子供に出会った。元気に笑って、泣いて、走り回っている。
祖父は死んだが、私は生きている。

べつに、死には意味はない。あまりにも悲しいから忘れてしまうけど、死はもっとも普遍的なものの一つだ。スマホよりも遥かに普及しているのに、どうしてもシンボライズしてしまう。人にとって、死は普遍的であると同時に、とても特別なことだから。

伊藤計劃が、いつだかインタビューで言っていた。「人は、意味がないことを怖がりすぎてる。人生にも、人にも、何にも意味がないって思いたがらない。だから人や人生や魂を特別視する。そうじゃなくて、意味がない、ってなった時、それを否定するんじゃなくて、じゃあどうしましょう、ってならない」みたいなことを。

人生にも、死にも、何も意味はない。私は、今日もいつも通りに生きている。
そういえば、祖父が夢に出てくるだろうかと考えたのを思い出した。

小学生までは祖父母の家が帰る場所だった。祖父。家具屋だった祖父。でっぷりと太った祖父。顔を真っ赤にして熱燗を煽る祖父。優しかった祖父。面倒くさがりの祖父。頑固な祖父。最後、病院で「こんたどさ何時までも居だって仕方ねべ」と言って、私を家に帰したやせ細った祖父。

祖父は一回も、夢に出てはこなかった。

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