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ハイジになる夢をかなえた立原さん

子どものころからヤギを飼うのが夢だった立原さん。
淡路島に移住して、その夢を実現した、立原さんと2頭のヤギとの暮らしを紹介します。

慎之介 去勢オス 
弥生  メス 
2019年2月生まれ  淡路島にある牧場から譲渡


2017年に神戸から淡路島に移住してきた立原さん。
住居兼カフェは高台にあり、南側には淡路島の山並みが見渡せる素晴らしい立地です。
ここで慎之介と弥生、2頭のヤギと暮らしています。

ヤギと暮らすことになった経緯


子どものころからハイジを夢見ていた立原さん。
淡路島に移住し、カフェを営業しながらヤギ情報を集めていました。
その時、知り合いの人から「島内にヤギやクジャクなど、様々な動物がいる場を運営されている方がいるよ。」と情報が入りました。
早速、立原さんは牧場に見学に行き、ちょうど生まれて間もない仔ヤギを抱っこさせてもらうことに。
さらに、「本気で飼う気があるなら子ヤギを譲ってあげる」と牧場主のDさんからヤギ譲渡の提案してもらうことができました。
「でも、乳離れするのに4か月はかかるからすぐに譲渡は無理。」と言われ、立原さんはそこからヤギ飼育に向けて大急ぎで準備を始めました。

初めてヤギを抱っこした立原さん。この仔が後の弥生ちゃん。

小屋づくりも手伝ってもらって完成

ヤギをもらうことになったのはいいけど、「飼育小屋がまだない」と立原さんがDさんに相談すると、早速、Dさんが立原さんちに単管とナル*1を持ってやって来ました。そして、手作りで小屋を作ってくれました。
こうして、2頭のヤギを迎える準備も万端整い、4か月後。
乳離れをした仔ヤギが立原さんのところにやってきました。

*1 ナル 
淡路島の主要農作物である玉ねぎを、収穫後干すために吊るしておく木がナルです。大量を玉ねぎをつるしても折れないくらいの強度があります。
ヤギ小屋は地域の身近に手に入る素材で作られていて、個性的です。


単管の骨組みとナル、メッシュフェンスで囲い。
土間は後日、立原さんたちが施行。
ナルを利用した柵。

1頭飼う予定だったのが2頭に

さらに、はじめは1頭を譲ってもらう予定だったけど、1頭ではかわいそうと、2頭ゆずってもらうことに。
こうして慎之介と弥生、2頭のヤギとの生活がスタートしました。

慎之介 首つり未遂事件

生後4か月の時でした。
立原さんが、犬の散歩で家の近所に20分ほど出かけた間の出来事です。
散歩をしながらも、遠くからメエメエという鳴き声が聞こえていたのですが、突如その声が急変して、「うべーうべー」という悲愴な叫び声に。
立原さんが驚いて帰ってきたら、石垣近くに繋いでいた慎之介の身体が石垣から飛び出し首つり状態に。慌てて繋いでいたカラビナを外そうとしたけれども、慎之介の重みで外れず。
必死になった立原さんは、首輪代わりにしていたロープを慎之介の頭から引き抜きました。

その日は慎之介は無言でした。

慎之介が首を吊りかけた石垣

弥生 コメ大量摂取で死にかける

おやつ替わりに、一握りづつ与えていたコメと玄米を混ぜたものが大好きなや弥生と慎之介。
ある日、立原さんは「そんなに好きならたっぷりおあがり」と、バケツ半分のコメを与えてしまいました。
翌日、弥生は下痢をして、おなかが風船のように2倍の大きさに膨れ上がりました。しかし、弥生は次の日からうんこが全くでなくなりました。
そして、2日間立ちっぱなし。
ついに3日目に座り込んでしまい、立原さんが身体をさすってもだんだん冷たくなり、角まで冷たくなってきました。
一方、同じように食べた慎之介は全く変化なく、健康そのもの。

弥生が死にかけて、座り込んでしまったとき。お腹パンパンでした。

電話で獣医さん相談したら、
「様子を見るしか、どうしようもない」
と淡々とした対応。旦那さんと一緒に頼み込んでなんとか往診してもらうことに。
獣医さんが注射をしたら、3日間でなかったうんこが1個ぽろりと出てきました。
その日は、少し希望の明かりが見えました。

しかし、次の朝見てみると、まだうずくまったまま、回復せず。
もう一度、獣医さんにお願いすると
「気休めだけど」と言いながら、毒素を流す点滴をしてくれました。
すると、その点滴が効果があり、徐々に体温が戻ってきて、うんこも出るように。

その後,、弥生は劇的に回復しました。

弥生が死にかけて回復し始めたころ。角まで冷えきっていたので靴下履かせてます

【穀類の大量摂取に注意】
コメやトウモロコシなどの穀類は、胃の中の微生物により異常発酵し、胃が膨れて気道を圧迫し、呼吸困難で死亡することがあります。

去勢手術の時は、青空診察室でした

他のヤギ飼育者から「雄ヤギは狂暴で手に負えなくなる、臭くなる、去勢しないと大変なことになる。」と聞き、焦った立原さん。
慎之介が4か月の時に、獣医さんところで去勢をすることを決心しました。

慎之介をヤギたちの元飼い主の牧場主Dさんと一緒に、獣医さんのところに連れていきました。
先生とDさんは、慎之介の四肢をロープで一つになるように結び、横倒しにし、顔を毛布で覆って見えなくしてから、立原さんは「お母さんは首をさすって声を掛けて安心させてやって」と命じられました。
そして、立原さんの前で、ぶべーぶべーと慎之介が叫ぶ中、麻酔なしで、突如カッターでブリンと切り取られました。
あっという間に手術が終わり、座り込む慎之介。
「しばらくタオルで抑えておいて」と、そこら辺にあるタオルを渡され押さえていたけど、2~30分経っても血が止まらず、タオルの下には血だまりが。
「先生、血が止まらないんんですけど」と言うと、先生がホッチキスを取り出し、ばちんばちんと止血をした。立原さんも慎之介も呆然する中で、あっという間に執り行われた去勢でした。

2021年 慎之介

ペットと家畜の狭間

獣医の先生も高齢なので、昭和の時代の家畜としての処置を見た感じがします。この先生、冷徹な訳ではなく、本当にヤギを愛する老先生です。
ペットと家畜のはざまに生きるヤギたち。
これからのヤギをペットとして扱うのか、家畜として扱うのかによって、医療の在り方も異なっています。

うちの除草用のはずが

もともとは、ヤギたちに家の周りの雑草を食べてもらおうと思っていたのに、立原さんが植えた花壇の花もハーブも果樹も食べつくされ、丸裸に。
結局、お隣の休耕田を借りて、そこの2頭のヤギたちを係牧し、草を食べてもらうことに。
自分の敷地の除草には全く役に立っていません。。。
夏場はほぼ周囲の雑草だけで過ごし、冬場も近所の人が野菜くずや竹を切って持ってきてくれたり。日中の餌は、周囲の環境で十分に賄えています。

2021年 お隣の田んぼの除草を頑張る2頭


周囲の人の協力を得て

立原さんの住む集落は、もともと淡路牛の飼育が盛んな地域。
また、周囲の人は昔ヤギを飼っていた人が多くて、懐かしいね~と好意的でいろいろと話しかけてくれます。
干し草の購入方法について近所の畜産農家に相談すると、JAで干し草が買えることを教えてくれました
JAでは、チモシーが一番高価でおいしそうだけど、少し安いオーツヘイを与えています。もっと安い藁みたいなものもあるけど、おいしくなさそうなので。
冬の間は、栄養補給に、朝昼晩と少しづつ2つかみづつくらい干し草を与えています。雨の日も外に出せないので、乾草だよりになります。
1~2か月に1ブロック買うくらいの感じです。
夕方になると、小屋に干し草を入れて、小屋に帰るといいことあるよ~と習慣づけに干し草を使っています。

2024年1月 弥生ちゃん
2024年 慎之介くん


さいごに

淡路島に移住して、ハイジになる夢をかなえた立原さん。
去勢、首吊り、死ぬ一歩手前と、周囲の優しい淡路島のヤギ飼育経験者に見守られ、経験を積み、困難を乗り越えながら、ヤギとの生活を楽しんでいました。
立原さんとヤギたちに会いに、ぜひ淡路島に!
素敵なカフェで、ヤギを見ながらおいしい立原さん手作りのお料理を楽しめます。

カフェの窓からヤギを眺めることができます

ノラ's Cafe


立原さんたちがお出かけの時、ドッグランはヤギランに使っていました。現在は、2頭が大きくなり、慎之介に破壊されそうなのと、弥生が中からでも、口を器用に使って鍵を開けてしまうからで使えなくなってしまいました。



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