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麻雀 Style 知ってますか?

昔、昔、あるところに「フリー麻雀 Style」というお店ありけり…

当時の名古屋店の待ち席

ということで、今回は伝説の雀荘とも言われる「フリー麻雀Style」のお話をしようかと…あ、時系列は前後しますが黒崎が代表(会社内では常務)をしてたお店のお話です。

関東の人はあまり知らない、というかさすがに知られてはないとは思うけどはるか昔に滋賀県の南草津駅と愛知県名古屋のテレビ塔のすぐ近くにその店はありました。

まぁ、伝説というと仰々しいんやけどね 笑

当時、地方を色々回って流れ流れて黒崎は京都に辿り着きます。京都で少し麻雀店でしのぎながら、そこで知り合った人の会社に入るんですが、その辺の地方回ってた話はまた今度…

で、そこの会社が美容室を何店舗か経営してる会社で黒崎はそこの接客コンサルタント(コンサルタントと言うとカッコイイですが教育係とシステム作りです)として過ごします。

ある時、そこの会社が新しく店舗を出したいということで大阪を除く関西圏で物件探しを始めました。そこで山科と南草津に目を付けた黒崎はテナント探しをするんですが、山科は物件がなかったんですよね…で、南草津に決めて物件探しのため通うようになるんです。1年弱は通ったかなぁ…そんな甲斐あってか、そこで駐車場付きの駅から近い大きめなテナントを見つけます…が、そこのオーナーが美容室は水を扱うからトラブル起きるとめんどうだから…と断られます。
でもね、物件としてかなり魅力的でまぁ何をしても流行りそうだったんですよね

そこで、黒崎は自分の会社に提案をします。
「どうせ儲かるなら、美容室でなくても会社として同じではないですか?」
社長は麻雀をしたことも聞いたこともない人です。いや、聞いたことくらいはあるか 笑
まぁ当然ですが頭の中は???ですよね
黒崎はたたみかけます
「麻雀店のノウハウはこの頭の中につまってます。今まで在籍した店で赤字の店舗はひとつもありません」
はい、少し盛りました…というか、嘘ではないけど黒崎ひとりの力では全くなく、周りが優秀だっただけなのに、まるで自分の力みたいにアピールします 笑

社長が少し悩んでます、これは流れがきてます…
たたみかけます…たたみかけラッシュです…

目の前のパソコンで売上の試算表をカタカタと作りだす黒崎…8卓の店でどれくらいの経費で月の売上がどれくらいか…などを計算するんですが…

はい、これ東京の店での経験なので南草津では人口も全く、全く違うしあてになりません

「コンサルの仕事ぶりをみて頂いてて、能力を信用して頂けるなら成功を成し遂げてみせます」

決めゼリフですね、言われた方からしたら否定しにくいポイントを付いてます。
能力を買って頂いたのか、熱意に負けたのか…はたまた商売として魅力を感じたのかは定かではありませんが、なんにしても「ゴーサイン」を頂くことになりました。

物件のオーナーに話を持ち込み、保証金を下げる交渉をして…いよいよオープンするに至るわけです。

が、南草津に知り合いなど1人もいません、そこで黒崎はその辺の雀荘に通うことにしました。当時、南草津では F という繁盛店があったんですがその店は典型的な場末店で先が見えていましたので、負ける気がしなかったんですよね。
ただ、1人だけとても優秀なスタッフがいてどうにかそれを引き抜こうとしました。通称B.Bと言われてた男で彼を引き抜けば盤石だったんですよね。

引き抜くまでの経緯は省きますが何とか引き抜くことに成功します。なので、黒崎とB.Bと、黒崎の古くからの知り合いの通称「影」という雀鬼会系の男とお店をスタートさせました。そしてバイトを募集とお客さんの立命館の大学生などに声をかけ頭数を揃えて晴れてお店としての形を整えます。やり方は基本的には黒崎方式ですね、ガイドラインだけ指示して、あとは各々の判断に任せるやり方で黒崎が提示した就労規則はひとつだけ
「自分がされて嫌なことは
              お客様にも仲間にはしないこと」
これだけです。まぁ現場判断でみんなが話し合っていくつかの規則は作ったようですが黒崎はノータッチでした。そのかいあってかメキメキとスタッフの個々の能力が開花していきます。まぁ、幹部クラスや社員へは経営の考え方や教育の仕方などは聞かれたら教えましたし「The store management」なんてタイトルをつけて冊子も黒崎自身で作り興味あれば読めるようにしてました。参考にしたかどうかはわかりません、強要は一切しない主義なのでね。
スタッフが育つ一方で麻雀のプロになる人も増えましたよ

当時のゲストボード


先にそこから話をすると、その店からプロが7人ほど出てましてね(在籍はMAX9人いた)

下石戟、水瀬千尋、大島麻美、新田友一、柴卓司、佐々楓、伊藤駿 という面々…
プロとして入ってきたのは、伊藤高志、小池諒…

なかなかのメンツだと思いません?
佐々楓は退会したものの、栄で「め〜ぷる」という雀荘を開いて奮闘中、伊藤駿は退会して普通に就職したような記憶あります。

他には、後に名古屋最強の雀ゴロと言われる程の男…

瀧という男がバイトしてましたね…
当時、南草津が本店で名古屋は支店でしたが本店の下石か支店の瀧かどちらが強いのか知りたかった人も多かったはず。どちらも成績は似てていい勝負でしたし、強者特有の負けても全くブレない打ち手でした。

でね、そんな彼らの存在と当時のうちのスタッフのスキルの高さで年商1億5千万超える雀荘になったんですよ。ゲーム代金は400円ともうひとつのルールは300円です。
トップ賞も途中から頂いてたと思いますが100円(あいまいな記憶ですが…)です。
どれだけ卓が回っていたか想像出来ますよね!

もちろん、黒崎は何もしてません、みんなにおまかせしてました 笑
全て優秀なスタッフ達が協力し合って、案を練って、実践して…ダメなら、またやり直して…
特に名古屋の方はルールがちょこちょこ変わってたはずです。なぜ「はず」なのかと言うと「好きにやってね」と言っていたからです。

イベントでいくら出そうが…好きにやってねって言ってました。

ただ、最低利益率は指定してあって、そこは大幅にずらさないようにすること!とは言ってましたけどね。
このやり方はとてもいいんですよね、スタッフが生き生きしてくる。もちろん、大きな欠点もあります。

優秀な人ほど独立していきます。そらそうですよね、経営の全てを教えて、考え方教えて、あとは丸投げですから…それなら自分で独立したい、ってそら思いますよね 笑

店が存続してる間に独立したのは2人で、どちらも役職についてたけど、独立して成功したのは片方だけでしたね 

成功しなかったA君は支店の役職者で会社が安定して繁盛してる時に入ってきてるので立ち上げのホントの苦労を知らなかったので難しかったのかもしれないですね…🤔💭そもそも店舗の立地選びから失敗してましたし、相談された時にその場所は失敗するからやめとき、と言ったけど聞かなかったんですよね

成功したB君(前出の通称B.B)は本店の立ち上げから働いていて、苦労も知ってるし、まぁ元々の賢さも相まって良い時、悪い時があるにしても、今でも3店舗くらいを経営してます。

なぜそんな繁盛店がなくなったのか?

「麻雀Style」は立ち上げ3ヶ月も経たずに黒字になり、それ以降、一度も赤字にはなってません。
そう、閉店する時でさえけっこうな黒字でした。

それでもなくなることになるんです。

What's happen?

次回はそのお話をするかもしれません…

まぁ他の話を書くかもしれません…なんせ気まぐれなんで…笑

今回も長いお話を書きました、最後まで読んで頂いたあなたの忍耐力に幸あれ‼️

では、また会いましょう!⸌⍤⃝⸍

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