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紀伊國一之宮 丹生都比売神社へ。穏やかで、爽やかで、氣持ちのいい場所でした。和歌山の美味しい「あら川の桃」とともに。

大阪の南の方へ行った折、少し足を伸ばし、和歌山の紀の川市に行ってみました。

ちょうど桃の時期の終盤のころ。
とりあえず、道の駅か、ファーマーズマーケットに行ってみようと、紀の里にある、ファーマーズマーケット、「めっけもん市場」へ。
ここは、すごく広くて、品揃えも豊富でした。

果物、野菜、お豆腐、お肉、お魚、お味噌も、こんにゃく、はちみつ、ジュース、様々な加工食品、めはり寿司や、鯖ずしなどの、お弁当や、ジェラートや、揚げ物の売り場、お寿司を食べられるところもありました。
果物も、桃、梨、スイカ、ぶどう、いちじく、ブルーベリーなど色々あります。

そしてとにかく驚くのは、皆さんの買いっぷり。
カートに桃の箱を何箱も積んでます。

あら川の桃がお目当ての方が多いようです。

店内にも、桃はたくさん置いてあるのですが、そこだけでなく、駐車場から見えるところに、外の売り場があります。
そこは囲いがあるので、駐車場からは直接行けず、いったんお店に入って、売り場を通り抜けて行くことになります。
どうやら、たくさん購入する方は、この『めっけもん市場』と書いてある箱の桃がお目当てのようです。
めっけもん市場の箱でも、色々あって、生産者のカードがついている箱のは、配送できる商品で、付いていないのは送れません、との説明書き。

でも、行った時は、外会場にある商品には、生産者のカードがある箱は見当たらない。
カード入りのはどこにあるの?と、中や外をウロウロするもの見つからず。
どういうこと?

まあいいか。

せっかく来たから、お世話になってる方々へ贈りたいな。と、店内にある、きれいに箱に入っている桃さんたちをじっくりみてまわって、氣に入った子達を、配送手配します。
店内に、クロネコヤマトもあり、とてもスムーズでした。
ひと心地ついて、もう一度、外会場へ行ってみると、ちょうど桃が搬入されていました。

群がってくる、人、人、、。

置いているそばから、なくなっていきます。

ちょっと人混みに酔ったので、退散。
あらためて、あら川の桃パワーを実感しました。

桃の生産量的には、西日本では、一番が和歌山で、次が、岡山。

全国的には、山梨、福島が桁違いの生産量。
その後に、長野、山形。
5番目に、和歌山。

和歌山の桃としては、「あら川の桃」が、ブランド桃として、とても有名で、この名を名乗るには、和歌山県、紀の川市桃山町の北部、紀の川沿いの桃源郷と呼ばれる地区の桃畑で育ち、あら川の桃振興協議会の商標使用許諾を取得するのが条件とのこと。

めっけもん市場をあとにして、その桃源郷エリア、桃山町方面を走ってみます。
街道沿いには、直売所が、いっぱい。
人も車もいっぱい。

そして、少し奥に入ると、、桃の木がいっぱい。

周辺には、桃だけでなく、いちじく、キウイ、ぶどう、みかん、柿、と、色々な種類の果物の木もみることができました。
さすが、和歌山です。

紀の川沿いを走りつつ、まだ時間があったので、地図を見て。

前に、仕事で行った時に見た、串柿の里の奥の、堀越癪観音様に行ってみようか、と思い、東へと走らせます。
でもなんとなく違うなぁ~って、もう一度地図を見て、目についた、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)へ、行き先を変更。

地図で見てると、そんなに遠くないつもりだったけれど、国道も山道で、そこから、もっと山道っぽい県道へ入る。
この道は、きれいに舗装されていて、そんなに狭い山道、と言う訳ではないのですが、思った以上に、どんどん山奥へ向かっている感覚。

そして、まだかな、と、不安になりつつ、トンネルを抜けると、いきなり、青々とした、美しい水田が広がる山間の集落へ。

そして、少し走ると、丹生都比売神社がありました。
駐車場には、車はちらほら。
第一駐車場へ車をとめて、向かう途中にかわいい橋。

橋を渡って、ふとなにか違和感を感じて、よくよく橋面を見ると、不自然な穴。

もっとよく見てみると、一枚岩みたいです!

こんな橋もあるですね。

階段の石もかっこいい。

一つ目の鳥居をくぐると、先に太鼓橋が。

淀君が寄進されたと言われているそうです。

階段状になっています。

もう一つの鳥居が見えます。
とても、のびのびと、穏やかで、ふぅ~っと肩の力が抜けるよう。

暑い日なのに、暑さも忘れていられるくらい、爽やかで、とても心地いい空氣と風。

鳥居をくぐり、参拝させて頂く。
お祀りしている神さまのことや、神社についての説明のすぐ前には、お花が。


この天野の地への鎮座は千七百年以上の昔に遡り、主祭神の丹生都比売大神は天照大御神の御妹神に、あたるそうです。
そして、 弘法大師のもと、御子神の高野神子大神と白黒の御神犬を遣わし神領地の高野山を授けたことから、高野山の総鎮守真言密教の守護神となり、このことが、神仏の融和する日本の祈りのかたちの源泉となったとされる、、と。

そうでした、認識が欠落していましたが、高野山は、ここから、車で30分ほどでした。

そして室町時代の立派な楼門。

楼門の左側にまわると、四棟並んだ本殿を見ることが出来ます。こちらも室町時代のもの。

本殿の左側には、木々が見え、そちらにも行ってみます。
すぐ脇には、かわいらしい小川が流れていて、近づくと、どこからか、蝶々が飛んできて、じっと佇んでいるので、私も、しゃがみこみ、しばらく一緒に、佇んでいました。

ひんやりとした、風が心地よくて、ずっとその場にいたいくらい。

蝶々がいるよ。

この奥にも、史跡がいくつかあり、その一つが
“大峯修験者の碑伝”

石柱四基は修験者(山伏)が、大峯入峯に際し建てた記念碑で、最も古いもののひとつ。

それから、スタイリッシュな、光明真言曼陀羅碑。

寛文二年(一六六二)建立され、正面の円形の部分に、
中央下より、時計の針の進む方向に、梵字で光明真言が、
背面には、多くの僧名が刻まれています。

その手前には、御影堂跡。

1211年に、二位の尼(北条政子)さんが、建立されたお堂の跡地。
熊野詣帰りにこちらに立ち寄った際建てられたとのこと。
歴史上の人物の足跡が、そこここに感じられます。

本殿の方へと戻り、入口付近の、ベンチと机のある場所へ。
この場所の、心地よさを感じるのは、私だけではないのか、特に売店などが、あるわけでもないのに、ゆっくり座って、読んだり、書いたりしていらっしゃる方の姿もちらほら。
私も、と思い、近づいて、その手前の岩を発見して、おお〜!っと、一人で興奮。
これは、入口の橋の一枚岩とそっくり!

丸い穴は、運ぶためのものなのかな?

しばらく、まったりした後、授与所で、御朱印を。
白黒の御神犬がかわいい、世界遺産バージョンのを授けて頂きました。

白黒御神犬のおみくじも可愛かった。
でも、白と黒をどうしても選べず、
引かずに帰ってきました。

まわりの雰囲気も含めて、時間の流れも、空気感も、普段と違い、なんだか、タイムスリップか、違う時空にワープしてしまったような、感じでふわふわしていました。

参拝の方も、多くもなく、少なくもなく、いい感じ、と、のんびりしていたら、団体さんが賑やかにやってきましたので、名残を惜しみつつ、帰路につきました。
トンネルをくぐり、県道から、国道へ、紀の川を渡る頃に、ああ、戻ってきたなぁ、って、不思議な感覚を覚えました。

帰宅後は、桃さん達とゆっくりご対面。

川中島白桃

ジューシーで甘くて、しっかりした歯ごたえで、とても美味しかったです。
ちょっと柔らかい子達は、煮たり、冷凍したり。
寒天寄せを作ってみたりして、楽しませてもらっています。

とても美味しかったです。
ご馳走さまでした。
そして、素敵な場所に、素敵な神社に、巡り合えた幸運に、心より感謝します。




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