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暗い話題、あまり良い気持ちにはなりませぬ。いわゆる都落ち、ということ。

ここ数年、なぜかわが県でエリートとされる地方附属小中にお子さんを通わせた親御さんと多く出会ってしまう。なぜだろう、と考えたときに既に思春期からそういう人たちがいたことに気が付いたので綴ってみた。

いわゆる、わが県ではエリートと言われる人達の都落ち、中学入学時編

  • 今でもはっきり覚えている。なぜかというと、なんで人は人の不幸を笑うのだろう、人の不幸は蜜の味ということわざ?慣用句はこの時に覚えた。だって友達が言っていたから。人の不幸は蜜の味ってあーいう子のことを言うんだよねって。

  • 中学校に入学して三日目のこと。私は6組で、6組ならず、8組の子とか、友達のクラスである噂がたった。不定期的にその噂をよく聞いた。

  • 〇組のあの女の子、附属小からうちの中学校に戻ってきたんだって。だったら、最初から校区内の小学校中学校に居れば良かったのにね

  • 背伸びするからそういうことになる。附属の子たちみんな出来るから、うちらのような普通の中学生の中でも多少できても附属の中では下なんだよ。ね、Hちゃん(私)、あの子を今から見に行こうよ、休み時間あと5分だよ。どんな顔してるんだろうね?

  • ・・・え?今から行くの?(なんでいくのだろう・・・)

  • と言えずに、そのまま友達に連れていかれた。

  • あーもう休み時間が終わる。あの子なんだけど、顔が見えない。みんなしゃべって動いてるし。

  • ・・・私、あんまり興味ないんだけどな・・・と口に出せずに友達の言われるがままにその後も都落ちした附属小の子をみに何度かいった。今でも顔も名前も思い出せない。

  • 友達がいうには(当時は通知表の評価が相対評価)、附属中などレベルの高い学校にいると4や5が取りにくい。高校を受験するには不利。だから地元の、私の通う中学校に戻ってきたのだそうだ。というのは表向きで、実際は附属小で落ちこぼれたから内部進学せず(できず)地元に戻ってきた、というのが本当のようだった。

  • それから間もなくして、その子はあっという間になじんだ。附属小時代から地元の友達とは遊んだりしていたため地元との縁を切らずにいた、だからなじめた、と後に聞いた。ちなみに高校はD1高校という、わが県でも偏差値の高い高校に進学している。

  • 私はこの時初めて、エリートと言われる人達が集まっても結局は序列があり、それは附属だろうが、公立中だろうが変わらないということを知った。ちなみに中学の同級生には現役で東大に受かった子がいるが、もちろんオール公立、高校はわが県で一番頭のいいK高出身で、後期で通ったと聞いている。ある企業の創業者の娘さんだった。

  • 人もうらやむ学校に行っていても、そううまくはいかない、という厳しい現実を初めて知った。

都落ちの附属の子、塾編

  • 私は頭が悪く、とにかく反応が薄く、飲み込みも遅い。親からはよく馬鹿とか、なんでこんなに色々しているのに、何で機敏でないんだ、能足りん、お医者さんのあの子はとても頭が良いのに、〇〇さんのお嬢さんはすごくできるのに、と比較され育った。たくさん怒られ、偏差値の低い高校に行った時にはお弁当さえ作ってくれなかった。今でもすごく恨んでいて、たまに親に、あの仕打ちは嫌だったという時がある。今でも頭の良い人と出会うと何となく避けてしまう。そこから自由になりたいから。でもなぜか今でもそうだけれど、頭がいい人や高学歴の人と縁がある。でもやっぱり避けてしまう。

  • 高校受験のために通っていた塾は個人塾で古いアパートの一室を借りた中央大卒のおっちゃんが経営していた。そこは落ちこぼれの巣窟で、違う中学から10人くらいの落ちこぼれが集まり一緒に勉強した。男8人、女2人。それはそれで楽しかった。

  • そこに別室に一人の男子が入塾してきた。なぜか私達と交わろうとせず、話もしなかった。背が高く顔立ちがいい、なんというか今でもはっきりと覚えているけど育ちの良さ品の良さが漂っていた。私達は見てはいけないものを見てしまった気がして、その男子の話をすることはなかったし、話そうともしなかった。

  • ある時、誰から発せられたのかわからないけど、その男子はいったい何者なのかw、塾長に尋ねた。その日はその男子がいなくて、私達落ちこぼれだけだったからかも知れない。

  • ・・・あの子は附属中の子だよ。

  • え?なんでこんな個人塾に来てるんですか?と矢継ぎ早にみんなが尋ねる

  • 附属でも下から10番目で、公立高校は絶望的。(と三者面談で言われた、実際はそんなことない)附属小からできなかったけどやっとの思いで内部進学できたのは良かったのだけれど、中学受験で入ってきた外部の子たちにあっという間に追い越され、成績が下の人間はみんな附属小上がりの子ばっかりだった。

  • そして三者面談ではとんでもない進路指導をされて(長いし、かなりひどい内容なのでちょっと書けないですw)、親も子供もとても絶望し傷つき、いろんな人のつてをたどり、この個人塾にたどり着いたのだという。

  • 塾長も中央大法学部を出ているのでそれなりの自負があり、附属中の先生の、成績が下の生徒に対するひどい進路指導に怒っていた。

  • その後、私達は各々に附属中の子に話に行った。

  • 彼によると、附属はキライ、学校ではできない人たち数人で固まっている、教室に自分の居場所はない、本当に嫌な時は休んでいる。いつも一緒にいるヤツだって本当の友達ではないと言っていたのを思い出す。

  • 好きな音楽って何なの?と尋ねると、電気グルーヴ、や、スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ、てか、誰でも知ってるかw)を好きでよく好んで聞いていると言っていた。普通の中学生と違う感性に私は?と思った。今思うとジャズとか普通の中学生が習わないような楽器を習っていたのかも、と思う。例えば、ジャズピアノとか、トランペットとかトロンボーンとかホルンとかクラリネットとか。

  • おそらく彼の性格からして前に出て何かをするタイプではないし、部活自体入ってなかったと記憶している。私、吹奏楽でコントラバス弾いてるよ、というと、何と返答したかまたまた忘れてしまったが、コントラバスがどんな楽器が知っていた。その時さすがね~!附属中!って思ったことだけは覚えている。

  • そして何度かこの男子のお母様をチラッとみたことがある。気立ての良い、優しそうな、お母様だった。いつもニコニコしていた。私の母とは真逆の人だな、と直感で思った。

  • 今にして思うと、父親の安定した収入、その経済力で小さいころから塾に通い、附属小に合格を果たす。母親は専業主婦、穏やかで優しそうな、はにかみ屋な子供。でも彼の持って生まれた、というか、育ちの環境からくる雰囲気は附属には合わなかったのだろう。自分から挙手したり、堂々と意見を言うタイプではない。

  • 彼は私達が話しかければ返答はしてくれたけれど、別に彼だって私達落ちこぼれと話したいわけではない、その証拠に彼から私達に話しかけることは一度もなかった。次第に彼は来なくなった。

  • 塾長に聞いたら、別の曜日に来て勉強しているということだった。

  • 部屋は別とて、私達と一緒の空間にいるのが嫌だったのだろう、話しかけて申し訳なかったと私達は反省した。

  • そして、ある私立高校(偏差値は高くない、むしろ低いかも)に特待Aで受かり塾は辞めた。それからは今の今まで一度も彼に会ったことは無い。

  • 実はその高校に私の友達が通っていて、一度だけ彼の様子を聞いたが、明るく友達といつも話しているということだった。顔立ちも良かったので女子からもそれなりに人気があったという。特進クラスで超出来がいいと話していた。塾の時の彼とは大違いということだった。

私はスカパラはほとんど聞かない。とりあえず電気グルーヴ。

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