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こころ

嫌なことが起きると、マイナスの感情が湧く。それが昇華できないままエネルギーブロックとして残ると、ものごとをありのままに見られなくなる。

その傷は人それぞれで、生まれる前の経験でできた傷と同じものを持った親を選んで、人は生まれるという。

同じ問題を持つ親を通して、自分の問題と向き合うように仕組まれていたのだ。


私の場合は、満たされない親の愛を通して、本当の愛を知ることが課題だった。

幼い頃実母を失った母は、継母の虐めでずっと苦しんできたが、本当は愛されたかった、認めてほしかったのだと思う。

心の底にある、「自分は愛される価値のない人間なのだ」という思いが、何があっても、「大切にされない、自分をわかってもらえない」という無念に繋がり、最後は、いくら尽くしても報われないという、悲しく悔しい思いとなって、夫や義妹や親戚への不満として現れた。

そんな母を見てきた私も、母の愛に飢えていたから、その愚痴をずっと聞き続けることが、愛をつなぎとめる手段のように思えてもいた。

愛がほしかった母と私。

可哀そうな母と可哀想だった私。

母のように、酷い虐めにあったわけではないが、目の前で可愛がられる妹をいつも眺めることは、充分に私を打ちのめした。見るたびに、自分はだめだ、と思い込めたのだから。

そして、そんな思いをしなければ、私は愛について考えなかったろう。


今、母のことを冷静に思い出すと、母が私にしてくれたすべてが、私への愛にあふれていたことが、よく分かる。もしかしたら、妹よりも、たくさんのものを貰っていたのかもしれない。

けれど、母の妹への愛の表し方を見て、自分には同じものがもらえない、と最初に思ってしまったことで、その後、私にくれた母の全ての愛が、ありのままには見えなくなってしまった。

何も入っていない、幼い頃の魂は、最初に受け取った情報は、比較判断できないから、そのまま受け入れてしまうのだ。


妹には体まるごとで、私には理性と期待を持って、母は接した。

それが不満だったが、もしかしたら母は、自分と同じものを私に見ていたから、あのように接したのかもしれない。

そう考えると、母の持ち越した問題はそのまま私の問題として受け継がれ、昇華することになっていたのかもしれないとも思えてくるのだ。






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