新宿 バビィって知ってます?①
今まで反響が大きかったnoteが2つある
『なぜ今さらプロに…?』
『麻雀 Styleって知ってます?』
の2篇である。1つ目はまぁわかる…いい歳したおっちゃんが急に「俺はプロになる!」とか言い出したら気になる人もいるだろう…「海賊王に俺はなる!」と宣言した少年だって売れたんだし、似たようなニュアンスだから売れるわけだ(無料やけど)…まぁ、あの漫画だと「冥王レイリー」の方が役としては近いんだが…
そして、もう片方が書いておきながら何だが…謎である…確かに1部では有名なお店ではあったけど、そこまで知名度があったわけでもないのは自覚していて、むしろ、ノスタルジックな気分になって書いたものだ。
あの名曲「時代」(中島みゆき)を脳内再生しながら書いたのだ…
大航海時代シリーズはまぁ備忘録みたいなもんで、これから老いていくなかで忘れる前に書いておこうくらいである。とはいえ、反響が欲しいのも事実で…となれば「禁断の果実」に手をつけるしかない…そう知る人ぞ知る有名店『新宿 バビィ』について書く時が来たのである…
ただし、今でも渋谷に『メカバビィ』というお店は絶賛営業中なので登場人物の名前は全て仮名になるのを承知しておいて頂きたい。
なぜ黒崎が『新宿 バビィ』についてそんなに書けるんだ?と思う人もいるだろう…お答えしよう、何故なら黒崎は初代店長だったからである!(ドヤる程のことでもない)当時は27歳くらいだったような気がする…なんせ年齢を気にして生きてないから自信はないし、今から逆算するほどの計算力もない。
そして、当時のゲームシートはお客さんは名前、メンバーは名前の頭文字をアルファベット表記にしていたのだが、例えばメンバーが鈴木なら「S」といった感じ…が、しかし、黒崎のメンバー表記は『K』!
もちろん…最近話題の研修生のKではない…黒崎のKでもない…(黒崎の本名のイニシャルはSなので)…なんの『K』かというと…『KING』のKだ!
どうだ!KINGだぞ、王様だ!なかなかいないだろ、自分で『KING』とかいう人、自分でも恥ずかしいが当時は全くもって本気で名乗っていた。なぜKINGなのかは言うまでもないが麻雀が強いと偉いから、という理由だ…今となっては真に裸の王様である。
ここで軽く店長になった経緯から説明しよう。
当時、黒崎は横浜のWをやめてゴロゴロ雀ゴロ(なんかかわいいな)をしながらのんびり暮らしていた。ある時、新宿で新しい雀荘を開こうとしてる人がメンバーを探しているけど会ってみないか?という話をいただいた…当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで繁盛していた渋谷の某店のオーナーから流れて来た話である。
なるほど、新宿なら麻雀打ちにとっては庭みたいなもんであるし、新宿ダンディーにも近いし、という理由で面接をしてみることにした。
即決である…というか、面接らしい面接はなく…いきなり開店準備を手伝うパターンにより自動採用された 笑
ちなみに条件等は全く決まってなく、全て後で聞いた。あ、そうそう…他にだれも採用してなくて初めから店長としての採用だった。まぁ黒崎からしたら自信あったし、なんせ王様なのだから当たり前の店長なんだけど、採用する側の方は仕事を見たこともないのによく店長にしたもんだ 笑
で、オープン前のテナントを見に行くわけだが、最初はかなり驚いたのを覚えている…なんせ今までどんなに広くても10卓程度しか見たことないのに、まだ卓は配置してないけど、かなり広かったからだ…
K「え?何卓置くんですか?」
A「25-27卓かなぁ…」
K「なるほど、なかなか置きますね」
余裕なふりをしてたが正直焦っていた…なぜって、東口アルタ近くのビルで27卓も置くテナントの家賃となれば…そら相当な額なのは想像するに容易いわけで…
当然、人も多く配置するし、なんならそれなりの設備も必要になる…これは簡単に損益計算するだけでも1000万は軽く超えないとならないレベルではないかと…(減価償却込みね)
ちなみに当時としては珍しい男女別のトイレを設けた店だった、これはAかKのどっちが言い出したかは覚えてないけどかなりいいという評価を後に頂いた記憶がある。
かなりのマンモスパォーンなお店を作るつもりなのはハッキリわかった…KING(王様)は内心はポーン(兵士)になりかける心を抑えて口にした言葉が「それくらい余裕ですね」である…ヤンキー漫画「カメレオン」の主人公ばりのハッタリだった…
お店の主力はセットの売上ともちろんフリーである
フリーの方は元々、赤3枚の予定だったのだが、それだとインパクトにかけるし何か新しいものにしようという話になり、黒崎が提案したのが「赤6」である。
恐らく知る限りでは日本で最初の赤6である。
まぁ理由は簡単でお客さんのテンションが上がるのが「満貫基準」という持論があったので、満貫に簡単になるようにしようと思っただけなのだが、結局これになった。最初は赤1枚5000点相当だったのだがさすがにチップが高すぎるとなり、何枚赤があってもMAXで3枚分までしか祝儀がつかないルールだったのだが、それではやはり意味がないということで1枚を2000点相当にして赤の枚数分の祝儀が付くことに変更、バランスを取ることにした。ソフトピンというカテゴリーの誕生である…当時は赤1枚は5000点相当ってのが相場で、このソフトピンってカテゴリーも黒崎の知る限りでは日本で初めてである。あくまでも黒崎の知る限りでわざわざ調べたことはないけど 笑
まぁそんなわけで意図せず黒崎は赤6とソフトピンの創始者となったわけだ…誰でも思いつくから偉そうに言うな!という意見もあるだろう…でも、ほら、KINGだからね、偉そうにしてナンボだから 笑
ルールなども決まり広告も作りアルバイトの募集もして準備はバンタンである、あとは開店までの日々をオーナーのAとギロッポン(六本木)のキャバクラに行きながら過ごす日々であった…(もちろん奢り)
そして、待望のオープン!となった。
全く知らなかったが、Aが業界では有名人だったらしく業界の有名人が大勢来店されたし、バビィという名前を冠してるということで馬場裕一プロ及び麻雀企画集団のバビロンの面々も来た…と言っても麻雀打っていたかどうかは記憶にない…黒崎は記憶力が悪いのだ
オープンしてからは少なくてもAと仲の良かったらしい人達は1回は顔出してたような気がする…あとは「割れ目でポン」に出ていた俳優K氏も来ていた(ただ、Aの友人ではなく単なるプライベート)
おっと、文字数が多くなりすぎたか…まだまだこの先があるけど、今回はここまでにしとこう…
続きはまた今度に!
いつも最後までありがとうとうございます😊
RTとかいいね👍してくれるとより一層励みになります。よろしくお願いします!
※当時の麻雀 バビィの画像が検索してもなかったのでお持ちの方がいたら頂けると助かります。DMくださいm(_ _)m
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?