毎文講座【キラリ光る『源氏物語』:紫式部の批評眼】への抱負を語る 文責やすいゆたか

抱負を語る前半のyoutube

 1、漢文が読み書きできる女は妖怪か

「一」すらも漢字で書けぬふりをして女まもりぬ紫式部は

 いよいよ2024年1月からNHK大河ドラマ『光る君へ』が始まります。毎文講座【キラリ光る『源氏物語』:紫式部の批評眼】もそれに合わせて1月からの開講となりました。何故21世紀になって『源氏物語』なのかですね。その狙いや抱負を語っておこうと思います。

 『源氏物語』はご承知のように古典文学の代表作であり、朝廷浪漫小説では『源氏物語』に比肩し得るものは他にありません。ですから日本文学の研究者や作家が現在でも盛んに取り上げています。私は、哲学者の端くれでして、それらの『源氏物語』研究は参考にはしますが、ずれがあると思います。
 哲学にはその時代の迷妄を暴き、それを乗り越えて新しい時代を切り拓くという使命があります。ですから古典文学を採り上げる場合でも、その時代の迷妄をどれだけ見抜き、それと格闘していたかを当然問題にします。『源氏物語』の場合、藤原摂関政治の全盛期に書かれたものです。その上、中宮彰子の女房で藤原道長の召人だったと言われています。召人というのは召使でもある愛人ということです。
 紫式部の父は藤原北家良門流の越後守藤原為時です。漢籍の大家で、紫式部の弟に漢文を教えていたのですが、それを聴いていた紫式部が諳んじてしまっていたのです。それでこの子が男の子だったら良かったのにと父に言われたと『紫式部日記』にあります。
 女性が漢詩を作ったり、漢文の教養をひけらかすのははしたないとされていたようで、『源氏物語』には漢詩は全くでてきません。でも中宮彰子は漢詩文を習いたがったので、紫式部が手ほどきしています。

中宮彰子に漢詩文のてほどきをする紫式部

 当時の偏見では、漢文などはとても難しくて女が理解できる筈がないということですね。ですから漢文の出来る女は妖怪変化のごとく思われるわけです。そう思われるのが嫌で、紫式部は漢文の才覚を隠していたけれど、清少納言は『枕草子』でひけらかすものだから、紫式部は腹を立てていますね。
 それはともかく、女性には漢文を読み書きできる能力がないという思い込みがあって、もしできたら妖怪扱いされるわけですから、これも一つの迷妄なのです。これを近代に置き替えると、女性には理数系ができないという偏見がありました。

女性への偏見を跳ね返して女性博士第一号に

   親族自慢で申し訳ありませんが、私の祖父の従兄妹にあたる保井コノさんは、日本の女性博士第一号です。彼女は23歳で、高等女学校向けの物理学の教科書を作成したのですが、文部省が認定しなかったのです。何故なら、女性に物理学を理解して教科書を書く能力などないから、きっと保井コノさんに書くように勧めた御茶ノ水の教授が書いたのだろうと決め付けたのです。保井コノさんは女のくせに理数系に強いので子供の頃から男女性(おとこにょしょう)と呼ばれていました。妖怪扱いですね。

2、物のまぎれの極北を描いたのが『源氏物語』

恋しさは抑えきれない思い故、物のまぎれは避けがたきかな

 こういうジェンダーがらみの迷妄もあったわけですが、『源氏物語』が迷妄として取り上げているのは、実は驚くべきことに、平安貴族社会の根幹である貴族の血統の聖性が虚妄だということです。貴族社会は、貴族が血統的に聖性を持っていることが支配の正統性の唯一の根拠です。だからそれを否定してしまったら、貴族社会の根幹が揺らいでしまいます。そんなことを暴露した本が、平安貴族社会における代表的名作というのちょっと考えられませんね。

本居宣長『源氏物語玉の小櫛』

 『源氏物語』のテーマといえば「もののあはれ」をしらしむる所にあるという本居宣長の『玉の小櫛』の主張が定番になっていました。私が『源氏物語』について講演することになったきっかけも、本居宣長について『日本思想史』で教えていたことがきっかけです。岸和田健老大学で『源氏物語』担当の先生が亡くなられたので、担当できますかと振られ、「本居宣長」については大学でも教えていましたということで引き受けたのです。
 しかし「もののあはれ」というのはどの物語でもテーマです。ですから『源氏物語』には『源氏物語』特有のテーマがある筈だということで、『源氏物語』特有のテーマは何かという問題意識を持って、『源氏物語』を読んだわけです。

   すると光源氏は生後三年で生母桐壷更衣を失くしています。それも桐壷帝の寵愛を一身に受けたために、他の女御・更衣たちに虐め抜かれ、ノイローゼで衰弱して死んでしまったという悲劇です。それが光源氏には、強いトラウマとなり、母の面影を求めて、母と瓜二つだとされた藤壺の女御に執着し、二度の情事で妊娠させてしまいます。しかし帝の女御を孕ませたとなると重大犯罪なので、帝の子ということにして二人の関係は内密にしたので、結局光源氏の子が帝の子として皇位継承して冷泉帝になってしまいます。

光源氏と藤壺女御

 天皇の実子でないのに天皇の実子と偽って帝位に就いたわけですから、その正統性は大いに問題ですが、実父である光源氏は天皇の実子ですから、天皇の血統は継承されているし、元々天皇は光源氏に皇位継承したかったのだから、手続き的には問題だが、血統としては聖性は引き継がれており、紛れてないといえないこともありません。
 しかし、因果は巡るで、18歳で光源氏は藤壺を妊娠させました。(第五帖若紫)そして40歳過ぎてから、兄朱雀帝に頼まれて正室にした皇女女三宮を太政大臣(頭中将)の御曹司柏木に寝取られ、出来た子を光源氏の子として育てます。それが薫大将です。ですから薫大将の血統は表向きは光源氏の血統だけれど、実質は左大臣家である柏木の血統に紛れるわけです。

柏木と女三宮の悲劇

 こうして不倫は繰り返され血統は紛れていきます。藤壺の不倫の相手が光源氏ではなく頭中将だったら、冷泉帝は左大臣家の血統になってしまったところですね。そういうことも起こりかねないのが平安貴族文化なのです。 
 もし不倫によって、皇室の血統が紛れてしまうということがテーマだったら、藤原摂関家の貴公子を主人公にした方が、テーマに即していると言えますが、そうなると藤原摂関家はすでに皇統を簒奪しているのだと告発する物語になってしまいます。それでは藤原氏にとって名誉棄損ですので、摂関家が紫式部にそんな不都合な本を書かせる筈がありません。それで時代を天皇親政の時代にずらし、母の身分が低いので臣籍に降下させた光源氏を主人公の話にしたわけです。

三谷邦明著『源氏物語の方法』

 しかし三谷邦明さんが『源氏物語の方法』で「もののまぎれの極北」を描いたのが『源氏物語』だと断定されたのです。好色によって勢力を形成していく貴族文化では、どうしても道ならぬ恋に奔ってしまい、それが隠蔽されるので、血統は紛れざるを得ないということを、物語の主たる筋の展開がそうなっていることで論証されたのです。
 ではどうして藤原摂関家の中枢に居る人物が、天皇家も摂関家も聖なる血統ではあり得ないことを物語で語ろうとするのでしょう。そしてその作家に藤原道長は朝に花をささげたりするのでしょう。何より「もののまぎれの極北」を描いた作品がどうして最高傑作とされるのでしょう。

3、もののあはれは義理より人情

数あまた女御更衣を恵むより御身一人を慈しみたや

桐壷帝と桐壷更衣

 事の発端は桐壷帝の偏愛にあります。つまり桐壷の更衣があまりに愛おしすぎたのです。❝I can't stop loving you.❞ です。そりゃあ朝廷の女御・更衣は帝の寵愛を競うのですから、帝が気に入りそうなセンスが良くて愛くるしい女性が集められています。ですからどの女性にも愛を与えれば良さそうなものですね。理屈ではそうなのですが、なかなかそうはいかないようです。玄宗皇帝が楊貴妃に溺れたように、桐壷帝も桐壷更衣を偏愛しました。「桐壷帝」という通称は桐壷更衣しか愛せない皇帝という意味です。
 頭ではすべての女御・更衣にできるだけ妊娠させたいとは思うのでしょうが、いざとなると無理なわけですね。別にそれは異常でもなんでもありません。一人の女性にぞっこんだと他の女性には性的に勃起できない男性がいても不思議ではありません。だから桐壷帝は一夫一婦制だと良かったのですが、帝には向いていないということです。
 女御・更衣達にとったら、帝と情を交わし、皇子を儲けるのが実家から与えられた責務であり、国への奉公でもあるわけですから、桐壷更衣に独り占めされてしまったら、何とかそれを妨害して、桐壷更衣が宮中に居られなくなるように虐め抜くのは当然のレジスタンスなのです。ですから帝の情事を妨害するのは、世継ぎを生ませようとしない叛乱行為として処罰するというわけにはいきません。

かぎりとてわかるる道のかなしきにいかまほしきは命なりけり

 その結果虐め抜かれてノイローゼが深刻になり衰弱して桐壷更衣は死んでしまいましたが、それは前世からの宿縁で、桐壷更衣が薄命と定まっていたので、その宿命に駆り立てられて、他の女性にかまっている時間がないと無意識に思って、偏愛してしまったと、桐壷更衣の宿命のせいにします。とにかく帝は一切自分の罪や責任は認めません。
 しかし桐壷更衣の死について罪や責任を認めないなら、また同じような悲劇が繰り返されることになります。更衣の母はそんな帝のところに入内させたことを深く悔やみますし、孫の光源氏を宮中に返すのをためらいます。
 帝の論理は情に駆られて行ったことは、たとえ義理を欠いたことであっても罪は問えないと感じているようですね。つまり「もののあはれ」の論理は義理より人情なのです。そういう主情主義を本居宣長は無条件に賛美しているようです。しかし作家紫式部はどうでしょう。紫式部もやむにやまれぬ行動だからと帝の偏愛を肯定しているのでしょうか?

光源氏の母桐壷更衣と祖母

   そうではないでしょう。桐壷更衣の母が入内させたことの後悔を語り、その哀しみを描写していますし、何より3歳で母を失くした若宮(光源氏)が、母の面影を求め瓜二つの藤壺に執着して、出来た子が帝の子だったことにして、皇位継承して冷泉帝になったことで、偏愛の結果天皇の子でないのに天皇の子として皇位を継ぎ、血統が紛れていく可能性を示唆しています。やはり天皇や貴公子たちの身勝手な欲望に流されていく行動を批判していると言えるでしょう。 

抱負を語る後半のyoutube

4、物のまぎれと住吉信仰

光る君海原の神に守られて物のまぎれの務め果たすや
 

第三本宮 表筒之男命 第四本宮 息長足姫命

 『源氏物語』のテーマが「物のまぎれ」だということに関して、その有力な論拠に光源氏と明石入道の守り神が住吉明神だということが上げられます。住吉明神こそ「物のまぎれ」の神なのです。住吉明神というのは元々は、海原の神です。表筒之男命・中筒之男命・底筒之男命です。彼らが現人神として現れて活躍したのは4世紀後半です。
 当時は、伽耶が高海原と呼ばれていました。大八洲から見て海原(壱岐・対馬)の向こうという意味です。高天原として天空に上げられるのは、5世紀以降です。三筒之男命は壱岐・対馬の海人たちの頭領だったのです。伽耶は当時弱体化したので、新興新羅よって蚕食され、今の内に新羅を倒しておこうと、新羅侵攻計画を立て、倭国西朝の参戦を求めて、筑紫香椎宮に住吉明神を遣使してきました。倭国西朝の大王は足仲彦大王(仲哀天皇)でしたが、熊襲との争いで精一杯で、申し出を断ったのです。沙庭で息長帯媛(神功皇后)が巫女になって、神懸かりで足仲彦大王に命令しても聞きません。それで「一道に向かいたまへ(死んでしまえ)」というと本当に死んでしまったと『古事記』にあります。
 そこで王権を自分の子に継がせたいというので、表筒之男命にお願いして、急遽子作りをしました。出来た子を足仲彦大王の子ということにして成人してから王位を継承させました。それが誉田別大王(応神天皇)です。ですから、大王家の血統は紛れているということです。だから住吉明神と光源氏、誉田別大王と冷泉帝は対応しているのです。それで住吉明神は光源氏の守り神として『源氏物語』で活躍します。

誉田別命を抱く息長帯媛命と武内宿禰

 住吉明神は明石入道の守り神でもあります。それは明石入道の姫を光源氏の側室にし、生まれた姫を入内させて帝の子を生ませ、その子が帝に成るという形で明石入道の血統が天皇家に混じるということです。それでまぎれの神が明石入道の守り神になって応援するわけです。
 息長帯媛の父は開化天皇玄孫・息長宿禰王なのです。だから誉田別大王も大王家の血統だと言えないこともありませんが、かなり薄くなっています。それに男系天皇論から見れば、女性は大王遺伝子を継げないので、住吉明神の血統に簒奪されたことになります。
 ですから住吉明神を守り神にしているということは、やはり『源氏物語』のテーマが「もののまぎれの極北」だということの傍証になりますね。

5、貴公子たちの血統の聖性は幻想

血統に聖も穢れもなかりけり、己研いて高み目指せや

 「物のまぎれ」が必然的に起こるとすれば、天皇家、摂関家を始めとし、貴公子たちの血統の聖性は虚妄ではないかということになります。だとしたら貴公子は本当は貴公子なんかではなく、ただの俗物だということになってしまいますね。「もののまぎれの極北」を描くということは実や帝や貴公子がいかに愚かで、身勝手で欲望に流されやすい俗物に過ぎないかを描いていることになります。そしてその中で「物のあはれを知れるよき人」とは何かを追求することになります。

桐壷帝の想いを桐壷更衣の母に語る靫負命婦の言葉

 その意味では「第1帖 桐壷」の桐壷帝は、桐壷更衣しか愛することができない偏愛の為に、桐壷更衣を虐め地獄に投げ込み、死に至らしめた、しかもそれを専ら桐壷更衣の宿命のせいにして、自らの罪を認めたり、反省することは全くないわけですから、帝も俗物だとこきおろしていることになります。帝の描写にしてこうですから、光源氏・頭中将などの貴公子も身勝手で欲望に流されやすい俗物として描かれている箇所が随所にあってもおかしくありません。
 ですからただ物のまぎれが起こっているから聖性が虚妄というだけでなく、貴公子たちの言動からその聖性の虚妄性が暴かれているわけです。もしその逆に貴公子を貴公子として、その行動を高貴なものとしてだけ描くと、その貴公子たちは実在感がなく、お飾り人形のようなものになってしまいます。それでは読んで面白みも感動もなくなってしまいます。ですから『源氏物語』が最高傑作なのは、貴公子の聖性の虚妄を暴き、その中でいかにその虚妄を克服して、雅な文化を生み出したのかを描いているからなのです。

6、虚妄の美意識―桂の月影

明石にて淡と見えたる月影が桂で近きはまことなるかな

渡月橋 野田一實 2018年https://mirainokai.com/works/%E6%B8%A1%E6%9C%88%E6%A9%8B/

 聖なる帝が都している京は、平安貴族文化では世界の中心であり、聖地であることになります。それで世界のモデルとして意識されるので、都の西を流れる桂川の向こうは彼岸として意識されます。そして桂の里は、月に生えるという桂の木が茂っているので月の里とされ、そこから見る月は手にとるように近く大きく見えるのだという伝説がまことしやかに広がっていました。
 明石の君は、光源氏の二条邸に入るのを憚り、父が用意した大堰の別邸に住みます。光源氏が大堰山荘に明石の君を尋ねると、光源氏が大堰に居ると嗅ぎつけた貴公子たち集まって来たので桂の院という光源氏の別邸で宴会になりました。
 すると光源氏の実子である冷泉帝から宴会を羨ましがる歌が勅使によって届けられます。
「月のすむ川の遠(をち)なる里なれば 桂の影はのどけかるらん」

月影の里

 桂は月の里だからさぞかし、煌々と照り映えてのどかな月影の里だろうという歌ですが、それに対する光源氏の返歌はそれを真っ向から否定しています。大堰川の霧が晴れないので、月影がよく見えないですよというものです。
「久方の光に近き名のみして 朝夕霧も晴れぬ山ざと」
ところが桂は月の名所だという定番の歌を光源氏は二つ紹介しています。
「久かたの中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる」(古今集雑下、九六八、伊勢)
「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵は所がらかも」(新古今集雑上、一五一五、凡河内躬恒)
その上で、躬恒の歌をなぞるように次の歌を詠んだので、躬恒の歌と同じ趣旨に受け止められがちですね。
「めぐりきて手にとるばかりさやけきや 淡路の島のあはと見し月」
つまり都に戻って来て桂の里では月が近くに大きく見えるという意味に解釈されがちです。淡路では淡としか見えなかったのにということですね。実際、現代の歌人や作家や古典文学研究者もそう解釈しています。
 しかしそれなら帝への返歌は帝を呼び出すために嘘を書いたのでしょうか。それはないでしょう、だって桂の木が生えていても月が大きく見える根拠はなく、迷信なのですから。それに淡路の月が淡としか見えないというのは、たまたま躬恒が見た時の気象が悪かったからです。光源氏は「第13帖 明石」で、明石から淡路島を隈なく照らすを月を見て、躬恒の歌を歌で批判しています。
「あはと見る淡路の島のあはれさへ 残るくまなく澄める夜の月」
 この歌を踏まえて「めぐりきて」の歌を解釈しますと、「(須磨・明石と)めぐりきて手にとるばかりさやけきや 淡路の島の(躬恒が)あはと見し月(は)」という趣旨でしょう。だから明石から見た月は、煌々と大きく見えたのです。
   都中心の平安貴族文化の美意識は、光源氏が流謫の身に遭って、鄙の暮らしを体験することで、虚妄だということを身をもって実感したのです。そういう虚妄の美意識を克服して、ありのままの自然の美しさを見出してはじめて真に雅な文化創造が可能なのだと紫式部は訴えていますが、その痛切な訴えは、現代の作家や歌人、古典研究家にも届いていないということなのです。もっともすべての『源氏物語』研究にあたっているわけではないので、断定はできませんが。
 ただ不思議なのは、現代の解釈者たちは、躬恒の歌と同趣旨に捉えてしまっていますが、それなら彼らも平安貴族たちと同様に、桂では明石よりずっと月が近くに煌々と輝くと信じているのでしょうか? そういう平安貴族文化の迷妄に浸ったままでいたがっている感性に、近現代の迷妄が果たして打破できるでしょうか?

7、形代の恋は虚妄の恋か?

止められぬ想いをぶつける君なれど私じゃないわ私は形代

 『源氏物語』は平安貴族社会を舞台に展開された、宮廷ロマン小説ですから、そこで展開される主人公光源氏の恋愛は、いわば恋のモデルです。しかし貴族の血統が紛れていて、その聖性が虚妄であるという批評が『源氏物語』では展開されているのです。王侯貴族つまり貴公子たちは、血統における聖性などが虚妄としたら、当然彼らの行動も雅なのは表向きで、身勝手で欲望に流される俗物の行動です。だとしたらロマン小説では目玉の恋愛も雅なのは表向き、虚妄に満ちたものになりがちだったのではないでしょうか。
 三歳で生母に死に別れた若宮(光源氏)は、それがトラウマになり、生母のイメージに執着して、その身代わりとして、桐壷更衣に生き写しと言われた藤壺女御に憧れて、里帰りのすきを狙って強引に想いを遂げます。藤壺は光源氏の子を孕んでしまいますが、帝の子ということにして育てましたので、皇位継承して冷泉帝になります。光源氏は冷泉帝の後見人ということで、准太上天皇となり実権を握ってしまいます。しかしあくまで冷泉帝は桐壷帝の皇子として天皇になったのです。

光源氏と冷泉帝

 藤壺は桐壷帝への罪の意識が強く、光源氏からの求愛を退けます。それで桐壷帝が崩御されると出家して尼になったのです。藤壺は母への恋慕から衝動的に求められたので、母性本能を刺激されて応じてしまったとしても、光源氏への恋愛感情はそれほどもっていませんでした。
 光源氏は藤壺への想いは冷めませんでしたが、しかしあくまでも形代の恋だったわけです。生母が三歳で亡くなったので、母への想いが募って、その代償を藤壺に求めたわけですから。藤壺が光源氏を熱愛しなかったのは、もちろん帝への罪の意識が最大の理由ですが、所詮光源氏が求めているのは生母であり自分はその形代でしかないことが分かっていたからでもあります。つまり藤壺は光源氏の愛の虚妄性を見抜いていたわけです。
 藤壺から相手にされないので、藤壺に似ている養女を掠奪して、理想の妻にしようとしたのが紫の上です。実際二人は強い情愛で結ばれ、正妻だった葵上が六条御息所に祟り殺されてからは、正妻として扱われます。ただし紫の上は不妊症だったので、明石の君が生んだ姫君を養女として育てます。
 光源氏は紫上だけでは満たしきれない欲望をアバンチュールな恋で穴埋めしようとしますし、そんな光源氏の態度で紫の上も空しくなって出家を望むようになります。やはり形代の恋には虚妄性がぬぐい切れないというのが、紫式部のメッセージかもしれませんね。
 もちろん利害関係から政略的に結婚する場合にも愛の虚妄があります。帝に入内したり、光源氏のように左大臣家に婿入りしたりします。入内の場合は帝の寵愛を競うことになりますが、親の身分が低い更衣などに帝の寵愛が集まりますと、桐壷更衣のような凄惨な愛憎の地獄になります。
 そこで地位や身分や人間関係を離れて、純粋に男と女として愛し合うことこそが、純愛なのではないかと覚り、身分も職業も名前も名乗らず、顔さえ隠して情を交わそうとしたのが夕顔でした。顔さえ隠してとなったら極端すぎますね。それじゃあかえって愛のない感覚だけの快感に溺れるだけで、人格的に愛し合うことにはならないし、精神性が欠落してしまいそうですね。
 それは形代の恋や、美醜に囚われる恋や、政略の手段としての婚姻に反撥して、それ等から解放された純愛を求めるということですから、既成の恋に対するアンチとしての純愛です。それではその場限りの儚い恋に終わりそうですが、夕顔の場合、六条御息所の生霊に殺されたことから、光源氏にとって命がけの恋の想い出となりました。儚い時が永遠の意味を持ったのです。それでその娘の玉鬘に執着することになったのです。

夕顔の死

 玉鬘は所詮夕顔の形代でしかありません。それに光源氏が六条邸に彼女を囲って、口説き落とそうとしても、彼女が上京したのは、父太政大臣(頭中将)と対面するためです。そのことで頭がいっぱいなので、光源氏がいかに天下一の美男子でも全く通じません。
 こうしてみると『源氏物語』で展開される恋物語にも虚妄性が多くみられます。こうして貴公子たちの血統の聖性も虚妄、行動も俗物、恋も虚妄ということですから、紫式部は、それらを「もののあはれ」と単純に賛美しているわけではないということです。
 いったんその虚妄性を自覚し、その上に立って、いかに感じ、考え、行動し、愛したら、虚妄でない、雅な充実した人生を送れるかということを問いかけているのですね。光源氏はどこまでそれに迫れたのかを一緒に辿っていくことにしましょう。
 
 
 



 



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