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東海林直人のゴロテマ日本史◇古代11(大学別曹~天平文化)

※ 語呂合わせでテーマ史を記憶するので「ゴロテマ」です。

日本史試験では、暗記が大きなウェイトを占めています。事件・事項・人物・年代を覚えるのが第一歩。一問一答だけで、高校受験には足りるでしょう。しかし大学受験ともなれば、その知識の質を突いてきます。語句を流れの中において論述できるくらいになっていなければなりません。ここまできて漸く合格点をとれる準備が整ったことになります。

でもいざ本番になると、「江戸時代の~〇〇年から〇〇年の△△について述べよ」などで徳川将軍の順番に混乱が起きるでしょう。また「昭和〇〇年から〇〇年の……を述べよ」では歴代首相の就任順の記憶があやしくなることがあります。この些細なことが受験生の頭を悩ませます。「どういう順番だったかなあ!」 長文の問題文を読みすすめながら、頭が混乱してきます。まるで霧の中を歩いているようになることがあります。制限時間はどんどん経過します。これを曖昧にしたまま不安のなかで進めると論旨まで危うくなってきます。こういうパニックに陥りたくないですね。

じゃあもっと勉強しとくんだった? しかし「英語」も「数学」も時間がかかるのです。社会科にこれ以上の時間をかけられない、というジレンマに陥るでしょう。こういうとき確実な知識、たとえば「ゴロ」句で覚えていれば、事項の異同、順番などは迷わずoutputできます。

ゴロテマをやれば、問われたテーマに沿った語句・事項が自然に浮かんできます。そして、自分なりの考えで味付けをすればなんとか書けます。合格点にはギリギリとどくでしょう。日頃からゴロ句をたて糸に歴史を見る練習をするのです。自分なりの考えや感想を練習しておくとよいと思います。

※ S←A←B←C←Dは重要順ランクです※ 「note」は下線を引けないので太字を代用します(以下同じ)


◇古代101.有力氏族がつくった大学別曹の覚え方◇B

[ゴロ]フカ足(わ)んこたちがクシュ
原氏・学院(かんがくいん)・原氏(ありわらし)・学院(しょうがくいん))(気(わけ)氏・文院(こうぶんいん)・氏(たちばなし)・館院(がっかんいん))(海・芸種智院(しゅげいしゅちいん))

[句意]フカフカした毛足の犬んこたちが、クシュとクシャミをしたよ、というナンセンスの句。

[point]
1.大学別曹のおもなものとして、藤原氏勧学院在原氏奨学院和気氏弘文院橘氏学館院の4つがある。空海は庶民教育機関の綜芸種智院をつくった。
[解説]
1.平安時代の有力貴族が、一門の学生(がくしょう)(大学で学ぶ生徒)用に建てた寄宿舎にはじまり、大学付属機関として認定(別曹認定)されたものをいう。ただし和気氏の弘文院は認定されていないという説もある。
2.大学別曹のおもなものとして、藤原氏(藤原冬嗣がつくる)の勧学院在原氏在原業平がつくる)の奨学院和気氏(和気広世がつくる)の弘文院橘氏学館院の4つがある。
3.綜芸種智院は(828年頃)、大学別曹と同時に出題されることが多いので含めておいた。特異な教育機関だが、上層の庶民を下級役人に採用するという当時の政策にそったものだった。
4.なお中央で貴族史部の子弟が学んだのが大学。地方に置かれ郡司の子弟を教育したのが国学

2017津田塾大・学芸:「
 儒教は律令制を支える思想の一部となった。官人を養成する学校として、地方には国学が、中央には大学が設けられた。儒教を学ぶ明経道が大学における中心的役割をはたしたが、やがて中国の歴史・文学を学ぶ紀伝道に移っていった。有力氏族は図書館と寄宿舎を兼ねた[ 3 ]を作り、一族子弟の学業を支援した。ところが蔭位の別の濫用で上位官位が一部の家系に独占されるようになると、大学の地位は低下していく。教官職の世襲も進み、学問的に保守化した。」
_________________
(答:3大学別曹)〉

2017学習院大・文:「
 また、貴族は一族子弟の教育のために、大学寮の敷地外に寄宿舎として大学別曹を設けた。大学別曹として特に有名なのが、藤原氏の(4)〔イ弘文院 ロ勧学院 ハ文化学院 ハ学館院 ホ奨学院〕である。学生たちは学費の支給を受け、書籍を利用しながら大学寮で学んだ。」
_________________
(答:4ロ)〉

2017早稲田大・社会:「
問3 下線部(2)大学別曹に関連して、藤原氏によって設けられ大学南曹と呼ばれた大学別曹はどれか。1つ選べ。
 イ 淳和院 ロ 弘文院
 ハ 勧学院 ニ 奨学院
 ホ 学館院」
_________________
(答:問3ハ)〉

2016明治大・商:「
 平安時代には権門貴族の子弟に与えられた蔭位の特権により官吏の登用試験が形骸化し、主要官職についても世襲制度が確立していったため、大学への入学者は減少した。これに代わり勃興したのが中国への留学生や貴族などが一族子弟の教育などのために設置した大学別曹である。これには在原行平の設立したB【①弘文院 ②文章院 ③奨学院 ④綜芸種智院 ⑤学館院】などがある。」
_________________
(答:B③)〉

2016立命館大・全学部2/4:「
 豊富な素養を備えることが官人の理想とされ、知識人を育成することが氏族の命運に関わる課題と認識されたことから、上中級貴族の間で一族の子弟に対する教育熱が高揚し、その寄宿舎として6大学別曹が設置された。
 一方、出家前に大学で学んだ経験をもつ空海は、大学の入学者に身分的制約が存在したことから、7身分にこだわらず庶民の子弟を含めて教育を授ける施設を設立し、幅広い学問の教育を志したが、この施設は彼の死後急速に衰退した。
問g 下線部6大学別曹に関連して、一族の子弟教育のために勧学院を設置した人物は誰か。もっとも適当な人名を答えよ。
問h 下線部7の施設名として、もっとも適当な語句を答えよ。」
_________________
(答:問g藤原冬嗣、問h綜芸種智院)〉

2016早稲田大・法:「
問9 下線e空海が、庶民教育の目的で京都に設置した学校はどれか。正しいものを1つ選べ。
 あ 奨学院 い 勧学院
 う 綜芸種智院 え 弘文院
 お 学館院」
_________________
(答:問9う)〉

2015立教大・法:「
 この頃の教育施設である大学別曹とそれを設けた貴族との組み合わせとして正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。」
 a学館院-和気氏
 b勧学院-藤原氏
 c弘文院-在原氏
 d奨学院-橘氏
_________________
(答:b)〉

2014立教大・法経済異文化コミュ:「
 下線部8)密教に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
 a.これを天台宗に導入した円珍の門流はのちに寺門派と呼ばれた
 b.これを天台宗に導入した円仁の門流はのちに山門派と呼ばれた
 c.これを日本に伝えた空海は、嵯峨天皇、橘逸勢とともに三蹟と呼ばれた
 d.これを日本に伝えた空海は、庶民に門戸を開いた綜芸種智院を創設した
_________________
(答:c× ※三筆の誤り、これを日本に伝えた空海は、庶民に門戸を開いた綜芸種智院を創設した)〉

2013早稲田大・文化構想
 ……大学別曹という施設を設けた。藤原氏の[ B ]、橘氏の学館院などがあった」
_________________
(答:B勧学院)〉

2013法政大・法国際文化キャリアデザイン:「
 平安時代になると、橘氏の[ 2 ]のように、有力な諸氏には一族の子弟が寄宿する[ 1 ]別曹がもうけられた。
_________________
(答:1大学、2学館院)〉

2012京都大・前期:「
 下線部dの興福寺を氏寺とする氏が、子弟の教育の場とした大学別曹の名称を記せ。」
_________________
(答:勧学院)〉

大学別曹と国学

◇古代102.大学の3課程教科の覚え方◇C

[ゴロ]大学は/明経(けい)・ロリで/還暦です
大学)(明経道(みようぎようどう)・明法道(みようぼうどう))(語・令)(文・史・紀伝道(きでんどう))

[句意]出身大学は明治大経済学部と法学部、ロリコンで還暦(60歳)です、という人物紹介の句。明経道に論語、明法道に律令がそれぞれ対応しています。くれぐれも「明法経」とせぬように注意してください。

[point]
1.大学〔大学寮〕のおもな教科には、明経道(論語など)・明法道(律令など)・紀伝道(漢文・歴史)があった。
[解説]
1.明経道は、『論語』『孝経』などの儒教の経典を学ぶもの。明法道は、律令などの法律を学ぶもの。紀伝道〔文章道(もんじようどう)〕は、漢詩文・歴史(中国史)を学ぶもの。
2.これらのほかに、音・書・算などの諸道があり、陰陽・暦・天文・医などの諸学が各官司で教授された。
3.教育機関としては、官吏養成のために中央〔都〕に大学、地方に国学(原則各国の国府に設置)がおかれた。入学者は、大学の場合は貴族(五位以上)の子弟や朝廷に文筆で仕えてきた人びとの子弟、国学の場合は郡司の子弟らを優先とした。学生は大学を修了し、さらに試験に合格してようやく官人となれた。
4.大学の教科は、『論語』『孝経』などの儒教の経典を学ぶ明経道、律令などの法律を学ぶ明法道や、音・書・算などの諸道があり、のち9世紀には漢文・歴史をふくむ紀伝道が生まれた。これらのほかに、陰陽・暦・天文・医などの諸学が各官司で教授された。

2017学習院大・文:「
 律令制下においては、学令によって、官吏養成を目的とした大学寮が都に、国学が地方に置かれることとなった。大学寮の学科のうち、9世紀には漢文学・中国史を教える学科として、(3)〔イ算道 ロ陰陽道 ハ紀伝道 ニ明法道 ホ音道〕が生まれた。
 また、貴族は一族子弟の教育のために、大学寮の敷地外に寄宿舎として大学別曹を設けた。大学別曹として特に有名なのが、藤原氏の(4)〔イ弘文院 ロ勧学院 ハ文化学院 ハ学館院 ホ奨学院〕である。学生たちは学費の支給を受け、書籍を利用しながら大学寮で学んだ。」
_________________
(答:(3)ハ、(4)ロ)〉

2017早稲田大・社会:「
問1 下線部(1)大学に関連する記述として、不適切なものはどれか。1つ選べ。
 イ 律令制では大学は中務省の管轄下にあった。
 ロ 学生は大学を修了し、さらに試験に合格してはじめて官人となることができた。
 ハ 地方には国ごとに国学が置かれ、郡司の子弟らを優先して入学させた。
 ニ 上級貴族の子弟は大学を出るよりも蔭位の制で出仕するほうが有利であった。
 ホ 史書や経書などの教科書は地方にも広まっていた。
問2 下線部(1)で教えられなかった学科はどれか。2つ選べ。
 イ 明法道 ロ 陰陽道
 ハ 算道  ニ 医道
 ホ 音道
問3 下線部(2)大学別曹に関連して、藤原氏によって設けられ大学南曹と呼ばれた大学別曹はどれか。1つ選べ。
 イ 淳和院 ロ 弘文院
 ハ 勧学院 ニ 奨学院
 ホ 学館院」
_________________
(答:問1イ×中務省→式部省、問2ロ、問3ハ)〉

2016明治大・商:「
 公教育制度の歴史上、大宝律令の「学令」が最古の学制にかかわる記述である。それによれば、国都に式部省所管の大学、地方に[ あ ]がおかれた。大学の教科は、『論語』『孝経』など儒教の経典を学ぶ明経道、律令など法律を学ぶ明法道などがあり、官吏養成機関として基本的にはA【①二 ②三 ③四 ④五 ⑤六】位以上の官人の子弟や東西史部の子孫に対して入学資格を与えていた。学生は大学を修了し、さらに試験に合格して官人となった。[ あ ]は郡司の子弟を対象としていたが、定員未満の場合に限り、郡司以外の子弟も入学できた。このほかにも典薬寮、陰陽寮、雅楽寮などではそれぞれの教育機関を設け、種々の専門的教育が施されていた。平安時代には権門貴族の子弟に与えられた蔭位の特権により官吏の登用試験が形骸化し、主要官職についても世襲制度が確立していったため、大学への入学者は減少した。これに代わり勃興したのが中国への留学生や貴族などが一族子弟の教育などのために設置した大学別曹である。これには在原行平の設立したB【①弘文院 ②文章院 ③奨学院 ④綜芸種智院⑤学館院】などがある。」
_________________
(答:あ国学、A④、B③)〉

2014明治大・国際日本:「
 貴族らの子弟を学生とする大学寮では、儒教を学ぶ明経道、法律を研究する明法道などとともに、漢文学や中国史を扱う[ F ]が教えられていた。」
_________________
(答:F紀伝道)〉

2013早稲田大・文化構想2/12:「
 学問が知識の体系化であるならば、日本においてそれが確立するのはいつなのか、見きわめるのはなかなか難しい。ひとつの契機といえるのは、古代の貴族たちの間における、中国に関する知識への興味・関心であろう。これらは、貴族たちが官人として身につけるべき必須の教養と考えられ、9世紀には、中国の歴史や漢詩文を学ぶ[ A ]が盛んになり、官人養成のための教育機関である大学などで教えられた。なお、貴族は子弟のために、大学の寄宿舎にあたる大学別曹という施設を設けた。これには藤原氏の[ B ]、橘氏の学館院などがあった。」
_________________
(答:A紀伝道〔文章道〕、B勧学院)〉

2013法政大・法国際文化キャリアデザイン2/16:「
 奈良時代の律令制度は、中央集権的な行政をおこなうために、官吏を必要とした。その養成機関連して、都に貴族の子弟を対象にする[ 1 ]を、地方に郡司の子弟などを対象にする国学をおき、儒学を中心とす諸学を教えた。平安時代になると、橘氏の[ 2 ]のように、有力な諸氏には一族の子弟が寄宿する[ 1大学]別曹がもうけられた。[ 1大学]は、前代に続き、官吏を養成するもので、そこでは儒学を学ぶ[ 3 ]などが教授された。
_________________
(答:1大学〔大学寮〕、2学館院、3明経道)〉

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