人生でいちばん高価なディナーへ飛び込んでみた。変態は裏切らない。やってみる日記①
食に関しては変態に全幅の信頼をおいている。
「知る悲しみのディナー会」
美食なのに悲しみとは、これいかに。
巻田悟シェフの看板のないお店にて、定期的に開催されているディナー会に、急遽行けるチャンスができた。
人生でいちばん高いであろうディナーに参加を決めたのは、主催者のくれた前情報のなかの、「シェフは膨大な量の論文を読むのが趣味」という箇所。
あ、この人(シェフ)は変態だ、と思った。
これはきっとやばい美味しいものが食べられる。
もちろん、読んだ論文や知識の量とその人の作るもののおいしさは必ずしも比例しない。
ただ、変態的に美味しいものを作る人、美味しさの追求がえぐいひとは、だいたいそこへのインプットも凄まじい。
ひとつの「美味しいもの」が果実だとしたら、そこまでに膨大な土があり、根があり、枝葉がある。味わえる、つまり表舞台に出てくるのは果実のみ。それでもその背後には、果実を支える何倍ものインプットがある。
またセンスのよいひとは、そんな大量の多岐にわたるインプットを、なんとも軽やかなエッセンスとして表現する。
本質を掴む力。粋なんだよね。
(嫉妬すら湧かないレベル笑)
私はひとことにはまとめられないけど、仕方がない。
どれも美味しいのはもちろんだけど、とくにお気に入りの体験を。
古代蓮根。
エビのような甘さと旨味がある。冷えてもサクサク。酒が進む。
カツオのお刺身とマスタード。
カツオじゃないみたいに脂がのっている、のに、歯ごたえはしゃくしゃく。思わず口角が上がる。普段お刺身でカツオが出たらやんわりと避けていた。積極的には箸をつけない、食いしん坊だから結局食べるけど、生臭さとおいしさが半々で喜びはプラマイゼロだった。
カツオに出会い直した。
松茸とフグのお椀。
土瓶蒸し大好き。焼いたフグの骨で出汁とって塩だけでシンプルなもの、とシェフ。
松茸の味、香りが細かいところまで全部汁に引き出されている。透明な液体のキノコ。なのに固体の松茸にも旨味たっぷり。ふしぎ。
お寿司はキスのにぎり。
めちゃくちゃでかい。トロミとうまみ、昆布締めしたんかってくらいのねっとりした粘りがある。それでいてふわっとしてる。包丁の入れ方か。満足度がすごい。
きんめのにぎり。
炙ってから漬けにしているそう。漬けって塩辛すぎることが多いんだけど、これは甘くて、優しい。身の甘さとごはんの甘さが引き出されてて、好き。ちょうどいい。
そして、塩水のうにと逃げるいくら。
いくらの膜が強い。噛んでも奥歯まで逃げてきて、追い込んでやっと噛める。ぷちっじゃなくてブチンという。苦味のないウニははじめて。
こんなに目立つネタがいても、海苔が香りとパリッと仕事をしている。
うなぎ。
もともとうなぎは大好き。でも私の知っているうなぎとは全く違う。ふわふわを通りすぎてぷるんぷるん、脂と身が分離してない、一体になってる。煮あなごならぬ、煮うなぎだそう。
赤だしにしようと思ったけど、塩ベースになった汁椀。
今日出た全ての魚の出汁と塩だけ。
沖縄のマースニーを彷彿とさせるお魚の香りがふわっとくる。贅沢なのに、ほっとする。
味が4回変わるデザート、チョコが興味深い。なんと、血糖値が上がらないチョコ。
20種類の薬草入ってるけど、不味さがないのはバランスがとれているから、とのこと。
ひとくちのチョコを、こんなにじっくり楽しむことってあるかな。
レモンピール的なものが好きだな。
ホーリーバジルやクローブは「体によさそうな味」悪く言えば薬臭くなってしまうことがある。でも、いい意味で全然目立ってなくて、チョコの美味しさに溶け込んでいた。
ドラゴンボールは7つ集めると願いが叶うけど、味覚も7つ集まると面白いことが起きるらしい。
よく知られた五味(甘、塩、苦、うま、酸)に辛味と脂味…
その7つの味が揃っていると自然と痩せるらしい。
たしかに満足している。
全体的に、素材はもちろんだけど、塩遣いが最高だった。それ単体でも美味しいのちょうど上限、かつお酒がするする進む濃さ。
素材によって種類を使い分けているそう。
舌が痛くない馴染んだ塩味を求めていたんだな。
実際に食べてみて、思ったこと。
変態だ、やっぱり変態の選ぶもの作るものは間違いがない。
変態的に美味しい。
思う存分、重箱の隅を突かせてくれる安心感。どこまで感覚を研ぎ澄ませても、奥の奥にもおいしさを隠してくれている。
自分に無理矢理美味しいと思わせるために、なんも麻痺させなくていい。
どこまでも、ただ味わうだけでいい。
それってこんな安心することだったんだ。
いろんな種類を少しずつ味わえたのも、
19:00〜23:50とほぼ5時間というゆっくり味わえたのも、最高に贅沢。
どんなに美味しいものでも、急かされて食べるなら台無し。
多様かつじっくり。私の大好きな味わい方。最高。
外食するとよくあるのが、お腹はパンパンで苦しいのに、帰宅すると甘いものが欲しくなるという現象。
デザートがあってもなくても、欲しくなる。
どんなにたくさん食べて、もう限界…ってなっても、甘いものを食べないと落ち着かない。
今回はそれが全然なかった。
お腹ははち切れそうとかじゃないのに、しっかり満たされている。(この量的なちょうど良さも神だった)
必要なものは全部満たされました。まる。って感じ。
知る悲しみ、いろんなパターンをおぎゃんは話していたけど、私の知った悲しみはなんだろう。
昨日より、世界に希望が持てたことかな。
まだまだ、この世界には美味しいものがあって、上がある。
それは福音でもあるけど、恐ろしいことでもある。
今までの世界からそれを味わいに出かけて行きたくなっちゃう。大変なことだよ、それは。お金もエネルギーもいる。
だけど、私はそこへお金とエネルギーを注ぎたいと思っている。
それは今までの生き方ではいけない境地かもしれない。ということは、生き方変えないといけないんだよなあ。「いっさい多目にみない」で、自分に正直に、欲にサレンダーして、尖らせてく生き方に。
そこそこでも、中途半端でも満足できた自分とのお別れ。そりゃ悲しみだ、謎が解けた。
さいごにシェフのことばでぐっときたところ。
「いまみなさんに出してるのは自分が食べたいもの。」
「(生産者さんについて)土食べれるひとしか信用してない。」
「余韻は滞空時間」
一緒に味わったメンバーからの嬉しいことば。
私の食材ハンティングエピソードを聞いて、「1人鉄腕ダッシュだね!」
目をつぶって口の中で起きてることを味わってる様子をみて、
「天界と繋がってる」
キッチンを覗いてる様子をみて
「姿勢がいい」
(かなり日本酒飲んで、ふらっふらだったけどね笑)
美味しいものを味わうこと、
新たな世界を知ること、
私という生き物を見てもらえること。
メモが他の人がこの時間の余韻を味わうことに役立ったこと。
幸せしかない。
感謝してるひとはいっぱいいるけど、
(シェフはもちろん、昨日あった全員)
素晴らしい人も、場もすでにあるんだよね。
そこに飛び込むことを許せるようになった私と、きっかけをくれた人にありがとうを言いたい。
普段は1000円の定食、母と外食に行く時でも5000〜10000円くらいの価格帯にいる私。
それよりもはるかに高いお食事にそれだけの価値を感じられるか、後悔しないか不安だったけど、一片の悔いなし。
むしろ、どうしたら月2で通える私になるか妄想している自分がいて、自分でも驚いてる。
(高いお金を払ったのだから、人のことは気にせず、すきなだけ味わおう!と腹を括れたかもしれん。味わうことにがむしゃらになれた。)
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