富士山と桜:日本のシンボルを哲学する


木花と富士の山とは刹那と永遠絶対矛盾の自己同一か

堂本印象画「木華開耶媛」

 最近記紀伝承の木花咲耶媛伝承について俄然興味深い発見を知って、驚いています。『魏志倭人伝』の「投馬国」が「殺馬国」の見間違えという井上悦文さんの解釈が話題を呼んでいるのです。原稿は草書体だったので、「殺」を「投」に見間違えたという説です。
 そういう見間違えが、これだけならあまり説得力はありません。しかし「対海國」は「対馬國」の、「一大國」は「一支國」の、「邪馬壹國」は「邪馬臺國」の『隋書』俀国伝は『隋書』倭国伝の見間違えではないかというのですから、なるほどそれなら「投馬國」が「殺馬國」の見間違えもありそうですね。これらは原稿が草書体としたら説明がついてしまうことは確かです。

井上悦文さんの草書体比較

 それで「殺馬國」は「薩摩国」のことだろうとだれもが類推します。そうなると俄然邪馬台国大和説は分が悪くなります。しかしそれは今日のテーマではありません。薩摩國は誰が建国したのかが問題なのです。
 薩摩は実は「小妻」から由来しているのであり、その妻というのが、邇邇芸命の一夜妻木花咲耶媛のことだということが分かったのです。木花咲耶媛は一夜妻なのに、その子供たちは邇邇芸命によって認知されたのです。
 もし一夜妻の子まで認知して、その子が王位を継承してしまったら、地方豪族が自分の妻の一人を邇邇芸命に近づけ、自分の子を邇邇芸命の子と偽って、王朝を簒奪するような事態も招きかねません。
 それで他にも一夜妻なのに認知を迫る姫がいて、邇邇芸命はそれなら盟神探湯(くがたち)のごとく、燃える産屋で子を生めば認知してやると言って、諦めさせていたかもしれません。それで木花咲耶媛は密かに細工をして、燃える産屋で出産し、無事生まれたら認知するように迫ったのかもしれませんね。ともかく土遁の術でも使ったのか無事生まれたので、認知したということです。

崎玉県行田市「さきたま火祭り」

 認知してもその子たちを王位継承者と認めるのは、王朝を簒奪されるリスクがあるので、邇邇芸命の後押しで、地方王国を建てさて、そこを支配させたのです。それが「小妻(さつま)国」です。その後さつま国は中心を日向に移しました。だから日向に妻(都萬)神社があり、木花咲耶媛が御神体なのです。

都萬神社(妻神社)

 木の花は桜の古名であり、「さくら」も木花咲耶媛の「さくや」に由来するということです。だから桜の出身地は薩摩半島ということになります。しかし地球温暖化で冬の温度が下がらないため、桜は故里鹿児島で咲かなくなるかもしれないそうです。薩摩半島の笠沙には野間神社があり、邇邇芸命や木花咲耶媛を祭祀しています。

野間神社

 ところが富士山を御神体にした浅間(せんげん)神社があります。その浅間大神は後世、江戸時代初期『集雲和尚遺稿』から木花咲耶媛と同一視されるようになりました。それで木花咲耶媛も浅間神社の御祭神になっています。浅間(あさま)は「火山」を意味する一般名詞だったようです。
 木花咲耶媛も富士山も形が美しいことではどちらも最高だということが同一視される理由に挙げられますが、何といっても木花咲耶媛は密閉された産屋で無事子を生んだので、火の山の神と同一視されるという事でしょう。
 それにこの同一視を哲学するならば、木花咲耶媛と磐長姫がセットだということに帰結します。
 『古事記』では父大山津見神によると「石長比売を使わしたのは、邇邇芸命の命が、雨降り風吹けど、恒なること石(いわ)の如く、常(とき)はに堅(かき)はに動かずまさむ、また木花之佐久夜毘賣を使いしは、木花の榮へのごとく榮へまさむ、宇氣比て貢りき。此に石長比賣を返さしめて、獨り木花之佐久夜毘賣を留めき。故(かれ)、天神の御子の御壽(いのち)は、木花のあまひのみまさむ。」
 つまり、二人はセットであり、木花咲耶媛だけなら邇邇芸命の栄は一時は桜のように空一面に咲き誇るけれど、石長比賣を返したために岩のようにとこしえに変わらないという事ではなくなった。邇邇芸命の寿命は「木花のあまひのみ」だというのです。「あまひ」は「天間(あまあひ)」ということです。桜が咲き誇りますと、花と花の間に空の青が美しく見えます。しかし桜は儚く散ってしまいますので、「あまあひの青」の美しさも束の間でしかないということです。そのように邇邇芸命の命も短いだうということです。

天間(あまあひ)の青が美しい熱海寒桜

 この美意識ははっとさせられますね。桜の薄紅によって青が美しく見えるというのです。空の青ではなびらの薄紅が美しいと我々は感じますが、その逆です。
 それはともかくとして、石長比賣は岩が頑丈で崩れず、永遠の栄を象徴しているわけです。それは富士山に置き替えられます。「富士山」という山の名は『竹取物語』に由来しているようです。帝はかぐや姫からもらった不老不死の薬を家臣に命じて富士山頂で燃やさせます。それで多くの士が登ったので「富士山」と呼ぶらしいです。不老不死の薬を燃やしたので富士山が不死山になったということですね。命が尽きないので「不尽の山」とも呼ばれます。
 「不尽」の用例を『万葉集』から一つ挙げます。「田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞ 不尽の高嶺に雪はふりける」山部赤人 (『万葉集』)
 藤原定家は『小倉百人一首』にこの歌を収録する時に下のように手を加えています。さあどちらが趣があるのかいろいろ議論があるようです。

 浅間神社は富士山頂が奥宮になっていますから、富士山全体が浅間大神という火山神なのです。それが燃える産屋でお産した木花咲耶媛と同一視されるという論理構造になっています。

浅間神社奥宮富士山頂

 つまり束の間の咲き誇る桜と、永遠の巌は、対極で正反対なのですが、両者は一体不二(ふじ)でもあるということです。永遠の生命のシンボルであるかにいう巌は、その実何の変化もなく動きもないなら、それは生の反対である死のシンボルになってしまいます。儚く束の間の命で散る事つまり死を予感させる桜は、逆に咲き乱れる事によって命の盛りのシンボルでもあるわけです。

西田幾多郎

 これは絶対矛盾的自己同一を説いた西田哲学に通底します。それで邇邇芸命は石長媛を返したので、大王(おほきみ)の寿命は短くなりますし、筑紫倭国も四世紀には熊襲に滅ぼされてしまいますが、木花咲耶媛の後ろ盾になって「小妻(さつま)国」を建国させます。これも筑紫倭国より前に熊襲に滅ぼされますが、「小妻国」の王統から出た磐余彦(神武天皇)は東征して二世紀初頭に大和政権を建国し、四世紀半ば大帯彦大王(景行天皇)の時に大和政権が大八洲を統合します。
 儚く花と散ってもその種は残り、いずれ千年、二千年の桜となることもあるということですね。またいうまでもなく、儚い寿命の人間という目を離れて見るならば、岩も生成し変化し、崩れてしまいます。紫式部が『源氏物語』で描いたのは皇統も必ずまぎれるということです。生じた国もいずれは滅びていきます。その意味では花も石に等しく、この瞬間も永遠の光を放つのです。

富士と櫻は絶対矛盾の自己同一


 



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