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劣等感大好き!思春期後半戦

こんにちは!ほのかです。

明日明後日とサマソニを控えているので台風を考慮して昨日から前々泊したら、前回の記事の下書きをタブレットから移行することを忘れてしまいました(泣)

ということで今回は棚卸しシリーズの続きです!

高校時代から20歳頃までの時期を書きました。


※若干の性被害の描写があります。苦手な方は読まないことをお勧めいたします。


高校は母が望む学校へ進学しました。

高校生になって自分のスマホを買ってもらえた私は、友達のSNSを見ては自分と比べて惨めさを感じていました。

「この子達はキラキラしているけど、自分はきっと生まれる前にしんどいモードを選択してしまったから、このままずっとしんどい人生を歩むのだ」と根拠もなく思い込んでいました。

この頃も少しでも嫌なことがあったら「あー◯にたい」と思っていて、常にうっすら◯にたがっていました。


学校生活では、やらされてる感を強く感じ勉強への意欲は地を這うレベルでした。

受験勉強を碌にせず入ったので、入学してすぐに行われた確認テストでは、成績が下から2番目でした。

「中学時代は上から数えた方が早かったのに...」と落ち込み、「みんなは優秀で私は落ちこぼれだ」とクラスメイト全員に対して劣等感を抱きました。


授業にも全く身が入らず、授業中は「ラップ作れないかな〜」と韻を踏んだリリックを考えてました(勉強しろ)


入学してすぐの頃は、初めの席で隣になったハムちゃん(目がキュルキュルしていてハムスターのように可愛いので)と一緒に帰ったりしていました。


ハムちゃんは可愛いので、クラスの中でハムちゃんと私が2人でいる時もハムちゃんだけが話しかけられたり、移動教室でも先に着いていた子たちが「ハムちゃーんこっちだよ〜!」とハムちゃんにだけ声をかけていたりしました。

「あれ?もしかして私ってみんなから見えてない?」と感じ、勝手にいない者扱いを受けているように思い込み、しんどくなっていました。


当たり前っちゃ当たり前なんですよね。気分は沈んでいるのがデフォルトで、オーラも圧倒的に暗かっただろうし、人が怖いから目もあまり合わせられないし、心のガードはガッチガチでした。


ハムちゃんは真面目で優しくて、勉強もできる子でした。私は「ハムちゃんは可愛くてみんなから人気で勉強もできるのに、私は...」とハムちゃんにも劣等感を抱きました。


ハムちゃんとは今でも仲良しで、年に何回か2人で会っています。

 
1年生の夏休み。

登校日に猛獣ギャルちゃん(底抜けに明るくて面白くて夢によく猛獣が出てくるらしいので)とたまたま音楽の話をしたら音楽の好みがめちゃくちゃ似ていることを知って、そこから急激に仲良くなりました。


この頃の私は感情を抑圧しすぎて、何も感じられなくなっていました。

感情というものは特定の感情だけ抑圧するということはできなくて、特定の感情を抑圧しようとすれば、結果的に全ての感情を抑圧することになるのですね。

当時私が感じないようにしたかったのは、絶望、寂しさ、怒りなどでした。しかしそれらの感情を抑圧したために、意図せず喜び、幸せ、楽しさなども抑圧してしまっている状態でした。

そのため、この頃の私は「今とっても嬉しいはずなのに、楽しいはずなのに何も感じられない。」という状態でした。

目の前にものすごく大きな感情があるのに、その間にフィルターが幾重にも重なっているせいで、濾過しきれなかったほんの僅かな感情しか感じられない。みたいな(例えが難しい!)

「本当はもっと感じたいのに。なぜ?」と思っていました。
 

猛獣ギャルちゃんは、そんな感情を抑圧しすぎてロボットみたいな私を面白がってくれました。

誕生日プレゼントをもらって喜んでる私を見て「嘘でしょ。絶対嬉しく無いでしょ。」と言ったり、真顔の私に「目死んでるよ」と言ったり。

「真面目そうでおとなしいよくわからない子」
ではなく、そんな風に笑いに転化してもらえたのが私にとっては救いでした。

 新作のフラ◯チーノが出た時は毎回誘ってくれて、放課後はフラ◯チーノを飲みながら色々な話をしました。猛獣ギャルちゃんはどんな話も面白がって聞いてくれるので、率直に色々な話をした気がします。


 猛獣ギャルちゃんは社交的で、クラスの中心人物達と仲が良かったです。器用で要領もいいので実技科目も座学も優秀でした。

そしてまた私は、そんな猛獣ギャルちゃんを見て劣等感を覚えるのです。

「猛獣ギャルちゃんは勉強ができて容量が良くて器用で社交的なのに...以下略」(I LOVE 劣等感ですね)

猛獣ギャルちゃんと私は学校と家が同じくらい遠かったので、帰りのホームルームが終わると文字通り速攻で帰っていました。

そのため、いつからか学校の中でつるむのはハムちゃんで、一緒に帰るのは猛獣ギャルちゃんという感じになっていました。

猛獣ギャルちゃんが「ほのかちゃんは面白い」と他の子達に話してくれたおかげで、徐々にクラスに居場所ができてきたように感じました。


2年生の頃、ふと

「あれ?自分は今何のために生きていて、これから何のために生きるのだろう?」

と今まで騙し騙し見ないようにしてきた感情と向き合うことになり、今生きていることそのものが更にしんどくなりました。

そこで哲学に出会いました。ニーチェを知って、永劫回帰や超人という概念を知りました。

「難し!!!意味分からん!!!」と思いながら解説を読んでいたら「なるほど」とどこか腑に落ちて、その頃からか勉強へのモチベーションが出てきました。

しんどさは多少軽くなりましたが、相変わらずコンスタントに◯にたいとは思い続けていました。


3年生になって、フィジカルギャルちゃん(めちゃくちゃ体力があって運動神経がいいギャルなので)と接点を持つようになりました。

猛獣ギャルちゃんはフィジカルギャルちゃんとも仲が良くて、フィジカルギャルちゃんが部活を引退した事で3人で一緒に帰る機会が増えました。


私はフィジカルギャルちゃんと接点を持つまで「彼女は声が大きくて主張が強くて怖い」と思っていて、初めて話した時私の手は震えていました(笑)

今でも猛獣ギャルちゃんとフィジカルギャルちゃんとは仲良しで、定期的に会っています。お互いの誕生日に3人で旅行へ行ったりと沢山の思い出があります。


肌寒くなってきた頃、最寄駅から自宅までの間で付きまといの被害を受けました。
そのショックで、体重が2日で3キロ落ちました。しばらく学校も休みました。

先生の勧めでスクールカウンセラーによるカウンセリングを受けましたが「なんか違うんだよな」と感じ、「やっぱり人を頼っても意味がない」という思い込みが強化されました。(その思い込みからこの現実を作ったのかもしれませんが)

登校を再開した頃、今度は電車で付きまといの被害に遭いました。

これによって「男はキモくて怖いもの」という観念が出来た気がします。

それをきっかけに、幼少期に同級生や親戚から性被害を受けていたことにも気づきました。

それ以降、性被害を受けた女性の話を目にしたり聞いたりすると、自分も被害を受けたような気持ちを感じるようになりました。

嫌なら見なければいいのに、ニュースのトピックなどで性被害の話が目に入ると、ついつい読んだり聞いてしまったりするのです。

そうすることによって、実際以上に性被害を受けたようなマインドになっていました。

しかし、最近になってなんとなく「この怒りや傷は私のものじゃ無いのかも。助けるのなら一緒に傷つくやり方ではなくて、癒すと言うやり方で助けたい」と思うようになり、手放し始めました。

今は観念も手放して「男性は紳士で頼もしい存在」という価値観を再構築しようとしています。


高校生の頃の私は自分が持つエネルギーのせいなのか、元々運動が嫌いなのに無性に走り出したくなって家から駅に向かうまでの間ガンダッシュしたり、音楽を聴きながらがむしゃらに体を動かしたりしていました。

筋トレにも興味を持ち始めて、スクワットを1日100回やったりしていました笑(膝を痛めて辞めました)

 

20歳を迎えた頃に、なぜか希死念慮が軽くなりました。

今までは

「うわ〜〇〇やりたくないわ。あー◯にたい」

と思っていたのが

「あ〜あれめんどくさい。でも◯にた...くはないかな」

くらいになりました。頭の中の「◯にたい回路」がだんだん繋がりにくくなっていきました。特にきっかけはなかったような気がします。

ただ、10代になって目立たないように目立たないようにと自分を押し殺していたけれど、学生生活も終盤で集団生活から解放される目処がたったから、多少楽になったのかな?と思ったりしています。


看護学生としては実習の担当ナースがキツすぎて食事が喉を通らなかったり、実習に関係ないナースに目をつけられたり、連日3時間睡眠で何とか気力で実習先まで通ったりと、自分としては看護学生時代も中々ヘビーでしたが、何とか乗り越え無事に国試も合格し、社会人としての生活が始まったのでした。


取り留めもなく書いたような感じになってしまいました。もっとまとめるのが上手くなりたい!

ここまでお読みいただきありがとうございました!


ほのか

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