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京都・五山文化と現存最古の法堂【相国寺】

境内は自由に回れるが、見所は方丈と法堂。
特別拝観で800円の参拝料だが、ここはスルーできない。内部の撮影は禁止。

慶長十年(1605)に豊臣秀頼が寄進されたとされる法堂は現存最古の法堂建築といわれる。

法堂の天井には、狩野光信(狩野永徳の長男)作の蟠龍図が描かれている。下で手を叩くと反響することから鳴き龍と呼ばれる。

運慶作と言われる本尊釈迦如来像が安置される。

法堂は重要文化財とされている。現存最古の法堂建築、狩野光信の蟠龍図、運慶の釈迦如来像、とあれば国宝で良いと思う。国宝には出来ない訳が何かあるのかな??これは謎。

方丈では杉戸絵の白象図が印象的。江戸時代の原さん(原在中)の作だけど、江戸時代かぁ。。想像で描いたにしては精度が高過ぎ。

原在中 白象図


でも実物見たことあるとも考えにくい。大陸の象の絵の模写なのかなぁ。。

方丈の枯山水庭園。相国寺の枯山水庭園は整っていて美しい。整い過ぎていて禅の侘び寂びの美しさとは別物という感想。

方丈 枯山水庭園

相国寺は世界遺産に登録されてないが、金閣寺、銀閣寺は相国寺の境外塔頭でこの二社が世界遺産に登録されている。

京都五山の第二位。寺号の由来は左大臣(相国)の足利義満の官位が由来とされる。

南北朝時代の永徳二年(1382)に三代将軍の足利義満が建立し、開山(初代僧侶)は夢窓疎石。

ちなみに疎石が亡くなったのは1351年なので、相国寺の建立のときにはすでに亡くなっている。

足利義満が将軍のときには、相国寺を五山の第一位に昇らせたが、義満の亡き後に第二位に戻された。

応仁・文明の乱で全焼。その後、細川晴元と三好長慶の相国寺の戦いで再び全焼。江戸時代の復興。

相国寺は同志社大学に隣接し、幕末の頃にはこのあたりに薩摩藩邸があった。

☀️ 第3回京都観光 2021.10.15 【前泊】
南禅寺→知恩院→相国寺→大徳寺→黄梅院(大徳寺塔頭)

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