無題
父がふと「んだら、お見舞い行ってから帰ってくるが」と秋田弁で話した時、はじめて祖父が入院しているということを知った。寝耳に水だったが、とりあえず「あ、うん」と所在なく返事をした。
祖父は他の秋田県民と同じように、よく酒を呑む人だ。顔を真っ赤にしながら酒燗器で温めた日本酒を飲んでいる姿が印象的だ。恰幅が良く、他の同世代の男性がそうであるように、家のことは何もしない人だった。いや、一回だけ料理教室に通って、ゴーヤーチャンプルーを振る舞ったことがあったから、まったくやってないわけではなかった。祖父の名誉のために書いておこう。ともあれ、酒飲みで塩気の強いものが好きで、それで太ってるんだからまあ色々病気をしたりして、そんな人だった。足を悪くしてからめっきり歩くことが億劫になって、車も運転できなくなるような人だ。祖父の病院通いを指して私が「大変だね」と言った時、父が「周りのほうが大変だ」と返したのを覚えている。ともあれ、だから今回の入院もそんな感じだろうと思っていた。
父と一緒に、車に乗って祖父母の家に到着する。祖父が入院しているから、この広い家にいるのは祖母と、飼い犬のコロ。シーズー犬の雑種で、シーズーっぽいけど鼻が高い。祖母はよくそれを「かっこいい顔」と表現していた。
この日はあいにくの大雪で、昼過ぎに祖母の家についたとき、ふだん車を駐めているスペースには結構な雪が積もっていた。きっと朝方にも除雪はしただろうから、午前中だけで十センチ以上積もった計算になる。なんだかようやく秋田に帰省してきたことを実感した。父が「俺は除雪する。おめは早ぇぐ会いに行ってやれ」というから、お言葉に甘えて先に玄関の戸を叩く。「久しぶり」と言いながら祖母の家に入ると、そのコロが尻尾をぶんぶん振ってお出迎えしてくれた。人懐っこいやつだから、誰に対してもこうだ。十歳になるくらいだから、結構な老犬だ。人懐っこすぎて番犬には向かないかもしれないが、皆んなに可愛がられている。いや、誰に対しても吠えながら擦り寄ってくるので、番犬としては案外優秀なのかもしれない。
居間の奥の方に祖母が居た。身なりに気を使う人で、歳を取ってからもずっと髪を黒く染め続けていて、毎日化粧も欠かさない人だった。だから、その白い髪を見た時、前に会った時の祖母のイメージと結びつかなくて多少狼狽した。けれど、笑った時に眼鏡の奥で細められた目は、確かに祖母だった。
「白髪染やめだら、あっとぃう間に白ぐなってしまった」
と語る祖母は、そう言いながらいつかと同じようにお茶菓子を私の前に出して、お茶を淹れるためにポットでお湯を沸かし始めた。
私は近況を語った。今やっていることについて、話せるだけ話した。演劇の話とか、就職の話とか、あるいは旅行に行った話だとか。父や弟づてに話は少し行っているらしくて、そういう話もしたりした。
しばらく話し込んでいたら、玄関の戸が開く音がして、父がやってきた。雪寄せが終わったらしい。父はいつも通りのぶっきらぼうな態度で「雪寄せやっといだど」と祖母に告げる。祖母は労うように「んだが、ありがとうな」と言う。「今朝も五十分ぐれぇ掛げで雪寄せしたんだども、すんぐ、まだ積もってしまっだがら」
祖父が歩かなくなってから、雪寄せも含めてみんな祖母がやっている。ご飯を作るのだって、家を掃除するのだって、洗濯だって。祖母は大変だろうな、とも思う。けれど同時に、何もすることがない祖父は、居心地が悪くなかったのだろうか、とも思った。
祖母が父にもお茶を淹れてくれた。三人で話をした。父が「実は俺、インスタグラム始めだんだ」と得意げに言うので見てやった。父の写真趣味は、私が進学して地元を離れてから始まったものだ。私が大学で写真の課題に取り組んだ時、「カメラが必要なんだよね」と言うと、「なら、俺もう使わねデジカメあるがら、おめさける(お前にあげる)」と言われて私のアパートに送られてきたのは、大昔の、画素数が3桁しかないようなカメラだった。こんなものは授業じゃ使えない、と私が言ったのが少なからずショックだったようで、それ以来カメラについて調べ始め、すっかりハマってしまったのである。
写真は結構な出来のものから、十把一絡げにされるようなものまで様々だった。「なかなかいいんじゃないの」などと言っているうちに、時計が三時を告げる。「そろそろ、買い出し行ぐが」と言って父は重い腰を上げた。身支度を整えて、三人で車に乗った。飼い犬のコロが寂しそうに吠える。
祖母は車を運転できない。祖父ももうできない。だから、多忙の父がこうして休みに車を出して買い物をしたりする。もちろんバスも使ったりするが、やっぱり小回りがきかないらしい。行き先はホームセンター。コロのおやつと、それからLEDライト。祖母宅には防犯用のライトがあるのだが、それが点かなくなってしまったから、新しいものを買いたいのだと言う。
コロのおやつを6袋も買って、それとLEDライトも店員さんに場所を聞いて購入する。「ポイントって使えるなだがや?」と祖母が父に聞くが、「何のポイントよ?」と父は聞き返す。「ここのポイントカードだ」「それだば使えるに決まってるべ」とオチのない会話を経て、会計を済ませる。ポイントは五百ポイントほど使えた。ポイントを使える日付が決まっているのではないかと心配していたらしい。思った以上の値引きができて祖母は上機嫌だ。
その足で、病院に行った。地域でも特段大きな総合病院だ。広い駐車場の、できるだけ建物に近い場所に車を駐める。吹雪いている。少しの道を歩くだけなのに、ちょっと大変なくらいだった。雪が多いから、足元が滑らないのは救いだった。雪まみれになって三人、病院の中に入る。祖母と父は流石にお見舞いも手馴れたもので、祖父の病室のある階を目指してスタスタ歩いていく。私は「もう退院しでも良い人だば、六階さ移るんだど」という祖母に付いていくだけだ。
病院は静かだった。これだけ大きな建物で、たくさん人がいて、それなのに静まり返っている。会う人も、すれ違う人も、静かだった。ある種の緊張感がずっと張り詰めている感じがする。病院の入り口でつけさせられたマスクのせいか、少し息苦しい。エレベータを使って目的の六階につくと、急に父が立ち止まった。
「俺は行がねくて良い」
急にそんなことを言うから、私はびっくりして父を振り返る。祖母が聞く。「なしてしゃ?(どうして?)」「別に。用事もねし。」少し沈黙があって、祖母は言う。「んだら、おらだだけで行ぐ(私たちだけで行っく)」
なんとも言えない空気になって、エレベーターから病室までの道を、祖母と一緒に歩く。父の言葉がちらついた。「周りの方が大変だ」という言葉。どんな思いで祖父と——自分の父と——向き合っているのだろう。良い感情ではないのかもしれない。そうでなければ、わざわざここまで来て、「俺は行かない」なんて言わないだろう。そんなことを思っているうちに、祖父の病室は目の前にあった。私が尻込みしているうちに、祖母が先に病室に入っていく。慌てて後を追った。
最初、誰だか分からなかった。恰幅のよくて赤ら顔の祖父の代わりに、そのベッドで寝ていたのは、痩せこけて青白い肌の老人だった。
急に何かが込み上げてきた。呼びかける祖母の声で、今まで眠っていた老人は目を開けた。ぼそぼそと、何かをしゃべっている。祖母が言う「孫が見舞いに来でら」
祖父の声は聞き取りづらかったけれど、私の父と叔父の名前を言っているのが聞こえた。私が首をかしげると、祖母が言う。「んでねって。息子でねくて孫だど」祖父は弱々しく笑った。そこで、私は祖父が名前を勘違いしていることに気づく。言う。「違うよ。俺だよ。孫だよ。<父の名前>の上のほうの息子だよ」
「今日、何日だ?」と聞く祖父は見るからにやせ細っていた。ご飯が喉を通らないから、点滴を毎日打っているらしい。病院にはテレビが備え付けられているけれど、それを見る気も起きなくて、いつも寝たり、起きたりを繰り返しているらしく、だから来る人来る人にそう尋ねているのだと言う。
布団の間から覗くのは、かつての丸々太っていた祖父からは想像もつかないような細い手だった。私は絶対に泣き顔なんか見せてやるものかと歯を食いしばって、勤めて笑顔で、祖母に話したのと同じように、最近の話をした。できるだけ希望的に脚色して。
祖母は、見ていられなかったのかもしれない。祖母は私の手をとると、祖父のその、やせ細った老人の手をとって、私と握手させた。「ほら、大丈夫だ。ちゃんと力あるべ? 全然元気だ」確かに、祖父はその細い腕から想像されるより、だいぶ強い力で私の手を握った。家具職人だった祖父の握力を私は思い出せなくなって、より胸が詰まった。
祖母は「元気だ」と繰り返し口にするけど、私はそれが信じられなかった。だって、祖父はこんなに痩せこけてはいなかったじゃないか。私はそこで、父が「俺は行かない」と言った理由に思い当たってしまった。自分の父親がこんな姿で病院のベッドに寝ている姿を見て、涙を堪えていられるだろうか。それが辛くて、父はあそこで立ち止まったのではないのだろうか。
「冷でぇ……水っこみでんたの、あるべが?」
祖父は、ぼそぼそとそう言った。冷たい水が飲みたいと言う祖父に、祖母は「わがった。買ってくるな」と言って病室を出ていった。私と祖父だけが病室に残った。
ここで何を話したのか、正直に言ってそんなに覚えていない。ただ、話しながら祖父がふと目を閉じたとき、このまま祖父が死んでしまうんではないかと不安になって、ずっと何かを喋っていないと気が済まなかった。祖父は別に、誰かと話すが好きな人間ではない。だから今まで何を喋ってきたのか、私は全然思い出せなくて、必死に話題をひねり出した。これまで、こんなに必死に言葉を探したことがあっただろうかというくらい、必死に。
祖母が戻ってきた。「病院の売店、正月休みだったっけ」と言って、その手には自動販売機で買った天然水があった。ベッドについたボタンを押して、祖父の上半身を起こす。祖母がペットボトルを開けて渡すと、自分の手でそれを掴んで、ごくごくと喉を鳴らしてそれを飲んだ。「ああ、こんけ有れば良い」けれど、量はほんの少ししか減っていない。
「ずっとこんたどさ居でも仕方ねべ(ずっとこんな所に居ても仕方ないだろ)」
祖父がふと、そう言った。その言葉を皮切りにして、お見舞いはお開きになった。私は脱いでいたコートを羽織って、祖母は差し入れるものを入れてきた袋を片付ける。けれど、いざ帰ると言う段になって「なんと言って帰れば良いのだろうか」と私は動きが止まった。言葉を失った私に、祖父が聞こえづらい声で言った。
「んだら、元気でな」
どう思って、祖父はその言葉を選んだんだろうか。別れの言葉としてはありがちだけど、その時の私はそれを忖度なく受け取れるような気持ちの状態じゃなかった。だから、精一杯絞り出した。
「じいちゃんこそ」
祖父の姿が、窓から差し込む白い雪の光に反射して、逆光になっていた。どうしようもない気持ちになった。病室を出る。
父は、椅子に座ったまま天井を見つめていた。私と祖母が近づくと、こちらを見た。いつもの仏頂面だった。「帰るが」父のその言葉に、私は静かに頷いた。
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