「とんでもなく下品」は誉め言葉か―「ラッパと娘」について 文責 やすいゆたか

趣里 『ブギウギ』福来スズ子役で『ラッパと娘』を歌う

「とんでもなく下品ね」、それは、今朝の朝ドラ『ブギウギ』は茨田りつ子が福来スズ子の梅丸楽劇団(モデルは「松竹歌劇団」(SKD))旗揚げ公演で、『ラッパと娘』を歌い踊る衝撃デビューの姿を見て、思わずつぶやいたセリフである。

 すでに周知だが福来スズ子は笠置シズ子、茨田りつ子は淡谷のり子がモデルである。笠置シズ子はこの『ラッパと娘』でスウィングの女王と言われ、戦後『東京ブギウギ』でブギの女王と呼ばれた。淡谷のり子は『別れのブルース』でブルースの女王と呼ばれた大スターである。

ブルースの女王 淡谷のり子

 ブルースはジャズの源流であるが、ブルーな感情を表現したものが多いのでブルースと呼ばれる。これに対してジャズの一種であるスウィングは、「ワ―オ、ワ―オ、ワ―オ」みたいにスウィングつまり揺れる感じで、気分に浮揚感を与えるリズムだ。

 ブルースも揺れている感じはあるのだが、哀愁が漂っていて、気分はダウンしていく。だからブルースを歌うとやるせなさが深くなるばかりで、耐えられないのだが、不思議に哀しみを表現したことによって、癒される効果がある。つまり涙を流すように哀しみは歌いあげることで、昇華されるのである。

 これとは逆にスウィングあるいはブギは、哀しみなんか吹き飛ばして陽気に歌い踊って明るく成ろうという発想だ。だからブルースは恋に破れて哀しいと泣き言を語るが、スウィングあるいはブギは歌えば楽し、踊れば楽しと言って、なにも物語がない。だから何も言葉は要らないと言いたいのである。

 もう著作権は切れていると思うので服部良一作詞『ラッパと娘』の一番を転載しよう。 

 「スイングだしてあふれば」とあるが、「煽れば」と書く。つまり「あおって」、燃え上がらせるイメージだ。
 だから「バドジズ デジドダー」というような意味のない、音としての効果を狙った歌詞を頻発する。まあ「アラエッサッサー」のようなものだ。藤浦洸作詞『別れのブルース』と比較してみるとよく分かる。

 

別れの哀しい情景を切々と語って、哀しみと向き合うことで、哀しみを味わえたことの充実感へと昇華しようとしているわけだから、その真摯さは気高い感情に溢れていると言えよう。

 それに対して、スウィングやブギは、哀しみなんか忘れて、歌い踊れば楽しくなるということだから、確かにその時には体や心が揺れ動いて浮かれた楽しい気分になるのだけれど、やけ酒みたなもので、後は余計に惨めになる軽薄な逃避に過ぎないと、ブルース愛好家にはみえるだろう。

 その意味で、笠置シズ子が見事にスウィングを歌えたということが、淡谷のり子には「とんでもなく下品」に見えたという解釈になる。だからこの台詞は、客観的には誉め言葉ということになる。

 だいたい陽気に浮かれ踊り歌うということを上品にやっても気分は乗らないだろう、ノリノリになれば我を忘れ、形に囚われす、乱れた動きをしてこそ、観衆を興奮させるものである。笠置シズ子の踊りは、まるでディズニー漫画に出てくるようなコミカルな踊りになっている。とても上品とは言えないものだ。しかしだからこそ楽しい、「とんでもなく下品」はだから誉め言葉である。

笠置シズ子

 民衆にとってはブルースで哀しみを昇華させるのも大切だが、毎日の暮らしが大変で感傷にばかり浸っておられず、スウィングやブギで紛らわせて生きる活力にするのも大いに必要だった。つまり民衆はお上品にばかりしていられないのである。

 ところで趣里の福来スズ子は、笠置シズ子に迫れているかということだが、『趣里ちゃんは、この福来スズ子を演じるために生まれてきたんだ』と羽鳥善一(モデル服部良一)役の草彅剛さんは語っている。それはこの『ラッパと娘』が最高だったということだろう。

 私は音痴だし、音楽については批評する資格は全くないので、気にしないで、辛口批評をさせて欲しい。趣里ちゃんのは以下のサイトにアクセスして聴いて下さい。6時間で13万回を超えて視聴されている。凄い勢いだ。

この画像をクリックすると『ブギウギ』の「ラッパと娘」の動画になります。

 この歌は後半が、鬼気迫るので、聴いて怖くなる、つまり下品で納まらない、襲い掛かられるような感じがある。その点笠置シズ子は迫力が半端でなかったが、趣里ちゃんのは、もちろんすごい歌唱力だが、後半になって怖くなるというところまで行かなかったように思う。本人がもがいているようには見えても攻撃しているようには聴こえない。


服部良一はジャズは地声で歌えという歌唱法を指導したそうで、笠置シズ子はそれで喉を潰して医者から止められたが、無理して歌ったそうで、それであるいは趣里ちゃんとは違って聴こえるのかもしれない。

服部良一

 私は、この後半、「あの町でも、この町でも」からが民衆の言葉にできない叫びを表現していると思う。そこで凄みを利かすことで、時代の閉塞を打ち破る民衆のエネルギーを感じさせようとしたとしたら、この曲は、日本歌謡史上、どんな労働歌や革命歌よりも革命的な歌だったかもしれない。


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