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東海林直人のゴロテマ日本史◇近世6(享保の改革~寛政の改革①)


◇近世§51.享保の改革の覚え方①(登用7人)◇A

[ゴロ]寛大な/9雄牛(きゅうおぎゅう)が/9鼠(きゅうそ)に/非難色(ひなんいろ)で/「コンヤロウ
(尾春央(かんおはるひで)・岡忠相)(田中隅(きゅうぐ)・荻生徂徠(おぎゅうそらい))(室鳩巣)(1716年)(青木陽・野呂玄丈(のろげんじょう))

[句意](いつもは)寛大な雄牛9匹が9匹のネズミに非難色(の顔色)で「この野郎」と言った、というナンセンス句。1字使いが多いので、再現練習をお願いします。

[point]
1.享保の改革期(1716~45)に、荻生徂徠(侍講)、田中丘隅(たなかきゅうぐ)(農政家)、野呂玄丈・青木昆陽(蘭学者)、神尾春央(かんおはるひで)(勘定奉行)、大岡忠相(町奉行)、などが登用された。
[解説]
1.享保の改革(1716~45)は8代将軍吉宗によって行われた改革。徳川家康時代の政治経済政策を理想とした。吉宗は、1740年、青木昆陽・野呂玄丈蘭語学習を命じる一方、漢訳洋書輸入を緩和した。これがのちの蘭学隆盛の基礎となる。
2.青木昆陽(1698~1769)は、江戸日本橋の魚屋の子。京に上り伊藤東涯古義学を学び、江戸八丁堀に塾を開く。折からの享保の飢饉に書いた『蕃薯考(ばんしょこう)』が大岡忠相を通じて吉宗に認められ出仕。以後甘蔗の普及につとめる。吉宗の命を受け野呂玄丈とともにオランダ語学習につとめ、その成果は前野良沢によって継承され、のちの蘭学興隆の基となった。
3.野呂元丈(1694~1761)は、吉宗の御目見(おめみえ)医師。青木昆陽とともにオランダ語書籍解読および西洋本草(薬草)学導入の先駆(さきが)けとなり、のちの蘭学興隆の道を開拓。
4.荻生徂徠(1666~1728)は、綱吉の侍医の子。父の不遇時代に上総(かずさ)の農村で暮らす。この経験が実証的な学者となる基礎となる。やがて儒学者として柳沢吉保につかえる。吉保の失脚後は官を辞し江戸で私塾蘐園塾(けんえんじゅく)を開き、古文辞学を大成。さらに吉宗に登用され、幕政の改革を述べる『政談』を献じた。
5.室鳩巣(1672~1734)は、はじめ金沢藩に仕え、藩主・前田綱紀の命で京都の木下順庵の門下となる。新井白石の推挙によりで、江戸幕府の儒者となり、家宣家継吉宗の3代に仕え、享保の改革ではブレーンの役割を果たす。赤穂事件においては赤穂浪士を擁護した。
6.神尾春央(1687~1753)は、勘定奉行として徹底した検地や隠田の摘発で幕領耕地の拡大に努めた能吏。「胡麻(ごま)の油と百姓は、絞(しぼ)れば絞るほど出る」(本多利明西域(せいいき)物語』)と語ったとされる。
7.大岡忠相(1677~1752)は、24歳で養父の1920石の旗本家を継ぐ。41歳で町奉行に昇進。後世の脚色された「大岡政談」などで人情味あふれる名奉行の評判をのこす。素顔は、訴訟・裁判が山積する町奉行の業務を迅速にこなす有能な封建官僚だった。最後にはたびたびの加増で1万石の大名となった。
8.田中丘隅(1662~1729)は、農政家。東海道川崎宿の名主の家を継ぎ、衰微していた川崎宿の復興につとめる。1723年大岡忠相から農政や治水について諮問されたのをきっけに、幕命により荒川酒匂川(さかわがわ)・多摩川などの治水に成功。晩年その功により、武蔵国の代官に任じられた。

2019同志社大・全2/5:「
(い)覚
  一 近年金銀出入段々多くなり、評定所寄合の節もこの儀をもっぱら取り扱い、公事訴訟は末にまかりなり、評定の本旨を失い候。借金銀買懸かりなどの儀は、人々相対の上の事に候えば、今よりは三奉行所にて済口の取り扱い致すまじく候。しかし、欲心を以て事を巧み候出入りは、不届きを糺明いたし、御仕置申し付くべく候事。   (後略)
【設問ケ】この「覚」は享保4年(1719)に出されたもので、この時の江戸幕府の将軍は( ケ )であった。( ケ )に入る人物名を漢字4字で記せ。
【設問サ】この将軍は、殖産興業にも力を注ぎ、朝鮮人参・櫨(はぜ)・甘蔗(さとうきび)などの栽培を奨励するとともに、( サ )を登用して甘藷(サツマイモ)の普及にも努めた。( サ )に入る人物を以下の語群より1つ選び、記入せよ。
 1.宮崎安貞 2.大蔵永常
 3.佐藤信淵 4.青木昆陽
_________________
(答:問ケ徳川吉宗、問サ4)〉

2019明治大・文2/13:「
問3.下線部(ア)(将軍徳川吉宗は、それらの問題に対処するため改革を実行した)について、この時の取り組みとして誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
 ① 大名の大岡忠相を町奉行に任じ、定火消を組織するなど、江戸の都市政策を進めた。
 ② 東海道川崎宿の名主である田中丘隅を登用し、民政にあたらせた。
 ③ 金銀貸借についての争いを幕府に訴えさせず、当事者間で解決させることとした。
 ④ 田安家・一橋家を創設させて跡つぎとしてそなえさせ、徳川将軍家の安定をはかった。
問5.下線部(ウ)新しい作物の生産も奨励したに関連して、作物の説明として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
 ① 奄美大島に伝来した甘蔗は、江戸時代中期に砂糖の需要が高まると栽培が拡大した。
 ② ウルシ科の櫨の実からは蝋を採集し、ろうそくをつくった。
 ③ 甘藷は、青木昆陽が救荒作物として重視し、野呂元丈が著書『蕃薯考』で栽培を奨励した。
 ④ 薬用の朝鮮人参は輸入が盛んだったが、日光で栽培が成功すると、国内での栽培が進んだ。」
_________________
(答:問3①×大岡忠相は旗本、問5③×『蕃薯考』は青木昆陽著)〉

2019立教大・異文化コミュ経済法全2/8:「
 また、吉宗は、儒学を民衆教化のために活用する政策を推し進めるとともに、キリスト教と関係のない漢訳洋書の輸入を許可し、⑧オランダ語による西洋学術研究の礎も築いた
問8.このことに関わって蘭学研究を命じられた人物はどれか。次のa~dから1つ選べ。
 a.青木昆陽 b.渋川春海
 c.山片蟠桃 d.山脇東洋」
_________________
(答:問8a)〉

2019同志社大・グロ地文商心神2/9:「
 さらに、1732年には、天候不順の西日本一帯でうんかの虫害により大飢饉が発生した。幕府は、l江戸町奉行などを中心に飢饉対策を行い.西日本の大名を救済するために大坂にあったm非常用の備蓄米をふりむけた。しかし、江戸では、有力な米問屋が米価急騰の要因を作ったと噂され、1733年にn打ちこわしが起きた
問l.飢饉の対策を行った江戸町奉行の人物名を下記より選べ。
 1.大岡忠相 2.田中丘隅
 3.神尾春央 4.柳沢吉保
問m.非常用の備蓄米は、江戸初期より存在したが、寛政期より諸藩は1万石に対し、50石の割合で備蓄するよう命じられた。この備蓄米は、何と呼ばれるか。漢字2字で記せ。
問n.打ちこわしの説明として適当なものを下記より選べ。
 1.村役人の不正を追及する運動。
 2.正規の訴願の順序を超えて、上級の役所や役人に訴えでること。
 3.中山道ぞいの村々が助郷役の増加に反対した運動。
 4.町人や農民が米商人などを襲い、家屋や家財を破壊する行動。」
_________________
(答:問lー1.問m囲米※享保の改革の上米の前例にならったもの、問n4)〉

2019立教大・異文化コミュ経済法全2/8:「
 奉行には旗本が、それぞれ就任する仕組みを作り上げるなど、徳川幕藩体制の支配原理ともうまく適合した。8代将軍徳川吉宗の時代になると、側近政治をやめ、将軍の意志を幕政に反映させるために、新たに〈 け 〉を設けて、将軍自ら先頭に立って改革に取り組んだ。さらに、儒学者の意見を政治の参考とするほか、⑦より広く有能な人材を積極的に登用することで、徳川幕府成立から約100年を経て大き変化しはじめた社会に対応するための制度改革を行った。また、吉宗は、儒学を民衆教化のために活用する政策を推し進めるとともに、キリスト教と関係のない漢訳洋書の輸入を許可し、⑧オランダ語による西洋学術研究の礎も築いた
問B.文中の空所〈け〉にあてはまる適当な語句をしるせ。
問7.このことに関わって登用された人物はどれか。次のa~dから1つ選べ。
 a.木下順庵 b.佐藤信淵
 c.高橋至時 d.田中丘隅
問8.このことに関わって蘭学研究を命じられた人物はどれか。次のa~dから1つ選べ。
 a.青木昆陽 b.渋川春海
 c.山片蟠桃 d.山脇東洋」
_________________
(答:問B御用取次、問7d、問8a)〉

2016関西大学・全学部2/7:「
問12 この史料にあるように西洋の事物が紹介され、やがて蘭学が発達した。青木昆陽や野呂元丈にオランダ語を学ぶよう命じた将軍は誰か。
 ア徳川綱吉 イ徳川吉宗
 ウ徳川家重」
_________________
(答:問12イ)〉

2016立教大・文:「
問10.これ(享保の改革)に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
 a.勘定奉行の神尾春央は「百姓と胡麻の油はしぼればしぼるほど出る」と述べたと伝えられる
 b.徳川吉宗に登用された寺西封元は、『民間省要』という農政建言書を書き上げた
 c.徳川吉宗はキリスト教関係以外の漢訳洋書の輸入制限をゆるめ、野呂元丈にオランダ語の習得を命じた
 d.徳川吉宗は諸大名や商人に買米令や廻送制限令を出し、米の公定価格を決め、米価の下落を抑えようとした」
_________________
(答:b×寺西封元→田中丘隅)〉

2015早稲田大・人間科学:「
問6 下線部e8代吉宗の諮問に答えた『政談』の著者は誰か、1人選べ。もし該当するものがなければ、カを選べ。
 ア室鳩巣 イ太宰春台
 ウ荻生徂徠 エ野呂元丈
 オ石田梅岩」
_________________
(答:問6ウ)〉

2013同志社大・法グロコミュ:「
問オ.吉宗は、1717年にある人物を町奉行に任命し、江戸市中の改造に取り組ませた。彼は江戸を防災都市とする種々の政策を行なった。この人物名を漢字で記せ。」
_________________
(答:問オー大岡忠相)〉

2012立教・経済法異文化コミュ:「
 8代将軍徳川吉宗は、幕府財政の悪化に対処するため、享保の改革を実施した。吉宗は、山田奉行から江戸町奉行に抜擢された〈 あ 〉や、『民間省要』の著者で宿駅の名主でもあった( ロ )など、有能な人材を多く登用した。また、幕府財政の安定をめざして年貢の徴収方法を〈 い 〉に変えるなど、さまざまな施策を実施した。
〔選択肢〕
 a大蔵永常 b大原幽学
 c田中丘隅 d二宮尊徳」
_________________
(答:あ大岡忠相、い定免法、ロc)〉

2012立教大・文学部:「
問9 吉宗に仕えた儒者を、次のa~dから1つ選べ。
 a.野中兼山 b.室鳩巣
 c.山鹿素行 d.山崎闇斎」
_________________
(答:問9b)〉

◇近世§52.享保の改革の覚え方②(政治経済8件)◇A

[ゴロ]帳面合った土建工事株を/あげたし
定免法(じょうめんほう)採用・相対済(あいたいすま)し令)(島(どうじま)米市場公認・約令・公事方御定書(くじかたおさだめがき)・仲間公認)(米(あげまい)の制・高(たしだか)の制)

[句意]帳面つまり予算に合った土建工事(会社)株をあげ(贈り)たい、という句。

[point]
1.享保の改革のおもな施策は、定免法採用・相対済まし令・堂島米市場公認・倹約令・公事方御定書・株仲間公認・上米の制・足高(たしだか)の制の8件。
〔解説〕
1.享保の改革(1716~45)は8代将軍吉宗によって行われた改革。徳川家康時代の政治経済政策を理想とした。吉宗は、旗本・御家人に質素・倹約を命じ(倹約令)、財政再建に取り組んだ。
2.1722年には、緊急政策として、大名が江戸に参勤する期間を半減するかわりに、石高1万石につき100石上米を命じて財政を補った。
3.また新田開発を推進し、約412万石だった幕府直轄地の総石高を463万石にまで増やし、定免法を導入して年貢増徴をはかった。定免法は、過去数年間の租税額を平均して豊凶に関係なく一定額を取る方式、これまで、収穫高に合わせて税額をきめる検見(けみ)だった。また税率を五公五民にかえた(従来は四公六民)。
4.また、諸物価引き下げのために、炭・薪・塩・酒などを扱う江戸の問屋に仲間をつくらせ(のちの株仲間)、大坂の堂島米市場を公認して米価維持につとめた。
5.一方、吉宗は、法や行政制度の整備に取り組み、金銭貸借をめぐる訴訟の増加で他の裁判が滞らないよう、当事者間で解決させる相対済し令を出した。
6.また、公事方御定書を定めて裁判や行政の基準を明確にし、人材登用のため足高の制を定めた。
7.財政再建のため米価の高値調節を目指すが成果は空しかった。そのため「米将軍」の異名をとることに。
8.就任当初は良質の享保金銀を発行。しかし方針を転換し、正徳金銀を悪鋳して元文金銀として発行した(享保年間の発行ではないことに注意)。

2019中央大・経済2/14:「
 次の史料(原文から漢字や仮名づかい、句読点を加える等適宜修正している)を読み、下記の設問に答えなさい。
〔史料〕
 「其上昔ハ在々ニ殊ノ外銭払底ニテ、一切ノ物ヲ銭ニテハ買ハズ、皆米麦ニテ買タルコト、①(それがし)田舎ニテ覚タル事也。近年ノ様子ヲ聞合スルニ、元禄ノ頃ヨリ田舎ヘモ銭行渡テ、銭ニテ物ヲ買コトニ成タリ。」
問1 史料は、江戸時代享保期に、徳川吉宗の諮問に答える形で当時の幕政改革について、下線部①が述べた意見書である。下線部①に該当する人物名を1つ選べ。
 ア 太宰春台 イ 荻生徂徠
 ウ 伊藤東涯 エ 新井白石
 オ 山鹿素行
問2 下線部①による意見書名として正しいものを1つ選べ。
 ア 『経済録』
 イ 『折たく柴の記』
 ウ 『制度通』 エ『中朝事実』
 オ 『政談』
問3 史料に関連して、徳川吉宗の施政として誤っているものを1つ選べ。
 ア 甘藷・さとうきび・櫨・朝鮮人参などの栽培が奨励され、畑地からの年貢増収がはかられた。
 イ 物価調整や商工業統制のため、同業組合である株仲間が公認された。
 ウ 殉死の禁が出され、主人の死後に殉死することなく、跡継ぎの主人に奉公することが義務づけられた。
 エ 評定所の門前に投書箱が設置され、施政や役人の不正などへの庶民の直訴が受けつけられた。
 オ 大名から1万石につき100石の割合で米を上納させ、その代償として、参勤交代の負担が軽減された。」
_________________
(答:問1イ、問2オ、問3ウ×4代家綱の政策)〉

2019早稲田大・文化構想2/12:「
 江戸時代に、8代将軍徳川吉宗は財政再建の一つとして、a金銭の貸借をめぐる訴訟を幕府が受けつけず、当事者問で解決させる法令を出した。さらに吉宗政権の末期にはb公事方御定書が制定され、判例にもとづく司法判断がいっそうすすめられた。
問3.下線aについて、この法令を何というか。
問4.下線bについて、これの編纂に参加した人物として正しいものはどれか。1つ選べ。
 ア.室鳩巣 イ.新井白石
 ウ.荻生徂徠 エ.松平定信
 オ.大岡忠相」
_________________
(答:問3相対済令、問4オ)〉

2019同志社大・全2/5:「
(い)覚
  一 近年金銀出入段々多くなり、評定所寄合の節もこの儀をもっぱら取り扱い、公事   訴訟は末にまかりなり、評定の本旨を失い候。借金銀買懸かりなどの儀は、人々(    キ )の上の事に候えば、今よりは(ク)三奉行所にて済口の取り扱い致すまじく   候。しかし、欲心を以て事を巧み候出入りは、不届きを糺明いたし、御仕置申し付   くべく候事。 (後略)
【設問キ】この「覚」は、民間の貸借訴訟などを今後は評定所で受理せずに、当事者間で済ませるように命じた法令である。( キ )に入る語句を漢字2字で記せ。
【設問ケ】この「覚」は享保4年(1719)に出されたもので、この時の江戸幕府の将軍は( ケ )であった。
( ケ )に入る人物名を漢字4字で記せ。
【設問コ】この将軍が進めた幕政改革は、そのほか種々の問題にわたった。財政再建の目的で、参勤交代の負担を軽減しつつ、大名から石高1万石について100石を上納させる( コ )もその1つである。( コ )に入る語句を以下の語群から1つ選び、記入せよ。
 1.上げ米 2.検見取り
 3.上知 4.買米令
_________________
(答:問キ相対、問ケ徳川吉宗、問コ1)〉

2019立命館大・全2/3:「
 近世の上方では、おもに西日本の諸藩が、大坂におかれた保管・取引施設である[ G ]に年貢米を送り、米市場で換金することで貨幣収入を得ていた。米市場では実際に米と貨幣が交換されるだけでなく、米との交換を保証する証券である米手形や米切手が転売されていた。こうした金融市場的な性格もあった大坂[ H ]の米市場は、享保の改革の際に米価の調整のため相場が公認された。
問k 空欄[ G ]にあてはまる、もっとも適切な語句を答えよ。
問l 空欄[ H ]にあてはまる、もっとも適切な地名を答えよ。
_________________
(答:問k.蔵屋敷、問l.堂島)〉

2019慶応大・法2/16:「
〔設問5〕
 下線部(オ)江戸時代になり、裁判の手続きが整えられに関して、江戸時代の裁判や裁判官に関する説明として適切でないものを[01]から[05]より選べ。[7374]
[01]裁判は、出入筋と吟味筋とに分かれていた。もっとも、出入筋の裁判が、途中で吟味筋に切り替えられることもあった。
[02]幕府は、出入筋である金公事については、判決による解決よりも、内済による解決を奨励する傾向にあった。このように幕府が内済による解決を奨励したことは、中世と異ならない。
[03]吟味筋では、供述記録書である「吟味詰り之口書」によって、犯罪事実が明確にされた。
[04]寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行は、それぞれ裁判を行った。もっとも、重要な裁判は、老中や大目付らの三奉行以外の職によって構成される評定所が行った。
[05]「大岡政談」によって名裁判官のイメージが強い大岡忠相は、幕府の成文法である公事方御定書の編纂にもたずさわった。」
_________________
(答:04× ※老中+三奉行が基本で、ときに大目付・目付が加わる)〉

2018青山学院大・全2/7:「
問7.下線部fについて、相対済し令について述べた文のうち、誤っているものを以下の選択肢の中から一つ選べ。
 ① 旗本・御家人と札差との間に訴訟が激増したことに対応したものであった。
 ② 幕府は訴訟を受け付けないことに決めたが、債権債務は消滅しないとした。
 ③ 相対済し令は諸種の混乱を招いたため、以後幕府がこれを発することはなかった。
 ④ 田畑を担保にした金銭貸借訴訟については、受理することとした。」
_________________
(答:問7③× ※その後も度々同様の法令が出ている)

2017青山学院大・国際政経法:「
問4.下線部(B)有能な旗本を積極的に登用するための制度の一つで、役高を定め、それを下回る禄高のものに対して不足する役科を在職中だけ支給する制度は何か。」
_________________
(答:問4足高の制)〉

2017駒澤大・済仏文法2/5:「
問 次の史料と文を読んで、空欄[ 4 ]に最も適する語句を下の語群から選べ。また[ A ]に最も適する語句を漢字(楷書)で記入せよ。
【史料】
諸役人、役柄に応ぜず、小身之面々、前々より御役料定め置かれ下され候処、知行之高下これある故、今迄定め置かれ候御役料にてハ、小身之者御奉公続き兼ね申すべく候、これによりて今度御吟味これあり、役柄により、其の場所不相応ニ小身ニて御役勤候者ハ、御役勤候内御[ A ]仰せ付けられ、御役料増減これあり、別紙之通相極(きめ)候、此旨申し渡すべき旨仰せ出され候〔後略〕
  (『御触書寛保集成』)
【文】
 享保の改革において、家臣それぞれの能力をより十全に発揮させようとする政策が[ A ]の制であった。この政策の下にあっても、「役柄により、其の場所不相応二小身にて御役勤候」ことは、[ 4 ]。それは、「御役勤候内御[ A ]仰せ付けられ、御役料増減これあり」の文言から明らかになる。
〔語群〕
 イ.小物成 ウ.漢学への造詣
 エ、納屋物  カ.上げ米
 キ.預かり地 ケ.奉公の歳月
 コ.幕府草創期へ回帰をめざす
 サ.江戸時代の社会秩序そのものを大きく変えていく端緒になった
 シ.尊皇思想を遵守した
 ス.江戸幕府の制度の基本に忠実なものであった
 セ.社会秩序の原則から外れた、あくまでも臨時の措置であった
 ソ.商品流通規模の増大という時代の流れに即した」
_________________
(答:空欄4セ、A足高)〉

2016関西学院大・全学部2/2:「
問9.下線部i参勤交代について、この負担を緩和する代わりに、石高の1%相当分を臨時に幕府へ上納させた制度を下記より選びなさい。
 ア.上知令  イ.上米の制
 ウ.足高の制 エ.定免法」
_________________
(答:イ)〉

2016早稲田大・教育:「
問6 空欄[徳川吉宗]の政策でないのはどれか。
 ア足高の制 イ公事方御定書の制定
 ウ蝦夷地の調査
 エ漢訳洋書の輸入緩和
 オ室鳩巣の登用」
_________________
(答:ウ× ※田沼時代の1786年最上徳内)〉

2015法政大・文人問営:「
問3 上げ米の法令の実施は、幕府の財政再建策の一環であった。この時期の幕府の財政再建策として誤っているものを、以下のア~エのなかから一つ選べ。
 ア 朝鮮人参座の設置
 ウ 新田開発の推進
 イ 定免法の採用
 エ さとうきび・櫨(はぜ)の栽培奨励」
_________________
(答:問3ア×朝鮮人参座は田沼時代)〉

2013青山学院大・経営:「
問6.近世の年貢率には、検見法と定免法があったが、定免法を広く取り入れて年貢率の引き上げを図った政策が行われたものとしてもっとも適当なものを、次の選択肢から選びその番号をマークしなさい。
 1天保の改革 2正徳の政治
 3寛政の改革 4享保の改革」
_________________
(答:問6-4)〉

2013慶応大・経済:「
(1)享保の改革について述べた次の1~4の文章の中から、誤りを含むものを1つ選べ。
 1 足高の制を設けて、役職ごとに定められた基準役高以下の者を就任させる場合に、在職期間中のみ不足分を補い、人材登用を行ないやすくした。
 2 幕府歳入の増大をはかるために、各大名に毎年石高1万石につき100石の上納を命じ、そのかわりに参勤交代で江戸に滞在する期間を半減した。
 3 その年の収穫に応じて田畑の石高を決める検見取法を改め、石高を固定化する定免法を採用して年貢収入の安定と増大をはかった。
 4 大岡忠相を町奉行に任命し、その下で町方独自の町火消を組織させた。また、目安箱への投書をもとに貧民救済のため小石川養生所を設けさせた。」
_________________
(答:3×石高ではなく年貢率)〉

2013上智大・法総合人間科神外:「
 次の史料(イ~ハ)は、江戸幕府が発布した法令を年代順に配列したものである。これらを読んで、設問に答えなさい。
(イ)近年金銀出入(でいり)段々多く成り、評定所寄合の節も此の儀を専ら取り扱ひ、公事訴訟ハ末に罷り成り、評定の本旨を失ひ候。借金銀・買懸り等の儀ハ、人々( A )の上の事ニ候得ば、今よりは三奉行所ニて済口(すみくち)の取り扱ひ致す間敷(まじく)候。併しながら、欲心を以て事を巧み候出入ハ、不届を糾明いたし、御仕置申し付くべく候事。

(ロ)惣じてa借シ金銀・売掛ケ等の儀、( A )せしめ候上の事ニ候得バ、今よりハ右の出入奉行所ニて取り扱ひこれ無き筈ニ候。然し乍ら欲心ヲ以て事を巧み候出入ハ不届の訳糾明の上、御仕置申し付くべく候間、訴へ出づべく候事。

(ハ)金銀出入の儀、奉行所に於て取り上げざる段、b去ル亥年相触れ候得ども、近来金銀通用相滞り候由相聞こえ候に付、当酉〔年〕正月よりの借金銀・買掛り等出入の儀、前々の如く取上げ裁許仕るべき旨、三奉行え仰せ出され候間、其の意を得られ、よりより相違せらるべく候。
  (原文を一部修正)
(注)金銀出入:金銀貸借に関する訴訟。金公事(かねくじ)。
   公事訴訟:金公事を除いた民事訴訟
問1 史料(イ)~(ハ)が発布された時の将軍は誰か、氏名を記しなさい。
問2 問1の将軍の時代、商工業の統制を目的として、幕府は同業者組織を広く公認し、営業の独占権を認めるようになった。こうした同業者組織を何というか、記しなさい。
問3 問1の将軍の時代、年貢増徴を目的として、幕府は商業資本による開発事業を奨励したが、こうして開発された耕地は何と呼ばれるか、その名称を漢字6文字で記しなさい。
問4 空欄( A )にふさわしい語を漢字2文字で記しなさい。
問5 下線部につき、金銀を借りた人々として、この法令の中で想定されているのは主にどのような人々か、記しなさい。
問6 下線部「去ル亥年」は史料(イ)が発布された年を指すが、これを西暦で記しなさい。
問7 史料(イ)の法令(あいたいすまし)の趣旨とその推移を、史料(ロ)・(ハ)を踏まえたうえで、次の3つの語を用いて、120字以内でまとめなさい。ただし、語順はかえてもよい。
 借金 訴訟 物価」
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(答:問1徳川吉宗、問2株仲間、問3町人請負新田、問4相対、問5旗本・御家人、問6→1719年、問7〔解答例〕「物価高騰に伴い借金に関わる訴訟が増大したため、1719年に、悪質なものを除き訴訟を受理せず当事者間で解決させる相対済し令を出し、訴訟裁判の軽減を図った。しかし金融上の混乱が続いたため1729年に廃止した。」(104字))〉

2013学習院大・経済:「
 幕府の年貢収入が頭打ちになった18世紀前半、8代将軍の徳川吉宗は財政再建にあたり、大名に「高壱万石ニ付〔イ)八木五十石 ロ)麦五十石 ハ)八木百石 ニ)麦百石 ホ)八木二百石〕積り差し上げ」るよう命じた。また、毎年の年貢量算定方法として、検見法を改めて定免法を広く取り入れた。」
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(答:ハ ※「八木」は米のこと)〉

2012明治大・文学部:「
問 以下の各文は江戸幕府の享保の改革に関する文章である。正しいものを次の1~5のうちから一つ選べ。
 1.1716年(享保元)、紀州藩主徳川吉宗が8代将軍になると、吉宗は家康時代への復古をかかげて幕政の改革に取り組んだ。
 2.1722年(享保7)には上米の制が定められたが、幕府財政の立直しの本筋は年貢増徴策であり、そのため広くとり入れられたのが検見法である。
 3.有能な人材を登用のため足高の制が定められた。町奉行大岡忠相や『農業全書』の著者田中丘隅も吉宗によって抜擢された人材である。
 4.棄捐令を出し、激増してきた金銭貸借をめぐる訴訟をその当事者どうしで解決させる一方、公事方御定書を編纂し法制の整備にもつとめた。
 5.江戸・大坂周辺の地を幕府直轄地とし、対外防備の強化をねらった上知令を発令した。」
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(答:1○ ※2×検見法→定免法、3×田中丘隅→宮崎安貞、4×棄捐令は寛政の改革と天保の改革、5×上知令は天保の改革)〉

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